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Re: 義父の遺稿ー終戦直前より今日までの回想ー(その10)

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あんみつ姫

通常 Re: 義父の遺稿ー終戦直前より今日までの回想ー(その10)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/6/16 19:20
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
 その内に日本と文通できるようになり、単身者にとっては帰国させた家族の消息が判り、また新たな心配も出てきた。

 私も家内からの手紙で、無事郷里に着いたが、頼りにして居った土地は不在地主《ふざいじぬし=戦後行われた農地改革、所在地に居住していない地主は所有権を失った》で取られ、生活は苦しく、子供が遠足に行くのにおにぎりしか持たせてやれなかった事、米を買うのにも事欠く事、家内が行商をして僅《わず》かな収入を得たことなど、余りにもみじめな生活であるのを知り、涙が出て一晩中眠れなかった。

 その後、家内は小学校の教員になり、私の中学校時代の同級生が校長をしていたので、何くれと面倒を見てくれた事を知り、多少安堵《あんど=安心》した。しかし抑留期間中の生活は、このように気の滅入る事ばかりではなく、結構楽しい事もあった。

 休日にOさんと鉄西の奥の湖に行き、投網で魚を採ってきてフライにしたり、前夜池に針を仕掛けておき、翌日行ってみると大きな草魚《そうぎょ=大型の淡水魚、中国や台湾に多い》が掛って居り、刺身にして食べたりした。あんな大きな草魚がいることや、あんな方法で採れることなど、驚くことばかりであった。

 日本酒は勿論《もちろん》ない。白酒(パイチュー)に四季折々の果実と砂糖を入れ、三週間くらい置くと、白酒のあの嫌な臭いが消え、結構上等なブランデーが出来た。余り酒を呑《の》まない私だったが、果実によって色の異なるブランデーを何種類も作っておき、少しずつ呑むのも楽しかった。中でも初夏に採れる梨《なし》(南カン梨という小さな梨)を入れて作ったブランデーは中々美味であった。

 お盆には寮の庭で子供達も全員加わって、盆踊りもやった。丁度、私が木曾踊りを知って居ったので皆に教え、中々上手に踊れるようになり、お盆には中国人も見物に来た。

 秋には運動会もやった。謡曲会、コーラスの会、ダンスの会、麻雀《マージャン》会などもあって、結構楽しかった。

 麻雀については面白い話しがある。

 中共《=中国共産党》の天下になってから麻雀は禁止され、各人の持っている麻雀牌《マージャンぱい》は集められてストーブで焼かれてしまった。しかし日本人は賭《か》け麻雀をやって居らなかったので、大目にみてくれて所持を許されて居った。

 旧正月の日、中共のポリさんが麻雀を借りに来た。麻雀は日本人の所にしか無かったので、遊びたくなった彼らが寮までやって来たのだ。不許可の麻雀を日本人にだけ許可してくれているのだから、貸してやろうという事になり、何組か貸してやった。ポリさん大喜びで夕方返しに来た。



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あんみつ姫

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