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特攻インタビュー(第2回)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/1/26 7:40
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 
 陸軍航空特攻 中村 真 氏

 ◆空中戦で撃墜され海上に不時着(2)

 --------機体の被害状況はどうだったのでしょうか?

 中村‥操縦席のガラスは厚さ5cmはあった防弾ガラスを含めて全て吹っ飛んでいました。たぶん飛行機は後上砲の部分から真っ二つに折れて、主翼だけで浮かんでいたんだと思いますね。
 主翼の3番タンクが空で浮き袋になっていましたから。最初は浅瀬に着水したと思ったんですが、あんな海の真ん中に浅瀬なんかあるはずがないからねぇ。

 泳ぎには自信がないし、さてこれからどうしたものかと考えていると、「中村、中村!」と私の名前を呼ぶ声がする。見回すと私の立っている主翼の後ろの海の中から、藍原少尉が周囲の海を血潮で真っ赤に染めて、「オーッ」とこう(手振りをされて)手を振っている。私は「あっ!藍原少尉、やられましたね!」って言いながら、飛行機の上に引っ張り上げてやろうと思って手を差し延べたとたん、ウワウワッと(身振りをされて)今まで浮かんでいた機体がまるで吸い込まれるように海中へと沈んでいったわけです。

 考えてみればね、500kgの爆弾を吊ったまんまだから…あれは、本当は途中で捨てたかったんですよ。だけど、敵がいないのに海に捨てるのももったいないし、もしそれが島なんかに当たって爆発した場合に、住民が怪我したり死んだりしたら、また気の毒だし。また海面スレスレに逃げていましたから、高度100mくらいのところであの爆弾を離したら、どういう具合に機体へ跳ね返ってくるかも分からない。だから結局、爆弾を捨てるチャンスを失って、そのまんま海の中に飛び込んだわけだから…。発見されたこの飛行機にも(手記をご覧になって)、500kgの爆弾が積んであるからね、って言ったら(笑)、教えてくれた方が「現地に直ぐに連絡します」と言ってました。その後のことは、聞いてませんけど…。

 尾部には藍原少尉のほかにも小林曹長という射手が乗っていましたが、もう最初からどうなったか消息が全然分からない。この飛行機を海中で発見したウィンズ・インターナショナルの社長に、遺体みたいなものはなかったかって聞いたら、見つかんなかったって言うから…。まあ、60年も経っていればねぇ、人間の骨もなくなっちゃうのかもしれないですね。

 --------まあ、機外へ流されちゃったかもしれませんしね。どこか飛行機とは別のところへ…。

 中村‥そうですねぇ…。なんせ爆発してるんだから、遺体はフィリピンの海の底にあるのでしょうが、どうなっているか分かんないもんね。私の機は爆発しないで平らに沈んだから、多分これは私の機だということなんだけど、確証はないんです。確証はないけれども、ここに今持って来ているビデオ映像には、もう細かくあっちからもこっちからも、イソギンチャクがくつついたような左発動機やら20mm機関砲やら何やらが映っていまして、私が引っ張っていた操縦桿も映ってるので、あの状況から当時爆発しないで、そのまま平らに沈んでる飛行機は、私のぐらいしかないのではと思っているわけです。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/1/25 8:04
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 中村 真 氏

 ◆空中戦で撃墜され海上に不時着(1)

 --------空中戦で撃墜され海上に不時着されたときは、命拾いしたっていう思いなんでしょうか?

