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Re: 『国民学校1年生』 その3

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らごら

通常 Re: 『国民学校1年生』 その3

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/4/3 8:39
らごら  常連 居住地: 横須賀市  投稿数: 46
引用:
 半紙と竹串で小さな旗をつくります。その白い紙には、墨で「ルーズベルト」、「チャーチル」と云う文字が書かれていました。そうです、ルーズベルトは当時の米国大統領、チャーチルは英国の首相でした。
 わらに火を点けます、炎が次第に大きくなり夜空に大きく舞い上がる様です、火花も飛び散ってきます。すると青竹の節が破裂して「ばぁ~ん」と大きく鳴り渡ります。暫らくして、また「ばぁ~ん」「ばぁ~ん」と鳴ります。
その都度、周りを囲むお兄さん達は「バンザイ」「バンザイ」「ニッポン バンザイ」と叫んでいました。
幼かったおじいさん達も一緒に「バンザイ」「ニッポン バンザイ」叫びました。訳もわからず大声で叫んでいました。
 隣の兄ちゃんは玄関の横に、実物大のアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相の似顔絵を張っていました。
毎朝、その似顔絵を拳骨《げんこつ》で殴りながら「お前らのために毎日雑炊しか食えないんだ、この野郎」と怒っていましたよ。
お米も配給制で一日大人一人あたり2合5勺《=約450立方》、当時はお米が主でおかずは少ないのが普通でしたから、2合5勺では足りません。しかも配給になるのは精米していない玄米でした。玄米は炊いてもあまり膨らみません。
量を多くしようと家庭で精米(米糠《こめぬか》をとる)しました。
一升瓶《びん》に玄米を入れて、はたきの棒で根気よく突くのです。
鬼畜米英さえやっつければ、こんなことしなくて済むんだ、コンチクショウコンチクショウと棒を突っ込んでいました。
腕が疲れていやになる頃には真っ白なお米になりました。とれた米糠は炒《い》って食べました。
今では健康のためとかで、玄米を食べたりしますけれど。
 当時の小学校は、現在のように給食はなく弁当を持って行きました。日の丸弁当というのが奨励されて、ご飯の真ん中に梅干しが一つだけで他のおかずは一切なしでした。ある生徒が梅干しを二つ入れてきたら、「日の丸の旗ではありませんね」と叱られていましたよ。
 それから、楠公飯というのが流行《はや》りました。
お米を炒ってからお湯を入れて暫く置いておくと、米が水を吸って非常に大きくなる。ふかふかして不味《まず》いのだけれど、見た目の量が多くなるのす。
毎日、ひもじい思いをしながらも「欲しがりません勝つまでは」と頑張っていました。

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