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陸軍登戸研究所:殺人光線?

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2007/2/6 0:30
かんぶりあ  新米   投稿数: 11

【プロローグ】
=============

 敗戦の足音が聞こえ始めたようなサイパン失陥のあと、東条内閣総辞職、代って小磯内閣が誕生、矢継ぎ早に新施策が次々と施行されて行きました。

 学徒出陣に続き学徒動員令 … そして大学の研究室に勤務する科学技術者にも有無を言わせず赤紙が舞い込む有様 …

 やがて戦局が電波兵器等の物理戦争の様相を見せるに及び、さすが政府も軍部も慌てて新兵器開発のための科学技術者の養成を始めます。

 適性があると認められた者は学徒動員令を解除、各地の旧帝大に集められて特訓が始りました。特攻研究員とでも言うような物凄い特訓を受けたあと軍の研究所や大学の戦時研究部門に送り込まれます。

 以下は連日の空襲や艦載機の機銃掃射の中を潜り抜けて研究所勤めをした当時の一若人の戦時体験記です。

 戦時下の帝都の日常の生々しい様相の一端などを、この手記から想像して頂ければ幸いです。

 もう関係者の実名を出しても迷惑をお掛けする状態ではなくなりました。


【登戸研究所の思い出(1)】
===========================

 長旅の末、やっと小田急の登戸の駅に着きましたが、さて目的の研究所の場所がさっぱり分りません。

 なにせ学務課で貰った手書きの地図が、どうにもこうにも曖昧で、全然役に立たないのです。

 正式の地図には一切載ってないから、と学務課のお嬢さんの手書きの略図を貰ったのが、現地の状況とかなり違って居ります。

 地元の人も知らない様子。民家のラジオから、ビーッと言う警報音に続いて、「東部軍情報、東部軍情報、B29一機 … ガガー … 方面より … 」と雑音混じりに何やら聞こえて来ますが、もうこんなものは日常茶飯事。

 ここかも知れない、と勘に頼って坂を上ってやっと見付けました。

 登戸研究所では第4科に配属、科長は京都帝大・電気工学出身の大槻少佐という人でした。

 到着して庶務で書類を提出したら、庶務掛長の大林曹長というのが書類を見るなり目を丸くして、

 「お~い! 昭和生まれが来たぞ!」と大声を出しました。

 どれどれ、と皆が集って来て、誰かが、 「昭和生まれが来るようじゃあ、日本も、もうおしまいだなあ …」と、ポツリ。

  … 何となく情けなくなりました。張り切ってやって来たのになあ …

 研究所始って以来の最年小でしたが、間もなくの敗戦で、その後永遠にこの最年小記録は破られることはありません。
 
 4科では気球爆弾関連、殺人光線の実用化等がテーマでした。
 戦後の色んな本に風船爆弾とありますが、あれは戦後のマスコミの造語。

 もっとも揶揄的には風船と言ってたし、防牒上の見地から外部には「フ」とか風船とか称していたような記憶があります。

 めし喰ったら、午後一番に風船畳んで、とか言う具合に使ってました。
 本当は「フ号作戦」なんです。

 「風船爆弾」と言えば、他に風船式偽装空中機雷がありましたね。

 なにせ和紙製の気球ですから、虫が喰わぬように梱包前には天日に当てて良く乾かさねばなりません。

 穴開きの瑕物は女性事務員の皆様のレインコートに生まれ変ります。
風船合羽と言ってましたが、終戦直後はバスのシートにも使われました。
 
 警戒警報が出たら目立ちますから、すぐ畳みます。20人位は必要です。
 時折り畳んでる途中で、人が中に巻き込まれることがありました。

 ラジオから「伊豆方面よりB29一機 …」なんて始ると、これは偵察機ですから確実に写真に写るので、でっかいものが地面に広げた侭になっていては大変危険です。後で艦載機が銃撃にやって来ますから。

米軍側には当時既に「コロネット作戦」という計画があって、主力部隊が相模湾から上陸する予定でした。

 その前に終戦になりましたが、日本側も「決3号作戦」で一応は用意して居ました。尤も後で知れば、彼我の戦力には雲泥の差があったのですが …

 で、相模湾に上陸して東京を目指す米軍の一部は当時の道路事情から登戸附近に来ることが予想されるので、研究所は信州小諸に疎開することになり日夜解体と梱包、そして軍用トラックで搬送する毎日でした。

しかし超大型の殺人光線(仮称)の設備はそう簡単に解体したり運んだり出来ないので最後まで残りました。

 殺人光線と言うより、電気要塞砲と言ったほうが良いかも知れませんが、これは強力な紫外線ビームで空気を電離し、電導度が上った所に超高圧を掛けます。要するに雷を横に走らせる訳ですね。連続パルスにしたりして。

ですから第4科の建物は、縦に長い木造の4階の吹き抜けになっていて、天井から長い碍子がぶら下がり、周囲の壁に階段と廊下が付いて観察出来るようになって居りました。
ベルが鳴って、ビビッ、と大きな火花が飛ぶと、何かの空想科学映画の中にこんな状景があったような気がしました。「メトロポリス」でしたか …

あんなのが現実にあったわけです。

 この高圧を高周波で変調すると、B29の点火プラグのタイミングを狂わせることが出来そうだ、なんてこともやってましたね。

水冷式の大電力発振管がありました。

 今で言うレーザーも考えられて居りました。でも当時のやり方では非常に効率が悪く、実戦に使うには発電所一基分位の電力が要る計算になります。

 ランダムな白熱輻射でも微細な穴を通すとコヒーレントな波になります。
 これを多数並列配置し同期したら可能性がある筈、と言うわけです。

 考えて見ると、今で言うレーザーを作り出そうとしてたんですね。

実験用の動物が飼ってありまして、山羊だの山猫だの、その他色々居て、ちょっとした小型動物園です。

 山猫は人間が近寄るとギャーッと凄い形相をするので、庶務の女性雇員は餌をやるたびに「キャーッ」と悲鳴を上げて居りました。

 人間の声の方がよっぽど凄いな、なんて皆でよく笑って居りました。
そして、愈々、色んな新兵器案を提出する段階がやって来ます。

(つづく)

このアーティクルに責任を持つ意味で本名を記して置きます。

========= 新多 昭二 (Shinta Shoji) ========
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/2/6 0:32
かんぶりあ  新米   投稿数: 11
【登戸研究所の思い出(2)】

 色んな戦争の書物を拝見して居りますと、どうしても特殊な事態のみが強く抽出され、背景の日常性がそのハレーションの中に埋没してしまう傾向になり勝ちです。

 これまた恂に止むを得ざるところではありますが …

 しかるに後世の人々は、拠って来たるその日常のバックグラウンドを同時に知りたい、と願うのも自然の希求と申せましょう。

 されば縦横の糸を織りなすが如く、背景の情景を同時記録するように心得たいとは思うのですが、その日常性もタイムトンネルを抜けると姿を変えてしまいます。

 … そう … まるで日常ではないかの如く …
 なあんて気取ってないで、ここは一つ、ありの侭を書きませう。

 まあ、何とか下宿先も西荻窪に決まり、通常の勤務体制に入ることになりました。

 準備期間を三日も呉れるし、全般にのんびりムードで、こんなことでいいのかなあ、と逆に不安になって行きます。

 とにかく小田原駅止めにした手荷物を取りに行き、新宿駅で定期を買いました。当時は、省線と小田急は別々に定期を買わねばなりません。

 相互連絡という概念は全くありません。

 「省線」と言えば、後世の国電だの、ましてJRだのとは違って国家そのもの、一段と偉いのです。

 定期券どころか山の手線の普通の切符さえ証明書がないと買えなくなって居りました。

 でも一応都電が網の目のように走っているし、一般の人は省線に乗れなくても一向に平気です。

 それに何分にも当時の銃後の戦士。10Km位歩るくのは極く当たり前。
 何の苦もない。(でも腹が減るんだな、これが …)