 中村‥「やられたな!」っていう感じでしたね。敵の追尾は戦闘機4機。海面すれすれに飛びながら、辛うじて墜落を防いでいた私は、足下を飛び去ってゆく海面を見ているうちに、これはここで死ぬのかなと一瞬思いました。でも死ぬときは、父母や姉妹の顔が走馬灯のように思い浮かぶという話を聞いていたけど、ちっとも浮かんで来ない。降り注ぐ光の玉を4~5回かわしているうちに、光の玉から逃げないで向かって行ったら何とかなるのではないか、えいっ!ままよ、と光の玉の流れに右旋回で突っ込んだ瞬間、操縦席にまともに敵弾を喰らいました。私の耳元でパパパパッていう弾の音、目の前に並ぶいろんな計器盤が一瞬にしてすっ飛んで砕け散りました。あっ!と思った瞬間、飛行機は右の翼端から海中に旋回する形で突っ込んだ。

 海水がもの凄い勢いで操縦席に飛び込んでくる。息を詰め目をつぶって、私は操縦桿にしがみついて両足を踏ん張り力一杯引っ張りました。操縦桿を前に抑えたら飛行機はグイと海の底へ落ち込む、操縦桿を引っ張り上げていれば尾部が下がる。海水が入って来ても空気の流れと水の流れと同じだから、操縦桿を引っ張ってれば何とか頭から機首が海底に突っ込まなくて済むんじゃないかと、とっさに思ったからですね。

 顔や身体が変形しそうな勢いの海水の流れを全身に受けました。ガーツ!と凄い水圧で、こりゃ大変だと。私らの飛行機の操縦席の計器盤の、このぐらいの厚さの鉄板が置いてあって、背中にも同じような鉄板が置いてあるんですよ。「これはぶつかったらサンドイッチだなあ!」なんて言ったことがありましたけどね。そういう飛行機に乗ってたわけだから。そのせいかも分からないけれど、ああいう具合に火を噴いて落ちていく自分の友軍機を見ると、あんな鉄板はあまり防弾としての効果はなかったかなと…。なんせ爆撃機の弱点っていうのは、両サイドと前方の上なんですよ。
機関銃やら機関砲が後と前を向いてありますが、横と前の上っていうのは爆撃機の弱点なんです。そこには何もない。そこを狙われるといっぺんに逝っちゃいますね。

 海水の流れを全身に受けて何秒何分が経ったか、気が付くと機はぽっかりと海面に浮かんでいて、機関係の河井軍曹が浮かんでいる飛行機の左の主翼端に出て、まさに海に飛び込んで泳いでいくところでした。あの間、私は失神していたといいますか、気が遠くなった瞬間があったんじゃないかなと思いますね。まあ、あのときはいろいろ感じましたよ。あれれ、河合軍曹が海に飛び込んでいっちゃう、さあ、俺はどうしようかと。私が操縦席から「おい!河井軍曹! どうするんだ?」と訊ねると、河井は「向こうに見える島まで泳いで行く」と言いながら、航空長靴を脱ぎ捨てて飛び込んで行ってしまった。見ると、遥か水平線の彼方にうっすらと島影らしきものが見える。

 私は操縦席に座ったまま腰まで海水に浸かっていたので、持っていた航空地図を破り捨ててゆっくり左主翼の上に出ました。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/1/24 6:39
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 中村 真 氏

 ◆編隊は次々に被弾炎上し海中へ落下(2)

 --------9機編隊の半分近くが、その時点でやられてしまったのですね…。

 中村‥そうです。それでも私は単機になって海面スレスレに飛び続けました。左エンジンがやられているんで左旋回ができないから、右旋回・右旋回で少しずつ旋回しながら敵の攻撃をかわして、なんとかして島近くへ不時着をしようと思いながら逃げていたんですけど、敵もさるもので、私が (手振りで左側) こっちしか回れないもんだから、こっちから弾を流して後上方から執拗に撃ってくるんですよ。機関の河井軍曹が副操縦席から必死で左エンジンのレバーをあおっている。こう(右側を)見てると、アメリカ軍の曳光弾が光の帯になっていました。日本の曳光弾は7発に1発しか入ってないから、あまり光の帯っていうことにはならないけれども、アメリカ軍の機関銃には3発に1発の曳光弾が入っているので、ガーツと出れば黄色や赤の光の帯です。それが右の方から、こういう風に流してくるんですよ。で、私の機はこっち(右) にしか回れない(笑)、どうしても機に弾が当たってしまうよね。

 --------曳光弾の光は記録映画では見たことあるんですが、生で見ると恐怖心が湧きますでしょうか?

