Re: 『国民学校1年生』 その3
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『国民学校1年生』 (三蔵志郎, 2004/3/28 1:09)
- Re: 『国民学校1年生』 (マーチャン, 2004/3/28 16:41)
- Re: 『国民学校1年生』 (あんみつ姫, 2004/3/28 19:06)
- Re: 『国民学校1年生』 (らごら, 2004/3/29 8:24)
- Re: 『国民学校1年生』 その2 (三蔵志郎, 2004/3/30 1:33)
- Re: 『国民学校1年生』 (変蝠林, 2004/3/30 11:49)
- Re: 『国民学校1年生』 (らごら, 2004/4/1 8:27)
- Re: 『国民学校1年生』 その3 (三蔵志郎, 2004/4/2 10:24)
- Re: 『国民学校1年生』 その3 (らごら, 2004/4/3 8:39)
- Re: 『国民学校1年生』 その4 (三蔵志郎, 2004/4/8 16:30)
- Re: 『国民学校1年生』 その4 (らごら, 2004/4/8 20:55)
- Re: 『国民学校1年生』 その4 (番外) (三蔵志郎, 2004/4/11 21:38)
- Re: 『国民学校1年生』 その4 (番外) (マーチャン, 2004/4/11 22:42)
- Re: 『国民学校1年生』 その4 (番外) (三蔵志郎, 2004/4/12 11:26)
- Re: 『国民学校1年生』 その5 (三蔵志郎, 2004/4/17 11:34)
- Re: 『国民学校1年生』 その6 (三蔵志郎, 2004/5/5 23:59)
- Re: 『国民学校1年生』 資料編01 (三蔵志郎, 2004/5/8 2:29)
- Re: 『国民学校1年生』 資料編02 (三蔵志郎, 2004/5/9 21:50)
- Re: 『国民学校1年生』 その7 (三蔵志郎, 2004/5/17 5:10)
- Re: 大変な力作、ご苦労様でした。 (オアシス, 2004/5/18 22:03)
らごら
居住地: 横須賀市
投稿数: 46
引用: 隣の兄ちゃんは玄関の横に、実物大のアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相の似顔絵を張っていました。
毎朝、その似顔絵を拳骨《げんこつ》で殴りながら「お前らのために毎日雑炊しか食えないんだ、この野郎」と怒っていましたよ。
お米も配給制で一日大人一人あたり2合5勺《=約450立方》、当時はお米が主でおかずは少ないのが普通でしたから、2合5勺では足りません。しかも配給になるのは精米していない玄米でした。玄米は炊いてもあまり膨らみません。
量を多くしようと家庭で精米(米糠《こめぬか》をとる)しました。
一升瓶《びん》に玄米を入れて、はたきの棒で根気よく突くのです。
鬼畜米英さえやっつければ、こんなことしなくて済むんだ、コンチクショウコンチクショウと棒を突っ込んでいました。
腕が疲れていやになる頃には真っ白なお米になりました。とれた米糠は炒《い》って食べました。
今では健康のためとかで、玄米を食べたりしますけれど。
当時の小学校は、現在のように給食はなく弁当を持って行きました。日の丸弁当というのが奨励されて、ご飯の真ん中に梅干しが一つだけで他のおかずは一切なしでした。ある生徒が梅干しを二つ入れてきたら、「日の丸の旗ではありませんね」と叱られていましたよ。
それから、楠公飯というのが流行《はや》りました。
お米を炒ってからお湯を入れて暫く置いておくと、米が水を吸って非常に大きくなる。ふかふかして不味《まず》いのだけれど、見た目の量が多くなるのす。
毎日、ひもじい思いをしながらも「欲しがりません勝つまでは」と頑張っていました。
半紙と竹串で小さな旗をつくります。その白い紙には、墨で「ルーズベルト」、「チャーチル」と云う文字が書かれていました。そうです、ルーズベルトは当時の米国大統領、チャーチルは英国の首相でした。
わらに火を点けます、炎が次第に大きくなり夜空に大きく舞い上がる様です、火花も飛び散ってきます。すると青竹の節が破裂して「ばぁ~ん」と大きく鳴り渡ります。暫らくして、また「ばぁ~ん」「ばぁ~ん」と鳴ります。
その都度、周りを囲むお兄さん達は「バンザイ」「バンザイ」「ニッポン バンザイ」と叫んでいました。
幼かったおじいさん達も一緒に「バンザイ」「ニッポン バンザイ」叫びました。訳もわからず大声で叫んでいました。
毎朝、その似顔絵を拳骨《げんこつ》で殴りながら「お前らのために毎日雑炊しか食えないんだ、この野郎」と怒っていましたよ。
お米も配給制で一日大人一人あたり2合5勺《=約450立方》、当時はお米が主でおかずは少ないのが普通でしたから、2合5勺では足りません。しかも配給になるのは精米していない玄米でした。玄米は炊いてもあまり膨らみません。
量を多くしようと家庭で精米(米糠《こめぬか》をとる)しました。
一升瓶《びん》に玄米を入れて、はたきの棒で根気よく突くのです。
鬼畜米英さえやっつければ、こんなことしなくて済むんだ、コンチクショウコンチクショウと棒を突っ込んでいました。
腕が疲れていやになる頃には真っ白なお米になりました。とれた米糠は炒《い》って食べました。
今では健康のためとかで、玄米を食べたりしますけれど。
当時の小学校は、現在のように給食はなく弁当を持って行きました。日の丸弁当というのが奨励されて、ご飯の真ん中に梅干しが一つだけで他のおかずは一切なしでした。ある生徒が梅干しを二つ入れてきたら、「日の丸の旗ではありませんね」と叱られていましたよ。
それから、楠公飯というのが流行《はや》りました。
お米を炒ってからお湯を入れて暫く置いておくと、米が水を吸って非常に大きくなる。ふかふかして不味《まず》いのだけれど、見た目の量が多くなるのす。
毎日、ひもじい思いをしながらも「欲しがりません勝つまでは」と頑張っていました。