 武士は喰わねど高揚子 … と、武士でなくても痩せ我慢。
 取り敢えずは「大日本帝国臣民」だもんね。

 ともあれ拙者の懐中には「登戸研究所の身分証明」という強い味方が居りました。

 参謀本部でも陸軍省でも、入り口で鷹揚にこれを見せれば、衛兵が敬礼して「どうぞ!」と言うのだ。( … 威張ってどうする … )

 切符売場の料金表には、新義州だの、奉天、新京、ハルビン、なんてのがありました。戦争に勝ったら一度ゆっくり遊びに行こう、どこがいいかな、と暫し眺める。

 勝てない? いや、ここ一番と言う時は、神州日本には神風が吹くのだぞ、と、最後の切り札は一億総神頼み。

 それにしても「八紘一宇」はどうなったんだ!
だんだん萎んで行くじゃあねぇか。

 登戸研究所の表門に近いのは「稲田登戸」、裏門は「東生田」です。
 両方に使えるように、と一つ遠い「東生田」にしましたが、今の駅名とは違いますね。

 新宿界隈は駅も町並みも現在とは全く異なり似た所は微塵もありません。
連絡通路は暗くて長い回廊でした。

 駅舎の東口の2階に大きく出っ張った「ひさし」があって、毎朝その上に軍楽隊が乗っかって、勇ましい吹奏楽を奏でます。

 愛国行進曲 … 軍艦マーチ … etc. etc … と、戦意高揚の曲の数々 …

 途行く人の感想は、「空きっ腹にこたえるなあ」、でしたけど。
それは毎朝、街並みの隅々と、人々の頭上に響きわたって居りました。

 そんなある日 … 突如、駅が消え去りました。

 昨夜、空襲警報に続いて東の空が真っ赤になっていたが、あれは新宿方面だったのか、と初めて知りました。

 何も知らずに寝て居りましたから、東京は広いです。

 省線は阿佐谷駅の近くから、ゆっくり、ゆっくり、徐行して居ましたが、新宿に近付くに従って建物が徐々になくなり、駅はコンクリートのホームだけ、と言う、何とも情けない情景になって居りました。
 
 土手は一面真っ黒。焼夷弾がいっぱい突き刺り、その中に黒焦げの死体が一つ転がって、駅員が「男か女か分んねえや」、と足でつついています。

 土手の下や、上の電線に、アルミ箔のリボンが引っ掛かって風にさらさら靡いています。電探の撹乱用にB29が撒くのです。

 こちらの電波標定機の波長を知って、四分の一波長より長目にカットしています。そのため全反射してしまうので、B29はノイズに埋もれます。

 当時、電波標定機(ラジオロケーター)は近距離で諸元を測定します。

 他に電波警戒機(ラジオデテクター)と言うのがあって、これは遠距離を主に受け持ち、その情報で警戒警報や空襲警報を出して居りました。

 その警戒機も、富士山を背景にされると、富士山からの反射波と重なって見難くなります。

 そして夜はいつも、西方から高度3千メートルでやって来るし、帝都の近くではアルミ箔を撒きますから、警戒機も標定機も機能しません。

 そして次々と、街も駅も焼けて行きます。

 ふと見上げると、異様に赤い太陽が黒い霧の中に見え隠れしていました。
 そんな中でも人々は、明るい足取りで職場に急いで居りました。

 神風はきっと吹く、蒙古来襲のときもそうだった。
 だから吹かない筈がない、と堅く信じて …

                         (つづく)

    ==== Pre Cambrian 新多 昭二 (S.Shinta) ====
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/2/6 7:35
かんぶりあ  新米   投稿数: 11
【登戸研究所の思い出(3)】

 研究所の雰囲気にも大分慣れて来ましたが、驚いたのはその人数の少ないこと!

 朝の朝礼で整列して例の『一つ軍人は …』なんてのをやりますが、数はせいぜい班の規模。

 他の科も同じかしら … でも全部合わせても大したことはなさそうです。

 半数は疎開先の信州の小諸方面に受け入れ準備に行ってるとのことですがここに来るまでは、さぞかし多勢の技術将校や技師達が夜も寝ずに新兵器の開発にいそしんでいるのだろう、とばかり思っていたのにこの有様。