 中村‥いや、ほとんど音は聞こえないです。ただ、光の帯がサーッと来て機体に当たればボコボコと穴が開きます。こっちは恐怖心というよりも、操縦しながら「ちっきしょう!」 っていう悔しい感じですね (笑)。あのときに後上砲の藍原少尉とか尾部の小林光五郎曹長はどうなっていたか、よく分からないなあ。藍原少尉の撃つ後上砲20mm機銃の射撃音も途絶えがちだったし、前方に通信の足立伍長を移したから、13mm機銃で応戦しているものの、うまく当ててくれなかったんじゃないかなあ。敵が落ちたっていうのは、全然感じなかったものなあ…。こっちがやられて落ちたって感じでしたね。これが戦闘機だったらなあとつくづく思いましたよ。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/1/23 7:58
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 中村 真 氏

 ◆編隊は次々に被弾炎上し海中へ落下(1)

 --------12月14日の出撃も、敵機がワーツと来て、当然射手も撃つのでしょうけれども、そんなときでも編隊長に付いて行くというのが、操縦士の基本だったのでしょうか?

 中村‥そうです。加速度をつけながら降下する9機編隊が、だいたい時速350kmくらいの速度で、これ以上の速度だとフラッターを起こすけど、なにくそっ!とばかりに編隊長機に合わせて食い付いて行くわけです。そこへ敵が後上方から、攻撃をかけて来ます。編隊長機の後上砲射手・戸田軍曹が一番よく敵が見えるので、彼が歯を食いしばって20mm砲をガンガン撃ちまくってるのが見えました。後で考えると、本当は何で敵の船がいないのに、特攻隊の編隊を出動させたんだろうと。考えてみれば軍司令官の命令でしょ。丸山大尉は、なに馬鹿なことやったんだろうと、こう思ったんですよ。だから、丸山大尉はどうすることもできない。現場に行ってみたら敵の船がいない…、自分は48名の部下の責任者を命じられている。さあ、どうしようと、丸山大尉は悩んだんじゃないかなあと思いますね。私がもし特攻隊長を命ぜられた丸山大尉の立場だったら、どういう判断をしたんだろうと思って…、なんせ敵艦が全然いないんだから…。上空にはアメリカの戦陣機サンダーボルト (P-47) が18機くらいで待っていたって、秦郁彦さんの調査では書いてありましたけどね。

 降下していったはいいんだが、高度計が100mになったとき、今度は突然隊長機が突っ込みながらの急角度の右旋回を始めました。時速350kmくらいで行ったやつが、ここでレバーを絞らないと(手振りで)こっちに出ちゃうわけですよ、私らなんか。あるいはこっちに出ちゃう。内側の私は仰向くような形で旋回する。レバーを絞るので速度が急激に落ちます。海と島影が目に入る…。体当たりする敵の船はどこだ?と一瞬思ったが、失速寸前の今はそれどころじゃない。これは大変な旋回をやってるねって瞬間思って、こいつはこう出ないと俺のほうが落っこっちゃうから、長機の下を向こう側へ潜り込んで抜け出ようと思ったときに、敵の弾が私の機に当たったんですね。旋回のときは機体が失速するから狙われやすい、敵はそこを突いて撃ってきたんでしょう。

