特攻インタビュー(第1回) 前編 その8
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特攻インタビュー(第1回) 前編 (編集者, 2011/11/30 8:35)
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陸軍航空特攻 前村 弘氏(前編)その8
◆陸軍飛行第六二戦隊への配属
--------この後、昭和19年12月に卒業されて、すぐにいよいよ実戦部隊へ配属となったのでしょうか?
前村‥そうです。ただ、私たちは12月の20日過ぎに卒業して、10人が飛行第六二戦隊に一緒に赴任しましたが、そのまま宇都宮に2~3カ月残っていたグループもいたんです。翌年3月になってから六二戦隊に来たのがいます。ここにいる花道っていう、この間テレビに出ていました彼なんかは、私らより六二戦隊に来たのが3カ月も遅れている、そういう者もいたんですよ。
--------前村さんは配属が決定されてすぐに?
前村‥はい、すぐですね。10人の中で私が一番年上なのか成績が良かったのか、先任で号令かけて申告したりしたもんですよ。
--------それで西筑波の方に赴任されたわけですね。行ったらビックリされたとか?
前村‥そう、行ったら誰もいないんだ(笑)。その代わり楽でしたよ。炊事場にいけば白米の飯はたっぷりくれるしね。それこそ半分しか食えないくらい大目にくれるんですよ。酒はくれるし航空糧食はくれる。毎日毎日、将棋をやったり。あんまり暇なんで男のくせに刺繍までやりましたよ (笑)。
--------そのとき飛行第六二戦隊の本部隊は南方にいて、筑波に移動中だったのですね?
前村‥そうなんです。フィリピンのクラークフィールドからナムレア、スンゲイパタニ、アピ、サイゴン、海口を経て、台湾の嘉義に1回着陸して、福岡、福生、再び残留者の輸送に台湾へ向かう途中、経由地の上海で戦闘機に攻撃され、その間にずいぶん死んだ人もいましたね。うちの中隊長なんかは上海の飛行場の手前で撃たれて、背中に火傷をして病院に入ったっていうのもいるし、結構帰るのも大変だったみたいですよ。私らは行ったことがないから。
--------前村さんは航法学校、宇都宮に入られた段階では、まだ特幹の学生扱いだったんでしょうか?
前村‥そうです、学生ですね。階級は、もうそのときは上等兵になっていたかな。
--------特幹の卒業生として飛行第六二戦隊に派遣ということになったのですか?
前村‥そうです。ただその辺は、六二戦隊に入って3~4月くらいまでは、皆一列に上等兵として階級章は座金がついていたわけですが、4月になったら、たしか兵長になったと思うんですよ。星がなくて筋1本付いて。それで、私が沖縄に行ったのが昭和20年4月17日なんだけど、兵長で行ったのか上等兵でいったのか、よく覚えていないのですね。
--------候補生だったのですね?
前村‥伍長になって座金がとれなければ候補生なんですよ。まだ一人前の下士官じゃないんです。
--------学生扱いなんですね?
前村‥そうなんです。同期の花道と大内というのは、昭和20年5月25日に出撃しているのですが、この2人が行くときには伍長になって行っているんですよ。私は行かないものだから、こちらは伍長にならないんです。出撃する人間だけ伍長になっている。ということは、伍長で戦死すれば、特攻で戦死した人は少尉になる。ただ我々みたいに兵長で戦死したのは准尉にしかならない。そういう差がありましたね。彼らは特別待遇で行ったんです。だから私の機のすぐ前を飛んでいた同期の近藤と村瀬なんかは、戦死したけど少尉じゃなくて准尉になってるんじゃないのかなあ。