 映画で、軍艦を設計している技師が不眠不休で製図板の前でぶっ倒れる、なんてシーンを見て、何となくそんなことを想像して居ただけに、これはまたとんだ拍子抜け。

 それはともかく、今日は朝っぱらから医務室で予防注射を打たれました。

 3種混合とか言って、20分程したら熱が出て悪寒が2時間続くこともあるそうで、午前中は寝てろ、とのこと。

 でも一向に熱も悪寒も出る気配はありません。
 そのうち、大林曹長が様子を見にやって来ました。

 先日取りに行った荷物の中からウィスキーを一本取り出して進呈したら、その後やけに機嫌がよろしい。どうやら鼻薬が効いたみたいです。

 父が町会長をしていましたが、町内に逓信省の若い局員の寮があって、そこの寮長が色んな付け届けをしに来ます。

 なんでも、転入転出の際の証明に手心を加えて貰うためらしいです。
 色んな隠匿物資を回わしてくれます。その中にウイスキーがありました。

 そんなことしていいのかどうか分らないが、元来『正義』なんてものは、間々自分の都合で変わります。

 『正義は国の数だけある』と言いますが『人の数だけ』かも知れません。

 それは兎も角、このウィスキーは、サイダー瓶のような容器に白ラベルと黒字の印刷で、何の飾り気もありません。

 それに海軍の錨の印。へえ、海軍さんはこんなもの召し上がってるんだ。
 どうせ士官専用でしょうけどね。

 まだ戦局が悪くならない頃のものらしいが、これが巡り巡って帝国陸軍の曹長殿の喉を閏おすことになりました。

 それからと言うものは、何でも便宜を計ってくれます。

 皇軍は「星の数より飯の数」と申しまして、古参の下士官は若い少尉より威張ってます。こういう連中とは可及的仲良くして置いて損はありません。

 そもそも帝国陸軍は万事が『要領』。
 人生要領、メモリー容量、ハードディスクは大容量。

 「どうだい、役所は?」 なる程、ここは『お役所』なんだ。

 「通勤電車が大変で … 時々止まって動かないし」

 「俺は近くだからな。で、混合やったんだって? 調子はどうだい?」

 「全然大丈夫です。何ともないけど、効いてるのかな? 熱も出ないし」

 「体質だろ。出る奴は凄く出る。じゃあ休んでるとこを悪いんだが …」

 何でも三科の連中が困ってるらしい。応援に行ってくれ、とのこと。
 連れられて紹介されたが同類みたいな新米が二人いる。何となく心強い。

 速成教育過程は東大で、住いは滝野川区とのこと。いいなあ、地元で。

 「回路は得意じゃないんです。機械工学で、特に精密機械なもんで …」

 とのこと。なるほど。弱電屋さんは皆信州に行ってるとのことで、彼等は誘導弾のジャイロが専門らしい。

 ロケットてえものは、ジャイロがないと真っ直ぐ飛びませんからね。

 何でもアメリカが『近接信管』とかいうものを使ってるらしく、その資料が手に入ったので試作して見ろと言われたが、チンプンカンプン何も分らんとのこと。

 落とした飛行機とか、沈めた船とか、捕虜の持ち物とか、色んな所からこの種の資料が手に入ります。

 1945 年版の Popular Science も何冊か積まれていました。

 ドイツの図面は腐るほどあって、翻訳をやらされるたびに辟易しますが、まあ、英語ならなんとかなるかも知れません。

 この翻訳作業も、我々の仕事の重要な部分を占めて居ります。
 とは言うものの回路図を見たところ、何のことやらさっぱり分りません。

 受信回路でも発振回路でも増幅回路でもないのです。なんじゃ、こりゃ?
 今度はこっちがチンプンカンプンです。

 文面から察すると発振するらしいのですが、見たこともない回路です。
 大体、これは発振するような回路じゃありません。

 おかしいなあ … 短いダイポール見たいなものだけが2本あります。

 発振状態にするための正饋還(フィードバック)系がどこにも無い!
 然るに『発振状態になったら信管を自動的に点火』云々、とあります。

 やはり発振するらしいのだが … う~む!わけが分らん!と、暫し呻吟。
 あっ、そうか!紙面を見詰めて1時間ほどして、やっと気が付きました。

 地面とか導体が近くにあれば、反射して発振回路を形成するらしい。
 う~む、こんな方法があったのか! 敵もさるもの引っ掻くもの。

 爆弾が地面に潜って破裂しても上に吹き上がるだけだから、地面に伏せてれば助かります。が、地面に達する直前で爆発すれば破壊力が増大します。
 
 概略の説明書を書いて渡し、お礼に Popular Science を頂きました。
 下宿でむさぼり読んで睡眠不足。

 翌日、着地直前で爆発する信管を真空管なしで作れないか、とのこと。
 貴重な真空管を爆発の途ずれには到底出来ん、と言うことらしい。

 こちとら、お家の事情で物量作戦は取れないのです。
 その辺りは持ち前の「大和魂」と言う「精神」で代用します。

 幸い気球の高度制御はお手のもの。高度計とCR時定数を組み合わせれば出来る筈。落下フックと電源投入を同期させれば良いのだし。

 落下中に徐々にコンデンサーの電圧が上がって豆ネオン管を点灯し、そのときの点灯電流を利用して点火させればいいわけです。

 コンデンサーの充電用初期抵抗値は気圧計と連動させます。
 なにせ簡単。突貫作業で試作完成!電光石火の早業。やるときゃやるよ!

 でも内々に手伝ってるだけですから、テスト現場には行けません。
 なんでも近くの飛行場で模擬弾を使う、とのこと。

 やがて、第一報が入って来ました。
 でもそれは …「操縦士の足下で暴発せり」でした! あじゃ~

                          (つづく)

         === 新多 昭二 (Shinta Shoji) ===
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/2/6 7:37
かんぶりあ  新米   投稿数: 11
【登戸研究所の思い出(4)】

 タイマー信管暴発の件は、コンデンサーの容量抜けと判明しました。
 容量がなきゃ電源が入った途端に爆発します。遅延時間=ゼロだもの。

 黒い煙の出る発煙筒でテストしたらしく、人的被害はなかった模様。
 でも、乗る身になってやってくれ、と苦情があったとか。やれやれ!

 複数のコンデンサーを並列にすることで問題は解決しました。
 一個容量抜けがあっても点火位置が狂うだけ。瞬時爆発は避けられます。

 一件落着と思いきや、早速つぎの案件を持ち込まれました。
 これらは正式の仕事ではなく、自発的にやって居ります。

 研究所そのものは、解体と梱包、そして搬送と移転の最中ですが、軍用トラックも人手も足りなくて作業は遅々として居ります。従って暇だらけ。

 偉い人も人員も登戸側と信州側に2分されてるし、設備はなにしろ解体中ですから、とても纏まったことは出来ません。

 各国立大学に戦研として委託研究のための連絡も仕事なのですが、万事が延び延びで「フ号作戦」が中止になったのも、真相は水素工場が爆撃されてガスが来なくなったため。とにかく資材は新しく調達出来ません。

 戦争に勝つとか負けるとかは、とっくに超越して居ります。
 万事、戦えるような状態じゃない。とにかくその日が無事かどうか。

 「撃ちてし止まん!」なんて標語が、やたらアチコチに貼ってありますがもう撃てなくなってんだから、そろそろ止めたらどうなんだろう、と心に思えど口には出せぬ今日この頃のご時勢。

 内心は既に敗北主義の非国民状態になって居ります。
 「やむにやまれぬ大和魂 …」う~む、大和魂ってのは止められないのか。

 そんな中で、何かせねば、と同じ立場の同輩と色々考えて居りました。
 とにかく、何かしてなきゃ不安です。

 そうこうしてるうち、米軍の近接信管を解明したことが評判になっているらしくて、色んな案件を持ち込まれます。

 さあ困ったぞ! あれだって、すんなり判ったわけじゃあない。
 あんなのが次々に持ち込まれたら大変だ! とてもこの身が持ちません。

 でもまあ、手に余るような難しいものなら「出来ません」で済むことだ。
 そう思ったら幾分気が楽になりました。でもやはり変な物を持って来る。

 見ると、なんだかベークライトの板に数字が書いてあります。
 夫々の数字の下に溝が掘ってあり、長短の金属片が埋め込んである。

 これをリードの付いた金属棒でなぞって、モールス信号を出すとのこと。
 満州のソ連のスパイの携帯品がヒントとか。なるほど! 考えましたね。

 いや、これは便利だ! 第一、モールス信号を知らなくても使えます。
 数字の羅列で暗号を送るスパイ用には便利でしょうね。

 「面白いですね。ところで、これがどうかしたのですか?」

 「リード線がすぐ切れるんですよ。金糸線は半田付けが利かなくてね」

 金糸線とは繊維の周りをリボン状の金属を捲いたもので屈折疲労に強い。
 でも、実に扱い難い!半田付けしようとすると中の繊維が焼けるのです。

 しかし、です … 以前、何か似たような経験がある。
 確か、リード線を使わない方法があった筈。あ、思い出した、あれだ!