 幸い右旋回中だったから、私はすぐに右エンジンの回転を上げ、プロペラスイッチを下げて片発飛行に移りながら右上方を見ると、さらに旋回半径が大きい3番機は、グワングワンとエンジンをふかして長機を追っかけないといけないのですが、その3番機の久美田軍曹機も敵にやられて火がついて、私の目の前で主翼から真っ赤な炎と黒煙を噴出させながら、海中に突っ込んでゆきました。操縦席の後ろで、日の丸の鉢巻をしめた機上機関の富田軍曹が別れの手を振ったように見えました。あれは本当に気の毒でしたね。私の飛行機も、そのときボコツという衝撃と一緒に、左のエンジンに敵の弾を喰らって、ガガツと火が出て黒煙を噴出し空転しだした。ああ、こりゃダメということで編隊を離脱しました。2番機は離脱、3番機は火を噴いて落ちて、大音響を上げて爆発を起こす。編隊長機はそのままダーツと、右へ旋回を続けていくと。それが第1編隊ですから3機、それから第2編隊、第3編隊とあるわけです。他の5機はどうしたか分からないけれども、私が編隊離脱するときに2機火を噴いて落ちてゆきましたから…。3番機が落ち、2機が先に落ち、私の機が片方のエンジンをやられて落ちると、あのときは第1撃で合計4機が落ちたと思いますよ。海上のあちこちで我が方の機であろう爆発が相次いで、ガソリン特有の真っ黒な煙と真っ赤な炎が噴き上がっていました。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/1/22 7:30
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 中村 真 氏

 ◆運命の昭和19年12月14日(4)

 --------出撃した後は隊長機に付いて行くつていう感じだったのでしょうか?

 中村‥そうです。通信士の足立伍長を前方の銃座に移したので、それからは僚機との通信は不能です。なんせ5人しか乗っていませんから、後はもう隊長機の動きに合わせます。重爆の爆撃でも、いざ編隊で爆撃となったら、爆撃手は自分の照準は止めて、隊長機の爆弾が落ちるのを見てるんですよ。安全安全で用心しながらボタンを握っているんですけどね。それで隊長機の爆弾が落ちたのを見た瞬間に、自分の爆弾投下のレバーを握るわけですから。編隊長機が偏流測定から何から全部やって、それに合わせて自分たちも行動するということですね。通常一個中隊は3機。50kgの爆弾を11発積んでいるので、一度にドサッと爆弾が落ちます。

 --------爆弾がドサッと落ちた瞬間は、機が軽くなってフワッと浮いたりするのでしょうか?

 中村‥いや、浮いたりは感じませんけれども、機が軽くなります。

 --------そのときは操縦の微妙な調整をするのでしょうか?

 中村‥ええ、それはあります。敵の高射砲弾が空中でボンボンと炸裂して上がって来る。それに合わせて飛行機の動揺を抑えるというようなこともパイロットの重要な役目です。そうしないと、ちょっとこう飛行機の角度が変わっただけでも、射手の照準も爆弾の照準も、全部変わってきますからね。

 --------そういうときは、敵がパンパン撃ってきても、自分のやらなければならない任務があるわけですよね。恐いとか何とか言ってる暇はないわけですね?

 中村‥そうなんだね(笑)。

 --------よく「恐くないんですか?」なんて聞かれることはありませんか?

 中村‥恐いとか何とか言っている暇はないですね(笑)。だから私らなんかは、戦闘隊形、翼が重なり合うくらい編隊長機に接近してガーツて操縦するわけですから、今考えると、射手なんかもずいぶんやりにくかったんじゃないかと思うんですよ。細かい舵を使ってエンジンをふかしたり、あんまりふかすと編隊長機の前に出ちゃうし、絞りすざると後に下がるし。そこをブーツブーツとやって、編隊長機の傾きに角度を合わせるから、細かい舵を使うでしょ。横向きの機関銃手なんかは、しょっちゅうこうなっている (揺れている)わけですよ。あれは訓練も本当はやっとけば良かったかな、なんて思いますね。

 ざっくばらんな話をすれば、満州での射撃訓練では、戦闘機が大きい吹流しをブーツと引っ張りながら飛ぶわけですよ。我々は飛び上がったら、一回りしてその戦闘機を後から追いかけて、乗ってる射手の人たちが、機関銃やら機関砲やらパンパンと、その大きな吹流しを目がけて撃つわけです。自分の弾には色が付いているので、地上に降りた後でその弾痕を見れば、誰が撃った弾か判るわけです。私らなんかも成績の悪い下士官が乗るとね、後から行って吹流しと編隊を組んでやることがあるんですよ。そうすると通り越せば良いんだけど、そこでウツと止まって、その時パンパン、パンパンと撃つと、自分の撃った弾が一杯当たった形跡が残るんです。後で帰って来て点検してみると、「おっ! 何々軍曹の弾は、いっぱい当たってる!」と。

