Re: 義父の遺稿ー終戦直前より今日までの回想ー(その3)
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義父の遺稿ー終戦直前より今日までの回想ー <英訳あり> (あんみつ姫, 2005/6/16 18:51)
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あんみつ姫
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ソ聯人は工場を撤去して持って行ってしまえば用がないのだろう。後はパーローの天下になったり、国民党の天下になったりで、内戦は絶えなかった。
工場は細々と、残りの設備を動かしたり止まったりして居った。十二月頃だったろうか、工場から電話が懸ってきて、ブロワーの故障が直ったので、炉をスタートすると連絡があった。
スムーズにスタートさせる為に、私も工場に行こうと思ったが、その時はもう薄暗い六時過ぎで、外出禁止時間だったのでとても一人では行かれない。
ちょうど私の家の上にパーローの幹部の宿舎があるので、そこへ行き事情を話し、工場まで送ってくれと頼んでみた。「よく来てくれた。ただ今来客中だから済んだら送ってやるから待って居れ。」といわれ、待って居ったが何時まで経っても何の気配もない。その内に銃声が聞こえ、それが次第に近くなり、この家を襲うための攻撃ではないかと感ずるようになった。
部屋に居った者も何処かへ出て行ってしまい、銃声はいよいよ激しく、ここを襲う目的である事はハッキリして来た。
とんでもない事になってしまった。この部屋のどの位置に居れば弾丸が当らないかを調べ、そこへ伏せて居った。その内に満服《=満州人の服装》抜き身の日本刀を持った日本人の軍人が入って来て、『誰か居るか』と怒鳴った。「私は日本人です」『よし』『おい、ここにあるぞ。持って行け。』と、弾丸箱であろう、そこにあった箱二個を、後から来た兵士に持たせ、電燈を刀で壊すと部屋から出て行った。
辺りは真っ暗闇《まっくらやみ》であったが、二階からは呻《うめ》き声が聞こえ、誰かが殺《や》られたのであろうと思った。やがて静かになったので、私は家に帰りたいと思ったが、例の兵士が傍を離れず、トイレにまで付いて来て帰れない。夜が明けたので、もう一人で帰れるからと言っても帰してくれない。その内に二人の兵士に囲まれるようにして外に出、市公舎に連れて行かれた。
家内や子供は銃声が激しくなった時、現場近くのI君の家まで来て様子を伺っていたようだ。
私が外に出ると、窓から心配そうに覗《のぞ》いている家内達が見えたので、「何も心配はいらん。直ぐ帰るだろうから。」と言って私が通ったので、ともかくも私が無事で居ることは判った。
市公舎に行っても別に調べるでもなく、殆ど《ほとんど》一日止められ、夕方警察の牢《ろう》に入れられた。
四・五畳くらいの部屋で、部屋の中に便所があり、味噌《みそ》も糞《くそ》も一緒だ。そこに四人くらい入っており、食事といえば高粱《こうりゃん=もろこし》とタクアンだけであった。
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【鞍山の工場】
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あんみつ姫