 「これですがね、リード線なんか要りませんよ」

 「え?」

 「V字状の溝の両側に、互いに絶縁した金属を埋め込めばいいのです」

 「絶縁されてたら電流が流れないでしょう?」

 「だからその溝を金属棒で擦るのです」

 「あ、そうか! どうして気が付かなかったんだろう …」

 「いざとなったら、一銭銅貨で擦ってもいいわけだし」

 「その辺の釘でもいいわけか … 金属なら何でも使えますな …」

 「断線も接触不良も起らない。いつも擦ってるから錆びません」

 その後このことが話題になり、難問を数秒で解決したと言うので、かなり評判になりました。でもこれは、そのとき考えたものではありません。

 実はかって実習時間のとき、PO-BOX(平衡ブリッジの抵抗測定器)を使って測定するとき、少々難儀をしたことがありました。

 こいつはテーパーの付いた銓を割れ目で絶縁したテーパー穴に差し込み、両側の金属を導通させる、と言う仕組みになって居りました。

 これを強く捩じ込むのですが、埃なんかがこびり付いて、低い抵抗値では誤差が生じるので測るたびに値が違って出ます。

 そのたびにアルコールで拭いたりするのですが、常時擦って自動浄化する方法はないものか、といつも対策を考えて居りました。

 恐らくそれが、脳裏のどこかに潜在意識になって潜んでいたのでしょう。
 無意識に顕れる潜在意識がインスピレーションになるのでしょうか。

 それにしてもこの「導通棒」式モールス信号発生器、費用も掛からず訓練も要らず、故障もしないし嵩ばらない。それに軽くて量産が可能です。

 このときの強烈な印象は爾来、未だに人生の良き教訓となって居ります。
 Simple is Best とは、まさにこのことなんですね。
 
 複雑な難しい「からくり」よりも、単純で簡単な物の方が実際の役に立つことがある。これなんか、その良い例ではありますまいか。

 戦後15年目に創業し、電子制御のオートメーション機械を設計するたびに、いつもこの例を挙げては周囲と自分自身に訓戒を垂れて居りました。

 とかく技術屋さんは、物事を難しく、難しく、してしまいます。
 過剰機能で、炊飯器も電子レンジもビデオ録画もクソ難しくて使えない。

 この件を持ち込んだのは近在の農家の人らしく、それ以来、芋だの米だのことあるごとに頂戴して、お陰で慢性飢餓から脱することが出来ました。

 瞬間の閃きが我が身を扶けることもある。
 難しく考えても解決しないこともある。

 でも何かを考え続けていると、別のことの解決に役立つこともあるようですから、人間、取り敢えずは脳味噌のあるうちに考え続けて行きませう。

                         (つづく)
 
       ==== Pre Cambrian ***** S.Shinta ====
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/2/6 7:40
かんぶりあ  新米   投稿数: 11
【登戸研究所の思い出(5)】

 「顕微鏡、どこへ行った? 送っちまったのか!」

 朝から小肥りの○○見習士官が、ひとしきり騒いでおります。 (この○○は失念のため)

 和紙の繊維の状態を見るためにあった顕微鏡が見当たらないのです。
 ありきたりの光学顕微鏡です。
 
 「フ号作戦」の気球は和紙をグリセリンで処理してあるのですが、少しでもピンホールがあると水素が洩れるので、その検査用らしいのです。

 「知ってねえや …」

 と、近在の古参の作業員。
 今もこう言い方をするのでしょうか? あの辺りの人 …

 「昨日荷造りしてましたよ」と、別の誰かが言う。

 「弱ったな … 君、○○で借りて来て貰えんかな」と、私を振り返る。

 「嫌だなあ、あそこは …」

 この○○は、失念ではなく、言いたくない○○。
 細菌がくっ付いて来そうだもんね … ま、そういう部署もあったわけ。

 「ありました!」 向うで誰かが叫びます。

 荷造りしたまま、まだ送っていなかった模様。やれやれ助かった!
 軍用トラックが行ったまま、なかなか帰って来ません。また故障かな。

 「顕微鏡、何に使うんです?」

 「あ、これなんだがね。ちょうど訳して貰おうと思ってたんだ」

 何かタイプしたものを渡されました。
 うん? Punkt Methode … またドイツ語だ。

 何だろう?「点」方式って … よく見ると書類を縮小してフィルムに写すと言うことらしい。縮小には顕微鏡を逆にして感光させる、とあります。

 その小さな点の中に、書類の内容が凝縮されて写っているわけか …
 今で言うマイクロフィルムを更に微小にしたもののようです。

 マイクロマイクロフィルム、つまりピコフィルムってとこか …
 この小さな点を、何かの書物のピリオードの上に貼って送るらしい。

 なるほど、スパイ用か … これを顕微鏡で見ると読めるわけですね。
 なる程、そう言うことか。盟邦ドイツもなかなかやるじゃありませんか。

 ソ連原産の例のモールス発信板より高級感があります。
 そう言えば、デカンショ節にありますね。

 どうせやるなら 小さいことなされ、蚤のキンタマ 八裂きに …
 (失礼しました)

 このところ鬼畜米英と言い、ソ連と言い、盟邦ナチスと言い、それぞれに色んなものを工夫して居りますが、わが「大日本帝国」は、もう一つパッと致しません。

 「大和魂」と言うものがあるのだから、竹槍で戦車に立ち向かえ、なんて婦女子まで鉢巻ともんぺ姿で竹槍訓練してるけど、無理だと思うけどねえ。

 こちらへ来て、実態を知れば知るほど、心細さが身に沁みて行きます。

 でも、この縮小文書がヒントなって、秘密通信法を思い付くことになりました。ドイツ式の「面積の縮小」を「時間の縮小」に置き換えるのです。

 オッシロの蛍光膜を移動する光の点を音声で変調すると、濃淡の点が走ります。これは今のテレビと同じことですが、もっとゆっくり移動させます。

 縦横に走査する点もテレビと同じですが、残光性で画像は一枚限りです。
 目で見るのじゃなく、X線用のフィルムに撮り、これを現像します。

 現像したフィルムをオッシロの上に貼って位置を合わせ、同じように光点を走らせますが、今度は変調せずに、一定の明るさです。

 これを光電管で電流に変換すると、先程の音声が聞こえます。
 ここまではトーキーと同じですから、当たり前。

 トーキーのように細長いフィルムではなく、一枚の面になります。

 ここで走査を百分の一秒でパッと走らせると短いパルスになり、その一発のパルスの中は音声で変調されています。

 打ち合せた時刻に、この一発だけのパルスを受信した方は、送信側と逆の手続きでフィルムに感光させて再現させますが、なにせ通信時間が短かいので、第三者は探知出来ません。

 今なら画面一枚のテレビみたいなものですから別に不思議ではありませんが、当時としては画期的なものでした。

 私にとっては、本格的な戦時研究の第一号になりました。

 そして、これには更に大きな副産物がありました。
 10ワットの送信管で数KWの尖頭出力が出るのです。

 時間が短いので、平均消費電力が少なくなり、発熱しません。
 電源の方は大容量の蓄電器に充電して置いてパッと一気に放電させます。

 今のキセノン管のフラッシュみたいなものですね。
 ただ瞬間光るのではなく、一瞬、電波がポツッ、と出るわけです。

 「瞬発通信」と名付け、説明にはハンマーの例をよく挙げました。

 板に釘を当てて、その頭をハンマーでただ押しても、釘は中に入って行きません。大の男が力任せに押しても、釘は入って行かないばかりか、下手をすると手が滑って怪我をします。

 然るにハンマーを振り上げ、こんこん、と叩くとスイスイ釘は入ります。
 小さな子供でも、この「こんこん」で釘は打ち込めます。

 人間も、無思慮にただ連続した努力で汗水流すより、思慮深く充分余力を蓄え、ここぞ!と言う要点で電光石火やってのける方が成功率が高いらしいと悟りました。

 人生、金槌方式で、気楽にやってのけましょう。


【本日の教訓】 ただ一生懸命やるよりも たまには寝転ぶほうがいい


          === 新多 昭二(Shinta Shoji)記 ===
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かんぶりあ  新米   投稿数: 11
【登戸研究所の思い出(6)】

