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Re: 八つ割れ草履 (かれい)

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kousei2

通常 Re: 八つ割れ草履 (かれい)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/2/15 11:08
kousei2  長老   投稿数: 250
DOZEさん こんにちは

> またすごく懐かしい履き物が出てきましたね。写真のような上等ではなく、もう少し雑な作りだったように覚えています。

おお、DOZEさんもご存じでしたか。
写真では上等に見えるかもしれませんが、書きましたように、表は井草《いぐさ》
代用品ですし、裏も桐ではなく、比較的重い雑木ですので、普段用の履物だったんだろうと思います。

> 戦前の大阪の船場の町並みは舗装が木煉瓦で出来ていましたのでそこで履くのにはちょうど良かったのかも知れません。木煉瓦舗装というのは堅い木を煉瓦状に切りそれにアスファルト?を漬ませて作った煉瓦を道にきっちりと敷き詰めたもので、鉄の輪っぱを巻いた車輪の牛車やら馬車では騒音の防止にもなったようでした。

木煉瓦の時代は私は知らないのではないかと思います。ただ、娘時代に鉛
筆のように細いハイヒールが流行りまして、私も愛用してたのですが、ヒ
ールがよく穴ぼこに挟まりました。(^^ゞ もしかしたら、そういう道路
も残っていたのかなと、今頃思っている次第です。

ゴムのない時代の車輪には、木の煉瓦はあたりが柔らかいですね。

> そのような道をあの草履を履いて職人のような方が歩いていたような記憶があります。私は当時朴歯の高下駄を履いていました。家は商家でしたが、家ではあれは使ったのを見たことがありませんでした。歩くとき一寸変わった音がしていたような気もしますが定かではありません。

なるほど、履物にはそれぞれ独特の音が伴いますね。
朴歯の高下駄は私も知っています。高校生以上でしょうか、それとも年頃
の若者が好んだんでしょうか、今、考えれば、よくあんな歩きにくそうな
ものを履いたものですね。一種のファッションでしょうね。高下駄にも何
かメリットがあったのでしょうか。

男物で畳表のついたペタンコの草履がありましたよね。
学校の用務員のオジサンなんかも履いていたと思います。廊下を歩いても
音がしないのでよかったんでしょうね。

            かれい

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