 本当は吹流しと編隊を組んでやったんですけどね (笑)。そうすると射手が、私のところにお礼を言いに来るわけですよ。「どうも有難うございました!」って (笑)、お土産まで貰いましたね、羊羹貰ったり(笑)、こっちも「おお、そうか!」なんて…。でも、ああいう訓練じゃ実戦ならどうなんだろうと思ってね。それこそ、戦闘隊形をとって細かい舵を使った場合、安定した銃の照準ができるかどうかは難しいですね。もうちょっと実戦に即した訓練の方法があったんじゃないかなと、後になって考えていますが…。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/1/21 8:42
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 中村 真 氏

 ◆運命の昭和19年12月14日(3)

 --------12月14日に出撃されて、何時間かずっと飛んでいらっしゃると思うんですけど、そういうときにはどうやって攻撃しようかなとか、考えられながら飛んでいるのでしょうか?

 中村‥いや、飛ぶ前に私の機の連中が集まったところで作戦会議を開きました。私が「一番大きな船をやってやろう。どうせ死ぬのなら相手を大勢やっつけたほうがいい。まず、俺が跳飛弾攻撃をかけるから前方射手の足立伍長は13mm機銃を全弾撃ち込んでくれ。爆撃後に敵船を飛び越して海面スレスレに飛ぶから、そしたら後上砲と尾部の13mm機銃は全弾撃ち込んでもらう。それでも敵船が沈まなかったら、反転して突っ込むからその覚悟はしていて貰いたい」と言うと、藍原少尉が「中村よ、なるべく小さい船をやろうや」なんて言ってたけど、みんな腹の中では覚悟を決めたようでしたね。

 --------そして、クラーク・フィールドからの飛行第九五戦隊7機とデルカルメンからの飛行第七四戦隊2機が上空で合流したわけですね。

 中村‥そうです。9機の編隊で行動していました。天気は良いし気流も静かでした。眠くなるような気分でしばらく飛んでいると、編隊長機がどんどん高度を下げだしたので、これは敵の陣地が近いなと思っていたら、隊長機の背中にあるジュラルミンの赤白2本の信号旗がパンと立つんですよ。「戦闘隊形を組めー」という合図です。いよいよ来たな!と私は被っていた飛行帽をはね上げて戦闘隊形に取り組みました。普通の編隊でしたら《一機高・一機幅》と言って、飛行機の高さと幅が決まっているわけです。戦闘隊形になったら《零横幅・零機高》というような具合にお互いの空間を詰めて、後上砲の集中砲火を張るわけなんでしょうね。戦闘隊形の旗が揚がったから、みんなワーツと9機が寄りました。それでパンパン敵機との撃ち合いが始まったわけなんですね。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/1/20 7:41
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 中村 真 氏

 ◆運命の昭和19年12月14日(2)

 --------そして上空での集合でしたね。

 中村‥飛行場上空で空中集合して、編隊は翼を振って飛行場に別れを告げマニラ上空へと向かいました。あとは飛行第七四戦隊と合流して、マニラの上空で援護戦闘機60機と万乗隊の残りが来るという情報でしたから、彼らを待つのにだいぶ空中で旋回していたんですよ。マニラ上空では夜も明けて良い天気でした。しかし全然姿を見せる気配がないので、隊長の丸山大尉も見切りを付けたらしく、目的地のパナイ湾へ高度3000mで向かったんでしょうね。

 --------船団攻撃は、そのとき初めてだったのでしょうか?