 さあ、困ました! 変圧器が挺でも動かないのです。

 午後には梱包作業に来るので、入口まで出して置かねばなりません。
 でないと、自分たちで梱包しなければならなくなります。

 もっとも、挺があれば動くのでしょうけれど、それらしきものがどこにも見当たりません。

 少しでもどこか浮かせることが出来れば、下にコロを差し込めるのに …

 大林曹長が谷の向かうの材木置場に行けば手頃なものがある筈だ、と教えてくれました。

 鍵は正門の横の物置の中にあるとのこと。同僚3名で取りに行きます。
 正門まで行くと、所長閣下が馬に乗って入って来ました。

 なるほど、ベタ金! ベタ金とは将官の襟章です。

 車じゃないんですねえ … いつも街の中を馬で通って来るのでしょうか。
 皆が並んで敬礼する中を、馬上で答礼しながら徐ろに前を通過します。
 
 同時にタイミング良く、馬がしっぽの根元をぐっと上に持ち上げました。
 へえ … 流石は閣下の馬だ! ちゃんと挨拶するように仕込んであるよ。

 突然、ドバドバッ、と、大量の落下物! 蓄生!馬の答礼はクソなのか!
 しかも人間様の目の前で。こちらは万物の霊長と言って上等の部類だぞ。

 「糞ったれめ!」と、誰かが小声で呟きます。
 「蓄生、だなあ」とまた誰か。

 こう言う局面であんまり面白いこと言うんじゃないよ!
 ぐっと笑いを堪らえます。

 葬式と盲腸の見舞は面白いことを差し控えるべき。今の場合も同じです。
 お!所長閣下も薄笑いを浮かべて御座る。矢張り堪らえて居られる様子。

 皆で思いっきりワッハッハと笑えば良さそうなものですが、そこは威厳の塊りの閣下の立場、なかなかそう言うわけにも参りません。

 やがて馬も去り、忌々しい馬糞の山を横目に見ながら、鍵を持って材木を取りに行きました。

 材木を3人で抱えて進軍するさまは、さながら肉弾三勇士。
 谷を越え丘に差し掛かった所で、流石に者共、やや草臥れて参りました。

 小休止! と自らに命令を下して一休み。

 「この辺、来たことないね」

 「向うに海軍の技術研究所があるらしいよ」

 「上に行ったら見えるだろう」

 材木をその場にほっぽり出した3名は、草を掻き分けガサガサ登る。

 突然、甲高い声で「誰かっ!」と一喝。
 続いてもう一度「誰かっ!」と怒鳴る。

 誰何(すいか)だ!
 3度言われて黙ってると、鉄砲玉が飛んで来ることになって居ります。

 「だ、第4科の …」 咄嗟のことに声が出ない!

 「何だ、貴様らか!」 当番の下士官らしい。

 「ああ、びっくりした! 何やってるんですか …」

 「昨夜誰か丘の上で懐中電灯で敵機に合図してたらしい。警戒警報の時」
 
 「いつ頃から?」

 「最近だ。朝鮮人のスパイらしいと言う噂だ … それで巡回してるんだ」

 やがて回覧が廻ってきて、光線電話の実験が間違われたらしいと判明。
 皆、夫々に秘密でやってるから所内の風通しが甚だ悪くなって居ります。

 もっとも機密事項を「やるぞ、やるぞ」と宣伝してからやる奴は居ない。
 隣の科が何をやってるのか分らんことも、往々にしてあるのです。

 戦後、色々言う人が居るが、重要なものは担当以外に、そう滅多やたらに知れる筈がありません。

 所内でさえ分らんものを! 分ったら「機密」になりません。

 それにしても、もし間違われて朝鮮人が捕ったら、まさに残酷物語り。
 そう言う誤認事件が良くあった、と聞き及びます。

 光線電話のテストをしていた人達は、非常に僅かな光なのに、見えたこと自体がどうも不思議だ、と言って居りました。

 主光は赤外光、誘導が微可視光とのことですが、どこまで暗い光で実用になるかを試していたとのこと。それは到達距離を意味します。

 確かにこればかりは、真っ昼間じゃ出来ません。
 なるほど、灯下官制下の暗闇では、そんな僅かな光も見えるのか …

 と言うことは、世の中が暗い程、少しの明りでも存在は大きいのですね。

 一寸とした心遣い、ほんの少しの思いやり、僅かな手助け、優しい言葉。
 そんなことが、大きく大きく、響くのか … お互いにつらいときこそ …

 それなのに我々は、時として、それが必要な時に逆のことをしがちです。


【今日の格言】 人生は 蛍のようだ … 暗いからこそ 光るのだから


          === 新多 昭二(Shinta Shoji)記 ===
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/2/6 7:43
かんぶりあ  新米   投稿数: 11
【登戸研究所の思い出(7)】

 終戦前の数カ月、東京は戦場でした。

 このところ、とみに空襲が激しくなって参ります。
 昼も夜も来るんだもんなあ …

 昼なら昼、夜なら夜と、どっちかにして貰えんかね!
 そうすりゃ、こっちも心積もりがあるってものよ。

 五月の末なんか、五百機も来るんだもの。
 三月から四月は精々三百機台だったのに … それでも大変だったのだ。

 数日置いて横浜だ!今度は五百機を超えてたらしい。
 段々多くなるじゃないか!

 陸鷲とか海鷲ってえのは、どうなってんの?
 居るなら居るで、なんとかしろよ!

 東京と神奈川を往復している吾輩なんか、気が気じゃないよ、全く。
 まるで往復ビンタだ。大空襲の合間にも中小あるしな。毎日何か来る。

 紙に五百の点を書いて見ても結構大変だ。もう空一面、飛行機だらけだ。
 七月に入ったら、艦載機がなんと千二百機も来たね。
 こんなのが海を越えてワーッと来るんだもの。まるでバッタの異常発生。

 見物に来てるんじゃないからね、それぞれ一斉に弾を射つよ。
 もし当たったら人間辞めなきゃならん。

 もうやめようよ!と言ったって、やまるもんでもないしなあ …
 そんな中を「あした参謀本部に寄って来てくれ」、だとさ。

 簡単に言うねえ … 大林曹長なんか、昼休みにカボチャに水をやりながら「東京はどうだい」だもの。まるでよそ事だ。川向こうの出来事なのに。
 
 「なんにも無くなりますね、そのうちに」と言ったら「へえ」だとさ。
 俺も近在に下宿探せば良かった。そうすりゃこんな苦労は無かったのに。

 ぶつぶつ言いながら焼け焦げの道を歩いて居ります。
 山の手線はなかなか来ません。

 動いているのは、どうも中央線だけのようです。
 どこかの変電所がやられたのかも知れません。

 都電も来ないので歩きます。ところどころ道が熱くて、熱が靴の革底から足の裏に伝って来ます。

 もうその辺は慣れたもの。つま先を上に踵で、コツ、コツ、と歩きます。
 冷めたらまた普通の歩き方に戻します。

 そんなことを繰り返えしていると、ときどきコブラ返えりが起こります。
 虎の門がもう目の前になりました。文部省にもちょっと寄ります。
 我々は文部省から陸軍省に派遣されてる立場です。

 日比谷公園で朝昼兼用の蒸し芋を食べ、宮城の前に出ました。
 二重橋で取りあえず最敬礼。しないといけないことになって居ります。

 宮城前の広場をオートバイに乗った憲兵がダダダーッ、と凄いスピードで端から端まで折り返えしながら往復して走って居ります。

 ガソリンの無駄使いじゃないのかなあ … あんなに埃を巻き上げて …
 任務にかこつけて愉しんでるんじゃないの?血の一滴のガソリン使って。

 まあ吾輩も似たようなところがあるが。研究とは言え、けっこう好き勝手なことをやって居ります。砂煙りを横目に見ながら東京駅に向います。

 東京駅まで行けば運行状況が分るでしょう。指令所もあるだろうし。
 それにしても良く歩きました!

