特攻インタビュー(第1回) 前編 その10
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陸軍航空特攻 前村 弘氏(前編)その10
◆戦隊訓練開始(2)
--------特操出の空中勤務者であるとか、士官学校出の空中勤務者であるとか、操縦がまた全然違うと思うのですが、いかがでしたでしょうか?
前村‥違いますね。特操でも1期生の古いのは上手でした。
--------来たばかりの操縦の方が来ると、ヒヤヒヤもんですか?
前村‥そりゃそうですよ (笑)。やはりヒヤヒヤもんですよ。
--------気持ちとしては、特攻隊で出撃するのと、あまり変わらなかったのでは?
前村‥そうそう、いきなり機体がバウンドするしね。やっぱり恐かったですよ。
--------3月になって、大分海軍航空基地の方に行かれるんですけれども、それは跳飛弾爆撃の訓練ということで行かれたのでしょうか?
前村‥そうです。一応名目上は跳飛弾爆撃訓練という日的ですが、実際の訓練は挑飛弾なんていうものは落としたことないんですよ。軍艦めがけて、さっと低空で行って軍艦の甲板をスーツと乗り越えて、また超低空で離脱する、でまた超低空でやる、こういうすれすれの飛行訓練を1日、午前・午後と繰り返します。
私の記憶では午前中12回、午後12回というふうに覚えているのですが、実際にはそんなに行ってないかもしれません。それほど体が続かないと思うんですよ。ああいう飛び方をするには、本当に体力がいるんですよ。こうしたときに、よくGがかかるっていうでしょ、たしかにその通りなんです。頭が上がらないくらいのGがかかってくるんですよね。そういう訓練を1週間~10日と何度も繰り返しましたね。
--------あれは飛行第六二戦隊の全機が行ったのではなくて、そのうちの何機かが派遣されたのですか?
前村‥そうです、全機じゃないです。たしか全部で8機~10機くらいいたのかな。そのうちの1機が、軍艦の甲板を乗り越えたのはいいけど、降りすぎて洋上に接触して飛行機が真っ二つに割れ、それに8人乗っていて4人くらいが死んだんじゃないですか。残った4人は病院へ収容されました。その中に1中隊の中隊長の岩本大尉がいたんです。病院へ収容後、1週間~10日で帰ってきましたが……1カ月後には飛行機が墜落して、その人も死んだ。別府湾で洋上に接触したのはその1機だけでしたよ。
--------海軍の飛行基地に移動して、どこで宿泊していたのでしょうか?
前村‥我々が宿泊したのは、海軍の基地にあった広い体育館みたいなところに座布団をひいて、そこに寝泊りしていましたよ。
--------やっぱり、陸軍の基地と海軍の基地とでは違うところがありましたか?
前村‥そこは臨時の宿泊所だから正式じゃなかったです。10日~2週間くらいいたのかなあ。1週間か10日くらい経ったら、米軍艦載機の爆撃が始まったんですよ。3月18日に爆撃くって慌てて逃げ出して、19日の朝に筑波に帰りました。