 中村‥初めてでしたね。船団攻撃はやらず、だいたいレイテ島のタクロバン飛行場の爆撃というのが、飛行第九五戦隊の任務でした。

 --------いきなりそれで船団攻撃の特攻命令を受けたわけですが、どうやってやろうか、つて話から始まるわけですね。

 中村‥結局、跳飛弾による船団攻撃ということでしょう。跳飛弾攻撃というのは池や水の水面に平たい石を投げると、バッハッと水面を跳ね飛んでゆくあの理屈から考えた爆撃法ですね。私たちは対ソ連戦を目標に訓練を重ねて来た部隊なので、跳飛弾の使い方も爆撃方法も、ほとんど訓練を受けていない状態なんです。結局、隊の中で訓練をやったのは1度だけだった。

 電波探知機を付けた呑龍に、専門家の少尉が「ちょっと操縦させてよ」と、北海道の根室・釧路の沖に軍艦島という島があるのですが、その島に向かって爆弾は落とさないけど、突っ込んでからガンと機体を引き上げるわけですよ。それをやったら主翼の付け根にある沢山打ってあるビスが、みんなワッと浮いちゃったっていうんですね。帯広に帰ってから整備の連中にガンガン文句言われて、「そんな無茶な操縦するんじゃねえー」なんて怒られましたけど(笑)。

 本来の跳飛弾は、海軍では反跳爆弾です。攻撃方法としては、時速350~400kmくらいの速度で急降下して、海面10mくらいをスレスレに飛んで、敵の船の100~200m手前で落としたら、すぐに反転しないと、落とした自分の爆弾が跳ね返ってきて、てめえの飛行機がやられちゃうと。そういうのは後で研究して(笑)、海軍の人に「反跳弾って、どうやるんだよ?」と聞いたら教本を見せられました。反跳弾の訓練は1回もやったことなかったですからね。主翼のビスが、みんな浮かんでしまうような飛行機だったから、向いていないというか、ちょっと重爆なんかでは無理だったんじゃないですか。山本末男という大尉が台湾沖で、敵の輸送船に跳飛弾を投下したと。それっきり何もやっていなかったらしいから…。あれは、あんまり良い攻撃方法じゃなかったんじゃないですかね。
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編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 中村 真 氏

 ◆運命の昭和19年12月14日(1)

 --------そして、いよいよ特攻出撃ですが、早朝だったのでしょうか?

 中村‥そうです。12月14日午前1時過ぎに招集がかかって飛行服に身を固め、兵舎から戦隊本部に行きました。そこでみんなで並んでいると戦隊長から、「この攻撃は特別攻撃隊『菊水隊』と命名せらる」という第五飛行団命令の示達がありました。帯広駐在時代に高松宮から戴いた日本酒で盃一杯の乾杯をして、配られた恩賜のタバコを分け合いましたね。

 --------普通に攻撃して万が一ダメだったら特攻をやればいいじゃないか、みたいなことが本には書いてありますね。

 中村‥示達の後で丸山隊長から訓示があり、その中で「確実な方法で敵を撃沈せよ」と。体当たりで沈めろとは言わなかったからね。私は最初から体当たりで敵船を沈めようとは考えていなかったです。いろいろ攻撃して、どうしてもダメな場合に最後の手段として体当たりをと思っていました。

 --------離陸のときの心境はいかがでしたでしょうか?

 中村‥午前6時半頃に離陸しました。私は2番機で単操縦、500kgの爆装なので緊張したものです。地上滑走で出発点に着きフラップを15度に開きます。尾輪固定、プロペラピッチ最低、オーバーブースト解除を再確認して離陸目標のアラヤット山を睨むと、南海の夜明けの空を背景にして地平線にくっきりと浮かんでいました。滑走路の横、遠くに見送りの戦友たちが手を振っている。操縦梓を握りしめ右手を振り上げて「出発-」と怒鳴り、エンジンレバーを徐々に前方に押し出してゆきました。愛機は待ちかねたように全身を震わせて突っ走り、最後の爆音を轟かせて大地を蹴りました。「脚上げ!」…加速度がつく…「フラップ!」…ぐぐっと機が沈む…これでよし!と。







前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/1/15 8:17
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 中村 真 氏

 ◆事前に知らされていなかった特攻(3)

 --------次の部隊は特攻出撃だというのは、当然地上の勤務者も分かると思うのですけれども、特攻へ行かれる側はともかくとして、特攻を見送る側というのは、特攻に出撃する隊員たちに対して以前と態度が変わるというのは、あったのでしょうか?