 淀橋区、牛込区、四谷区、赤坂区、麹町区 … なんと、実に5つの区を股に掛けて居ります。それに芝区も少し掠めているし。

 うん? 近づくにつれ、東京駅の様子がいつもと違うようです。
 ありゃりゃあ! 焼けてるよ! 山の手線が来ないのは、この所為か …

 赤煉瓦の壁は何とか残って居りますが、あの緑の丸屋根は、曲りくねった鉄骨を晒して無残な有様。銅板は融けて無くなってしまったのでしょう。

 それより小生、いささか小さい方を催して参りました。

 どうせその辺り、焼け跡だらけなのだから、どこで放なっても良さそうなものですが、そこはやはり紳士の端くれ、多少躊躇を覚えます。

 焼け跡にだって、何人かの人は歩いて居ります。
 決して見せびらかして自慢するようなものでもありませんし。

 駅の中に飛び込むと、むっと熱気が迫ります。
 天井から日が射して、以前にもこんなことがあったような不思議な感じ。

 トイレだったところの壁が、もうボロボロです。
 アチッ!手で触れると火傷します。まだ冷めてないから昨夜の事らしい。

 取り敢えず自前のホースを引っぱり出し、体内の保存袋より一条の水流を放出すると、ひっかけた壁から、じゅん!と湯気が立ち昇ります。

 本来の湯気と、壁からの蒸発とが重なりあって目の前に立ち上ります。
 ん?どうも後ろから見られているような … 誰か来たのかも知れません。

 用を足してホールの真ん中に立って見ます。
 誰も居らず、どこからも音がしません。これではまるで無響室。

 手を叩くと、パシーン、パシーンと木霊します。無響状態ではない模様。
 歩くと自分の靴音だけが、ざくっ、ざくっ、と響きます。

 一面の白い灰 … じゃないな、これは … どうも骨のようですね。
 誰かここで死んだかな? ふとそんな気がします。

 回りから何やら見られているような気がして、ちょっと怖くなりました。
 何となく霊気のようなものを感じます。ぞっとするような気配があって。

 でも、これは実に貴重な体験です。後にも先にも二度とないでしょう。
 なにせこの瞬間、広い東京駅に自分一人!自分だけしか居ないのです。

 " そうでもないよ " … 何だか、どこからか声なき声がしたような …
 折角の体験だが、言い知れぬ恐怖の方が先に立ちます。

 慌てて出口に急ぎます。
 突然、キィーン! と言う音がして、ドームの鉄骨の空に影が走ります。

 出て見ると数機のP-51が、宮城の方向に飛び去りました。
 道を歩く人は見上げもしません。よほど身に危険が迫らぬ以上は無関心。

 先刻のオートバイの憲兵はどうなったかな … ま、適当にやってるさ。
 パン、パン、パン、と、パリパリパリ、が、立体音で交錯します。

 でも振り返る人は居ません。自分に向って来ない限り何事もないのです。
 もう、こんなことなんか、ごく普通のことになって居りました。

 ただ艦載機が飛んだ後は、落ちてる万年筆や筆箱を拾ってはいけません。
 キャップを取ったり、蓋を開けた途端、爆発するのです。

 どんな油断も死を招きます。そう、ここは帝都と言う名の戦場だから。

***************************************

 五十年後のある春の日に、運動がてら同じ道を辿って見ました。

 爆撃機や艦載機こそ来ませんが、交通戦争の名誉にならないな戦死者が、戦時を上回る勢いで続いています。そして毎日の嘆かわしい報道の数々 …

 私の心情に関する限り、現在の日本が格段に幸せでもなく、必ずしも過去の日本の全てが不幸とは言い切れません。所詮は相対価値なのでしょう。

 小学生の頃、壁に貼られた大東亜圏の地図に書き込まれる日の丸を見て、ああ日本人で良かったなあ、と、しみじみ思ったあの誇らしさは、もう体験出来ないことでしょう。でも、それに代る誇りは作り出したいものですね。


       幸せにも 不幸にも 「絶対」はない …
        それは 人それぞれの心が作る ものだから


           == 新多 昭二(Shinta Shoji)記 ===

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/2/6 7:46
かんぶりあ  新米   投稿数: 11
【登戸研究所の思い出(8)】

 今日はB29の調査です。
 別にサイパン島まで出掛けるわけではありません。

 撃墜した残骸を集めたものが、九段に保管してあるのです。
 複数の機体から部分々々を集めて来て、並べてあるらしい。

 B29もよく堕ちました。こっちも随分やられたけど、お互いに大変だ!
 撃墜機数はけっこう多くて、二百機とか三百機とか言う話。

 それだけ多く飛んで来た、と言うことでもありますが。
 だから残骸の資料には事欠きません。とても良い研究材料になるのです。

 どうしても先方の科学技術の方がまさっているので、神州日本の民草どもは鬼畜米英様の落とし物を漁って彼等から学ばねばなりません。

 三科のA君、例のマイダー(米軍の瞬発信管)の仕事を手伝ったのが縁になって、その後は友人になったけど、今日は彼と同行します。

 調査要員として精密機械と電気出身を組合わせたのでしょうが、東京からの通勤経路も大きな理由らしいです。

 特に小生は、学徒動員が飛行機の組立工場だった関係で第一候補。
 陸軍の百式新司偵が展示してある前で待ち合わせます。

 待ってる間、新司偵のリベットの打ち方が丁寧なのに感心しました。
 こうでなくちゃいけないな。天山の場合は素人の学徒だから無理もない。

 あれだって平和時に丁寧に作れば素晴らしい飛行機なんだと聞きました。
 B29の尾翼の前で、思わず、でっけえなあ! と舌を捲きます。

 感心したのは、後で言うマイクロスイッチ。日本には未だありません。
 接点一つに大げさな、と言う気もしますが、物の考え方が違うのですね。

 彼はベアリングに取り憑かれています。
 何でも、使われているグリスが日本には無いものだとか。

 日本のグリスではB29ほど長時間は持たないらしいです。
 一時間ほど紙に塗ったり火を点けたりして、結論は「わからん」でした。

 これはシリコングリスだったのですが当時はまるで正体がわかりません。
 私が一番不可解だったのは、アルミに半田付けがしてあること。

 色々な物を持ち帰ります。まさかエンジンは無理。主に小物を選びます。
 技術畑の人間にとって、これらのものは、まさに天から降った宝物!

