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Re: 義父の遺稿ー終戦直前より今日までの回想ー(その9)

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あんみつ姫

通常 Re: 義父の遺稿ー終戦直前より今日までの回想ー(その9)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/6/16 19:19
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
 骸炭炉のスタートが復興の第一号だったため、当日は会社の幹部やソ聯人が大勢見学に来た。こうなると日本人の面目にかけてもスムーズにスタートさせねばならず、随分緊張しながらW君に押出機の運転をさせた。

 真っ赤なコークスが押出し出され、消火棟にパタンと落下した時は実に嬉しくて一人で「万歳、万歳」と叫び、涙が止まらなかった。後から炉上に上がって来たW君も、共に抱き合って男泣きに泣いた。今まで炉のスタートを何度も経験したが、あんな感動を覚えたのは初めてであった。こうして骸炭炉は実にスムーズにスタートする事ができた。

 引続き高炉、製鉄部の各工場も、日本人の指導によって事無くスタートし、鞍山製鉄所は何年ぶりかで操業を開始した。我々が安東から帰って来た時は死の街のようだった鞍山も、活気を取り戻し、昔の姿に戻った感があった。製鉄所の復興を記念した祝賀会では、日本人はその功績が大きかっ たというので表彰され、一人づつ壇上に上がり胸に大きな花をつけてもらった。

 それから後は、私は余り働かなかった。もうスタートしたのだから何か問題があった時に聞きに来いと言って、殆ど事務所に居った。我々は責任を果たしたのだから、早く日本に帰してくれと願ったが、中々思うようには運ばなかった。

 鞍山にはもともと製鉄所に勤めて居った者の外に、北満の開拓団《注1》から苦労して流れて来た若い男女も相当居った。我々と同じ単身寮で生活して居ったが、彼らの生活は苦しく、食生活などは我々とは随分違っておった。

 家族持ちは畳も無く、アンペラを敷きベッドの生活であったが、食事に困るようなことは無かった。しかし、何としても早く日本に帰りたいという気持は一日として頭から離れず、精神的には追い詰められたような生活であった。

《注1  開拓団》
《満蒙開拓団、日本から中国東北部へ送り出された農業移民団で約30万人。
 ソ連参戦により多くの犠牲者、孤児を生じるなど大きな被害を出した》
 

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あんみつ姫

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