特攻インタビュー(第1回) 前編 その3
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特攻インタビュー(第1回) 前編 (編集者, 2011/11/30 8:35)
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陸軍航空特攻 前村 弘氏(前編)その3
--------特幹兵というのは、歩兵さんとか砲兵さんとかを育てるというより、航空兵になるというのは、最初から決まっていたのですか?
前村‥そうですね。最初から決まっていて、特別幹部候補生としての科目で、操縦と整備と通信と射手も教育したんだろうと思いますね。大体そのような兵科専門の下士官を育てようとしたみたいですね。その中に航法っていうのは当初なかったんです。そのほかには船舶兵をたくさん採用したらしいです。
航法っていうのは、特別幹部候補生として応募して、その後にですね。特別幹部候補生から航法を育てたほうがいいということになって、満州の白城子にあった航法学校・操縦学校を戦争の情勢があまり芳しくないというので、急きょ昭和19年に宇都宮へ引き上げました。宇都宮で新しく航法学校・操縦学校を開始したときに、我々150人の兵隊が初めて航法学生として入ったわけです。それまでは航法士の養成は年間20~25人とか、その程度の人数の教育しかしていなかったんです。
--------それまで陸軍航空部隊で航法というのは、特に勉強もせずにいたのですか?
前村‥それまで陸軍は、山や川や海岸を地上の目印にして飛ぶ地文航法でしたが、敗戦色が濃くなってくると何の目印もない洋上を飛ぶ必要に迫られ、他の航法を勉強せざるを得なくなってきました。それまでは南方で、どうしても洋上での航法が必要になったときは、海軍から偵察員を呼んで派遣してもらって、飛行機は陸軍の飛行機だけど、航法は海軍の入っていうのを結構やっていましたよ。陸軍の雷撃隊だとか爆撃隊なんかそうですね。海軍は〝航法士″って言わないで "偵察員″って称していましたね。
--------浜松に入営したときの話に戻るんですが、入営して最初の訓練は考えていたことと全然違った印象でしたか?
前村‥浜松に入隊しましたらね、我々は中学時代に軍人として基本的なオイッチこ、オイッチこの行進だとか銃の持ち方だとか、ひと通り終わっている訳です。だから、どっちかと言ったら飛行機の整備。つなぎの作業服を着ましてね、当時の中国人みたいな作業帽を被って、飛行機のエンジンの教育をだいぶ受けました。
--------それは後々の職種と関係なく全員が必ずですか?
前村‥そうです。ただし、我々の中隊は重爆のエンジン、8中隊・9中隊は軽爆のエンジンとか。それから違う中隊は機関銃の整備だとかね、そういうものをやっていましたね。
--------そうすると、入隊したときにルートは事前に決められていたのでしょうか?
前村‥決められていますね。入った教育隊でも、中隊ごとに違っているということで、ほぼ決められていましたね。
--------それはご自身の志願ですか?
前村‥違います。
--------前村さんが入隊した時点で、戦闘機の空中勤務者になりたいお気持ちなどありましたか?
前村‥いや、それはとても予測もできませんでしたけれど、入隊した当時は軍隊の命令の赴くままという感じでした。3カ月の基本訓練が終わってから、後輩の第2期生というのが入ってくるわけですね。
その際に、私が班長から信用があったのか、皆、南方や中国に持って行かれて転属になってゆくのに、私と松本と大野っていう3人だけが、次の2期生の指導候補生として残されたんですよ。残されてまた一生懸命、初年兵の訓練・指導をやっていましたけれども、ちっとも面白くないんですね(笑)。
そしたらある日、兵舎の出入口付近に空中勤務者になるための試験の告知ポスターが貼り出されていました。