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特攻インタビュー(第1回) 前編 その2

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通常 特攻インタビュー(第1回) 前編 その2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/12/1 8:22
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 前村 弘氏(前編)その2

 --------長崎にいらっしゃったご両親からは「頑張って来い」とか言われたんですか?

 前村‥特に……親父はどうも軍隊が好きだったみたいでね、「よく合格した」って私を褒めてくれたんじゃないでしょうか(笑)。親父はそういうところがありました。
   
 --------お母様は?

 前村‥親不孝だったかも…(笑)。

 --------前村さんは、ご兄弟はいらっしゃったんですか?

 前村‥私は男3人、女4人の7人兄弟なんですよ。ちょうど私は真ん中でしたから、一番甘えて一番楽して育ってるんじゃないでしょうか。兄貴2人がすでに働いていたし姉も働いていました。だから、親の金を誤魔化しちゃ遊んでましたよ(笑)。

 --------お兄様は軍隊ではなく、どちらかで働いていらっしゃったんですか?

 前村‥ええ、三菱造船でね。1人は三菱電機でね。そのうち下の兄貴の方が先に軍隊に召集受けて、まもなく上の兄貴の方も召集受けて軍隊に行きました。そうしたら三菱電機に行っていた姉まで、いつの間にやら北京に行って憲兵隊か何かでしばらく働いていました。

 --------それは事務か何かで?
 
 前村‥そうです。私は東京に就職しているし…。家の中は、本当にガランとしていたと思いますよ。妹達、私より3つ下のがいたくらいで…女学校に入ったばかりじゃないですか。

 --------お兄様2人は陸軍に取られていったんですか?

 前村‥はい、両方とも陸軍でしたね。

 --------ご健在で帰って来られたんですか?

 前村‥長兄だけはフィリピンで戦死しましたね。2番目の兄は終戦と同時に2~3カ月経ったら帰ってきました。
 中国にいたんですよ。満州じゃなくて中国で終戦になったので無事に早く帰って来ましたよ。もちろん姉も早く帰りました。

 --------当時は、兵隊になるとき奉公袋とかいろんなのを持って入るっていうのがルールだったという話を聞きますが、特にそういうものもなくて国民服みたいなのを着て浜松に入営されたという感じなんですか? 私物とかはいくらか持って行けたのでしょうか?

 前村‥私物はね、多少は…。でも私物はほとんど持って行かないですね。

 --------陸軍特別幹部候補生と言われても、我々の世代は解らない人がほとんどだと思うのですが、説明していただけますか?

 前村‥おそらく陸軍特別幹部候補生を創設した目的は、軍部の方では士官学校とかいろんな制度がありましたけども、優秀な下士官を養成するという目的で出来たみたいですね。だから、入隊するときは二等兵でなく一等兵で、星2つ (階級章) で入っているわけです。その代わり特別な一等兵だということで星に座金(ざかね)みたいなのが付いた。一応、募集するからには優遇してやらなきやいかんと思ったんでしょうかね。そして兵隊に入って驚いたのは、私ら18歳のほかに15~16歳くらいの年下の人が一緒にいて、子供みたいのと一緒に訓練を受けたことです。だから特別幹部候補生といっても何だかピンと来なかったです。

 --------年齢差関係なく一緒ということでしょうか?

 前村‥一緒ですね。ただ、体格的に身長が少し小さいとか痩せているとか…。そういう人だけは特別にある斑にまとめられて、牛乳だとかりんごだとか、我々より美味しいものを食べている連中がおりましたよ(笑)。〝増健兵″って言ったっけな。いわゆる健康な兵に育てようという意味の制度があったんですね。

 --------兵隊では考えられないくらい羨ましいというか…。

 前村‥そうです。我々普通の人間は何でもないのに、あいつらは牛乳が余計に付いている、りんごが1つ余計に付くでしょ……だから羨ましい(笑)。

 --------物資は乏しくなるし……食い物の恨みは恐ろしい(笑)。
 
 前村‥そうそう(笑)。増健兵であった人で元気でいるのがいますよ。こないだのテレビの特攻取材に写っていた可愛い顔した男なんかそうですよ(笑)。

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