 中村‥普通でした。特に特攻だからという特別のはなくて…。ただ、我々が飛び立つ飛行場の外れの方には、見送りの兵隊さん、地上勤務の整備の人たちなんかが、ずっと整列をして手を振ってくれましたね。クラーク・フィールドから飛び立ったのが、飛行第九五戦隊の7機です。あとデルカルメンというところから、飛行第七四戦隊の2機が飛び立って上空で合流しました。

 私らの飛行第九五戦隊の場合は、1機5名ということで人数制限をしました。人事係の木村准尉が乗ったと思ったら下りてきたので、「どうした?」って聞いたら「いや、僕、交代しろって言われた」なんて…。乗る予定の人が入れ替わったり、そういった異動は出発間際までありましたよ。

 --------特攻で出撃する直前にも、同じ飛行機に誰が来るかというのは、入れ替わり立ち替わりみたいな感じで、最後までドタバタしていた感じなのでしょうか?

 中村‥ええそうです。すでに搭乗区分が決まっていても、出発間際に変更がありました。例えば私の飛行機だと、尾部の13mm機関砲射手として乗るはずだった会田という准尉さんが、直前に交代して機から降り、小林光五郎という曹長と交代になったと。そのおかげで、小林曹長は死んで会田准尉は生き残ってしまう。そのことを後々までも「申し訳ない、申し訳ない」って会田さんは言っていました。日本に帰って来てからも小林さんの遺体はフィリピンの海底にあるわけですから、『千の風になって』の歌詞ではないけれども、小林曹長の遺骨のないカラのお墓を何べんも御参りに行っていました。会田さん、もう亡くなりましたけどね…。
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編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 中村 真 氏

 ◆事前に知らされていなかった特攻(2)

 --------14日に関しては前日に「次の出撃は昼間に爆撃するぞ」ということはもう聞いていたというわけですね?

 中村‥そうです。4月13日夜に搭乗区分の発表があるんですよ。山内兵長っていうのが、「第二中隊の、明日の搭乗区分を申し上げま~す!」って、兵舎の入り口で怒鳴るんですよ。「長機‥機長・丸山大尉、正操縦・橘軍曹、…2番機‥機長・藍原少尉、正操縦・中村軍曹、…3番機‥機長・小林曹長、正操縦・久美田軍曹…」と。それで、「あ、そうか!」と知るのです。毎度おなじみの搭乗区分の告示なのに、昼間攻撃だということと、単機の時間差攻撃ではなく編隊爆撃ということから、あ、今度のはどうも特攻隊攻撃になるみたいだなと、前日の発令前にだいたいの予想がついていました。

 --------その搭乗区分があった後に、中村さんの書かれた本にも書かれていましたけども、遺書を書かれたりみたいなこともされたのでしょうか?

 中村‥ええ。でも実際に遺書が家族に届くかどうかはわかりません。軍事郵便で父母・兄弟にお別れを伝えるとか、あるいは辞世の旬を作って書いてみるとか…。多分「父母の健在を祈り、妹よ、よき日本の妻たれ」というようなものだったと思います。だいたい自分の寝る場所の整理が主でしたね。ざっくばらんな話をすると、新しい下着に替えて綺麗にしてということだけれども、新しい下着に替えたら古い下着はどうにかしなくちゃなんないでしょ?だから、私なんか2枚下着履いて行きました(笑)。どうせ向こうに行って、敵の軍艦にプチ当たって粉々になっちゃうんだ。どうせ分かんないだろうと思って(笑)。新しい下着に替えても、古い下着の処置に困っちゃうものね。

 --------台湾で買い込んでいたタバコなども、全部整備員に分けたそうですね?

 中村‥そうそう、地上勤務の兵隊さんに、みんな上げましたよ。

 --------貰った方は、喜んだんじゃないですか?

 中村‥まあ、そうですね。私がデング熱にかかって苦しんだときに世話になった機付きの兵隊さんでしたから。
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