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義父の遺稿ー終戦直前より今日までの回想ー(その2)

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あんみつ姫

通常 義父の遺稿ー終戦直前より今日までの回想ー(その2)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/6/16 18:52
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
  ソ聯の将校は、工場では相当厳しかったが、一日の撤去が終って本館に集り各工場別に本日の撤去量を報告する時は、全く我々の味方になって報告してくれた。

 報告が終ってソ聯料理の夕食を済ませ、家路につけば9時頃、疲れ切ってもう只《ただ》寝るだけ、また翌朝6時には出勤する毎日で、撤去作業は9月いっぱい懸ってようやく終了した。

 撤去期間中、ソ聯の兵士が何人か現場に来た。靴下《くつした》も無く、布を足に巻いて靴を履《は》くのを見たり、時計が珍しいらしく何個も腕につけて喜んでいるのを見た時には、こんなソ聯に負けたのかと悔しかった。

 撤去が終ると、日本の軍隊がソ聯か何処《どこ》かへ連れて行かれるという噂《うわさ》が立ち、軍隊は各隊別に集合したが、この時、軍隊から脱走して千山に立てこもった者、一般民家に逃げ込んだ者、何人かのグループで共同生活を始めた者などがあった。

 私の家にも郷里が同じで鞍山近くの飛行場に居た軍人が、友人一人を連れて逃げて来た。この頃軍人を受け入れた者は台町には外に居なかったと記憶している。

 それから三日程後、郷里のM君(彼のご両親は共に全盲)が、外に二人を伴って訪ねて来た。しかし、私の家には二人の軍人が居り、この上三人もの人間を置く事はできない。夕食を食べて頂き一晩泊めて、翌日原隊に帰ってもらった。

 私が隊まで送ったところ、丁度隊は富士小学校の横の道路に集結し、何処へ移動するのか出発するところであった。見送った私は、軍人はソ聯に連れて行かれたと後で聞き、M君も無事帰国してくれればいいがと願った。もし帰らなかったら、あの盲目のご両親に何と説明したらよいか、あの時無理でも三人を置いてやればよかったと後悔された。

 二十二年、家内が子供を連れて帰国した時、丁度一週間くらい前にM君が無事に帰って居った事を、後で知り、ホッとしたものだ。

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あんみつ姫

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