 マイクロスイッチは戦後立石電機が国産化、今のオムロンになりました。
 A君は後に教授になり、多くの功績を残しますが今はそれを知りません。

 仕事は予定より捗って、午前中に終わりました。
 二人で相談して、エビガニを採りに行くことにしました。

 ザリガニのことを当時そう呼んでいましたが、知人の家が新小岩にあって戦前に訪ねたとき、あの辺り一帯は家も少なく、殆ど沼地だったのです。

 子供達が良くエビガニを取っていました。ふとそれを思い出したのです。
 これは結構な蛋白質の補給源。公用の腕章を巻き総武線に乗込みました。

 御茶ノ水から秋葉原へさし掛かると、万世橋の駅の前に広瀬中佐の銅像が見えます。ここは懐かしい所です。5年前を思い出しました。

 あの頃は良かったなあ … 銀座にムーランルージュの風車がありました。

 「ほら、あの銅像の前。あそこでスキヤキの肉を買ったことがある」

 「俺もだ」とA君も感慨深げである。そりゃそうだ。彼は地元の人間だ。

 その頃は、神田、万世橋、秋葉原一帯は食品やお惣菜のメッカでした。
 安いので、奥様方は省線に乗って神田に夕食の支度に出掛けたものです。

 五十年後は電気街からパソコンの街になりましたが、「肉の万世」としてその名残りをとどめています。

 両国の国技館の周囲は焼けて居ましたが、国技館の風下に当たった所だけが残っていました。運も不運も、単なる物理現象で決まってしまうのか …

 沼では疎開で子供達が居ない所為か、エビガニが繁殖していて豊漁です。
 お婆さんがやって来て、

 「兵隊さん、荷物になるかも知れないけど、よろしければどうぞ …」

 と、新聞紙に包んだ蓮根を呉れました。双方でかなり栄養が得られます。
 戦闘帽と腕章で軍人と思ったらしいがエビガニを漁る軍人は余り見ない。

 近くの鉄道の操車場の上に鉄橋がありました。

 その上で遠く富士を眺めながら、蒸し芋と玉蜀黍の粉で作った蒸しパンを交換して食べました。喉に詰る以外は満足でした。

 「富士ってえのは、どうしてあんなに美しいのだろう」

 A君は西の空をじっと見据えて語ります。

 「自然だからだろう。あの曲線は自然が作り出すものだ」

 「昔からそのままあるんだなあ … 人間は千変万化するのにねえ」

 「それはそうと、講和は進展してるのだろうか」

 「一進一退らしい。でも、一般の人は何も知らされて居ないんだなあ」

 当時、本土決戦を唱える人と、講和を進めようとする人達の間で、暗黙の戦いが始っていました。

 本土決戦に突入すると、講和派はクーデターを興すことを考えて居たし、講和が実現すると、決戦派がクーデターを興そうとして居りました。

 宮様方まで、意見が二つに別れていました。
 でも訪れたのは本土決戦でもなく、講和でもなく、無条件の降伏でした。

 暫しの沈黙の後、A君はこちらを真剣な顔で向き直り、

 「講和派のクーデターになったら、俺はそちらに加わりたいと思ってる」

 「俺はもうここに居ないが、同じ気持ちだ。とにかく生きていて欲しい」

 「死ぬかも知れん。特攻隊の死は敵艦一隻。この死は一国を救うのだ」

 登戸研究所の戦研委託の大学側移管の仕事も終り、あと二、三日でお別れの日が迫っています。

 「どう言う形にしろ戦争はいつかは終る。そしたらきっと、また会おう」

 「君は京都に戻るんだね。いいとこだろうな。焼けてないのが羨ましい」

 「学校が京都で郷里は広島だ。広島も焼けてないが、この先はどうかな」

 「君!十年後にここで会おうよ。日本がどうなってるかこの目で見よう」

 橋の下を貨車が走っていますが、上りにも下りにも石炭を積んで居ます。
 不合理だ!と、A君が怒ります。もう、何もかも、目茶苦茶な感じです。

 今の日本が誇れるのは、あの富士だけか … 突然、警戒警報のサイレンがひとしきり鳴り響き、二人は鉄橋を去りました。なにせここは目立ちます。

 空襲になると省線が止まるかも知れません。とても歩いては帰れない。
 さて野宿するとなると、どこがいいかな? 新小岩の駅にしましょうか。

 あ、今日は思わぬ収穫がある。そうだ、駅長さんにエビガニと蓮根を進呈して、どこかに泊めて貰いましょう。

 「ビーッ!… 空襲警報発令!空襲警報発令!」どこかのラジオが叫ぶと、
やがて方々から重々しいサイレンの唸りが … 巨大な悲鳴の響きのように。

       … 終戦の1月前のことでした …


       絶対に春が来ないと言う冬はなく
         いつまでも明けない夜もない …

          さあ! 希望に溢れて用意をしよう

         いつか来る その日のために
           きっと来る その日のために …


         == 新多 昭二(Shinta Shoji)記 ===
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/2/6 7:48
かんぶりあ  新米   投稿数: 11
【登戸研究所の思い出(9)】

 登戸研究所の機能が殆ど停止しました。
 梱包された設備は、順次移送を待っています。

 天皇や大本営は信州松代へ、登戸研究所は小諸へ疎開するのです。
 こちらへ残る者と、信州へ行く希望者の最終仕分けが始まりました。

 そんな中で、一通の回覧が回って来ました。

 「軍用トラックの将校用の荷物から赤いパラソルが覗いている旨、地方人から批判が出ている。私物は人目に付かぬよう、充分注意するように」

 またか! 何度もこの種の回覧が回って来ます。

 もはや末期的症状だ。当時は民間のことを「地方」と称して居りました。
 私共は各大学の研究室に戻り、そこで戦時研究を続ける、と言う手筈。

 A君及びここで知り合った人々と、最後の打ち合せと最後の別れ。
 後は、ただただ、終戦工作派の成功を祈るのみ。

 研究所を辞して汽車に乗るまで、3日間の猶予が与えられました。
 切符の購入と、荷物を纏めたり送ったりするためです。

 東京駅は正面が焼けたので、八重洲口の広場に堀立て小屋のような臨時の切符売場が設けられ、長い列が20列くらい出来ていました。

 勿論、証明書が無いと買えません。証明書の吟味と、乗車目的を一々確認されるので、半日仕事です。皆、仲良くなり情報交換の場になりました。

 米軍が撒いた宣伝ビラをお互いに見せあったりしています。

 実は私も簡単な短波受信機を組み立てて持って来てるのですが、いつもは通勤で疲れ果て、帰ったら聞くどころか、バタンキューとぶっ倒れたまま、気が付いたらもう朝!と言う状態が続いていました。

 しかし、やっとゆっくり聞ける機会がやって来たのです。
 短波と言うのは、送信側と受信側が、共に夜間になると良く聞こえます。

 ホノルル放送が、よくサンフランシスコからの中継番組を流します。
 やがていつものように、

  This is a Voice of America, absorbed by National Broadcasting Company …

 と始りました。

 しかし、何となく気になる箇所があります。実に妙に気になる言葉が …

 … Now we have a Big News … New Mexico … fifteen thousands tons
 TNT … atom … atomic weapon … … K C B I … Honolulu Hawaii …

 フェーディング(声が大きくなったり小さくなったりする現象)の合間にとぎれとぎれにアトミック何とか、かんとか …

 何か、原子兵器の可能性の解説でもしているのでしょうか。
 原子がエネルギーに変わると、凄い兵器になると言うことはよく聞く話。

 それとも、出来たのか? … いや、まさかそんなことはないだろう!
 いくらなんでも … 空想科学小説の番組ってこともあるしな …

 かってオーソンウェルズの火星人襲来のラジオ放送で、パニックになったと言う例もあったとか。おそらくその種の娯楽番組でしょう。

 とにかく夏期は電離層がフワフワしてるから、良く聞き取れません。
 研究室に戻ったら、もっと本格的な短波受信機を作って聞きましょう。

 荷物を駅止めで発送し、やがて出発の時が来ました。

 列車は青切符。超満員で窓から出入りしている三等車を尻目に掛けて、柔らかいクッションの効いた座席に悠然と座ります。少々申し訳ない感じ。

 車内では陸軍大佐と向いあいました。堂々としてるが温厚な感じです。
 やがて「飲みたまえ」と水筒の茶を勧められ畏まって有難く頂戴します。

 列車が川崎に入る頃、米軍の捕虜が帽子のひさしに手を翳して空を眺めて居りました。空には無数の飛行機雲が … 捕虜は如何にも嬉しそう!

