Re: 義父の遺稿ー終戦直前より今日までの回想ー(その5)
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義父の遺稿ー終戦直前より今日までの回想ー <英訳あり> (あんみつ姫, 2005/6/16 18:51)
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あんみつ姫
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【抑留中の義父(右)】
二十一年春になって、国民党軍により完全に平和が取り戻されたように思われた。夏になり一般遣送が始まって大部分の者はリュックサック一個を肩にして、無蓋車《むがいしゃ=
屋根の無い貨車》に乗って鞍山駅を離れた。私も見送りに行ったが、あの時の情景は今でもハッキリ思い出す。
工場の者は、洗炭、骸炭《がいたん=コークス》合わせて約三十名が強制的に抑留される事になり、宿舎は満鉄病院の一帯をあてがわれた。我々が残された目的は工場の復旧の仕事に携《たずさ》わる為であったが、さして仕事も無く、毎日会社へ出勤するだけだったように記憶している。
二十二年一月初旬、こんな事があった。S君と二人で四骸炭へ部品を探しに行き、帰りに私は四骸炭のコールバンカーの中を見て帰ろうと思い、倉庫課の道路を通って帰るS君と別れて、暗いコールバンカーの中に入った。
コールバンカーの中には防空壕《ぼうくうごう》があり、その入り口が何処にあるかは百も承知して居ったのに、何故《なぜ》か防空壕の中に落ちてしまいそのまま気を失ってしまった。何時間経ったろうか自分には分からなかったが、気がついて上を見ると、四角い穴が見える。夢ではないかと疑ったが、段々意識がハッキリしてきて、防空壕に落ちた事が判った。
深さは三メートル以上ある。これは大変だ。上がれぬかも知れぬ。梯子《はしご》は無い。部屋の中を見まわすと、電燈線が一本張ってある。これを適当な高さに張ってその上に立てば、上の入り口の壁に掴《つか》まる事ができるかも知れない。何回も試みたが駄目だ。悪い事に、落ちたときに怪我をしたらしく足が痛い。
時々大声を出してみたが、勿論《もちろん》何の応答もない。夕方になって私が居ない事が判れば、S君が四骸炭で別れた事を知って居るので、探しに来てくれるかも知れぬ。その時の目印にと思い、腰のタオルを上に投げておいた。
だが探しに来てくれても今夜か明朝になるだろう。そんなに長くはとても生きて居られぬ。何とか自力で上がる事を考えなくてはならぬ。頼りは一本の電燈線のみだ。その高さを何回も変えては努力してみたが、どうしても上がれない。上着を脱ぎ、小便をして気分を落ち着け、又何回もやってみた。
その時、蛙《かえる》が何回も何回も繰り返し試みて遂に柳の枝に飛びついた話しを思い出し、兎に角《とにかく》死に物狂いで飛び上がってみた。息が切れて落ちると、休んで体力を蓄えては又試みた。
遂に電線の上に乗り、壁に背をつけて立つ事ができた。丁度その上部に鉄筋が出ているのに気が付き、それを掴まえた。これを離せば死んでしまうぞと思い、全身の力を振り絞ってようやく穴の上に出た時、また気を失ってしまったようだ。
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あんみつ姫