特攻インタビュー(第2回) その17
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編集者
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陸軍航空特攻 中村 真 氏
◆事前に知らされていなかった特攻(3)
--------次の部隊は特攻出撃だというのは、当然地上の勤務者も分かると思うのですけれども、特攻へ行かれる側はともかくとして、特攻を見送る側というのは、特攻に出撃する隊員たちに対して以前と態度が変わるというのは、あったのでしょうか?
中村‥普通でした。特に特攻だからという特別のはなくて…。ただ、我々が飛び立つ飛行場の外れの方には、見送りの兵隊さん、地上勤務の整備の人たちなんかが、ずっと整列をして手を振ってくれましたね。クラーク・フィールドから飛び立ったのが、飛行第九五戦隊の7機です。あとデルカルメンというところから、飛行第七四戦隊の2機が飛び立って上空で合流しました。
私らの飛行第九五戦隊の場合は、1機5名ということで人数制限をしました。人事係の木村准尉が乗ったと思ったら下りてきたので、「どうした?」って聞いたら「いや、僕、交代しろって言われた」なんて…。乗る予定の人が入れ替わったり、そういった異動は出発間際までありましたよ。
--------特攻で出撃する直前にも、同じ飛行機に誰が来るかというのは、入れ替わり立ち替わりみたいな感じで、最後までドタバタしていた感じなのでしょうか?
中村‥ええそうです。すでに搭乗区分が決まっていても、出発間際に変更がありました。例えば私の飛行機だと、尾部の13mm機関砲射手として乗るはずだった会田という准尉さんが、直前に交代して機から降り、小林光五郎という曹長と交代になったと。そのおかげで、小林曹長は死んで会田准尉は生き残ってしまう。そのことを後々までも「申し訳ない、申し訳ない」って会田さんは言っていました。日本に帰って来てからも小林さんの遺体はフィリピンの海底にあるわけですから、『千の風になって』の歌詞ではないけれども、小林曹長の遺骨のないカラのお墓を何べんも御参りに行っていました。会田さん、もう亡くなりましたけどね…。