 うん? 警報が鳴ってたかなあ。
 慣れとは恂に恐ろしいもので、警報中かどうか分らなくなって居ります。

 「随分自由にさせて居りますね。服装も米空軍の服の侭を着て居ります」

 「あれは君、ああやって米軍からの攻撃を避けて居るのだよ」

 なるほど、そう言うことなのか。この辺りは軍需工場の多いところだ。
 熱海附近では海の波がきらめいて、平和な時と同じ様相を見せています。

 ここは「貫一お宮」の舞台なんだなあ、と戦争が無かった頃を偲びます。
 突如、バババッ、と車内が揺れて、天井からホコリが舞い降りました。

 "グォ~ン" … と艦載機が超低空で海の方に飛び去ります。
 また一機、続いてやって来ました。もう貫一お宮どころじゃありません。

 ダダッ!パシッ、どかん!ガンガラガンと、もういろんな音が致します。
 跳弾が砂利や小石を巻上げ車体に当たる音でしょう。床がビリビリッと。

 「君、座席を外して被り給え」

 え? この座席、外れるの? 初めて知った!

 「効果、ありますかねえ …」 何とも心許ない …

 「直撃は無理だが、上からランプの破片とか、色々なものが落ちてくる」

 大佐殿、経験が豊富らしい。言う通り従って居れば間違いなさそうだ。
 あ!前の車両が燃えている!車両の間の刷りガラスの扉がオレンジ色に!

 火はすぐ消えたようですが、何やら騒ぎが大きくなって参りました。
 列車は猛烈にスピードを上げて居ります。大佐が扉を開けました。
 
 「君達、こっちへ入り給え」

 「怪我人をお願いします」 扉のそばの人が言う。

 下士官らしい人が、足を打ち抜かれてぐったりしている女の人を抱えて来ました。大佐を見て「あっ!」と怪我人を下ろして敬礼しようとします。

 「いいから、入れ」

 ハッ! と言って怪我人を抱え直して入って来ました。

 女の人は腿の下部から出血して顔面蒼白、殆ど失神状態です。

 「医者は居らんのか」

 「自分がやります。戦地から戻ったばかりであります」

 「戦地はどこか」

 「中支派遣軍であります」

 そんなこたあ、いいから、早くやれっちゅうに …
 殆ど全員が救急薬品や止血道具、三角巾等を携帯して居ります。

 そのとき「退け退け!」と向うの客車がまた騒がしくなりました。

 まだ怪我人が居たのか? 人垣を掻き分けて連れて来られた人は赤十字の帽子を被っていました。おお、従軍看護婦!こんなときは輝いて見えます。

 全員が「医者は居ないか!」と、ずっと先の車輌まで声を掛け合って探したらしい。まさに一蓮托生、運命共同体そのものです。

 皆は一斉に安堵の色を浮かべます。

 下士官と一緒に、テキパキと処置をしてると、列車はやっとトンネルの中に逃げ込みました。皆は懐中電灯の光を一点に集中します。

 「すぐ出発する筈だ。艦載機は長居が出来ん。三島で降ろしてやれ」

 「はっ、医者へ運ぶよう手配します。貫通銃愴で骨を外れて居ります」

 「そうか」

 従軍看護婦に戦地帰りの下士官か … 本当に頼りになるよ!
 とにかく出血を止めさえすれば、助かる見込みが大きいそうです。

 三島で罹災者用のパンが配られました。色こそ黒いが、とても美味です。
 列車の銃撃で罹災者になるの? 規則ではそう言うことになるらしい。

 お役所仕事の感じがしないでもないが、鉄道省 … じゃない、運通省は確かに役所。このところ、やたら役所の名前が変わってややこしい。

 そんなことより食う方が先。と、ガツガツ食べて居ります。
 なにしろ、最近食べたものの中では、飛び切り一番の御馳走でした。

 「うまいか?」

 「はい。でも、藁が出て来ました」

 「それは君、芋の茎だ。罹災者用の配給は受けたことが無いのかね」

 「まだです。でも早く罹災して、こう言うのをふんだんに食べたいです」

 「あはは! 面白いことを言うやつだ」

 打ち解けて話題が弾むうち、大佐はどうも講和賛成派らしいと分る。
 惨禍を防ぐ方に一命を捧げる、と言う覚悟の友人がいることも話します。

 色んな貴重なお話しを伺いました。もう講和は無理で降伏は免れないが、それでも天皇は戦争終結に傾いて居られるらしい。本当ならいいのだが …

 大佐は大阪で降り、私は戸籍謄本を取りに広島に直行です。
 勤務先の変更に必要なのです。

 別れ際に、たとえこの先何があろうと、君達のような若い者は決して軽挙妄動に走らず、絶対に生き残らねばならん、と悟されました。

 広島では比治山の麓の親戚に寄り、そのまま市役所へ行きます。
 市電の運転手は、皆、キリリと鉢巻きをした女性でした。

 帰りに産業奨励館の前を通り、太田川の上流に向って散歩をします。
 美しい緑の丸い屋根が、ふと焼ける前の東京駅を思い出させました。

 父親が京都の小学校に勤務してますが、夏、冬、春、と休みが多いので、子供の頃、休みはいつも郷里の広島で過ごすことになって居りました。

 京都の岡崎の疎水と美術館、東京の神田川に架かる聖橋とニコライ堂、そしてこの産業奨励館と太田川、それぞれ散歩に一番適したところです。

 京都と広島が選りによって双方とも戦災を免れるとは … 有難いことだ。
 東京で散々な思いをして来ただけに、ほっと心が和むひとときでした。

 子供のころ、しじみを良く採りに来た川面を眺めながら、このまま戦争が終わってくれればいいのだが、と思いつつ、ちょっと不思議な気もします。

 ここは全国から軍隊が集合、宇品から大陸や南方に向け出て征くところ。
 日清・日露の戦役には、大本営が置かれたところです。

 自らを軍都と称し、謂わば戦争の根拠地みたいなところですから、真っ先に空襲に遭ってもおかしくないのに … でも、そろそろ分らんぞ!

 そうなれば、この美しい、まるで外国の風景に出てくるような緑の丸屋根が水面に揺れる情景も、いつか東京駅のような姿になるのだろうか …

 ま、余計な心配をしている暇はない。夜行で京都に行かねばならない。


      … 原爆が投下される半月前のことでした …

        == 新多 昭二(Shinta Shoji)記 ===

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かんぶりあ  新米   投稿数: 11
【登戸研究所の思い出(10)】

 京都に戻って参りました。さすがに焼けて居りません。今のところは …
 実に、長い、長い、旅でした。

 学務課で早速手続き。籍を文部省に戻します。
 これを済まさないと、お給料が頂けないのでありますな。

 学務課のお姐えちゃん … もとい! お嬢様が、辞令を持って来ました。
 お! 一号俸上がってる! 有難い。陸軍帰りだからな、箔が付いてる。

 「東京は大変でした?」

 「まあね。陸軍科学研究所って聞いたけど、登戸研究所でしたよ」

 「中の地図に、登戸って書いてありませんでした?」

 「中は登戸科学研究所となってたな。着いてマゴマゴしたんだから」

 「私、上から言われた通りにしたんですけど。あこ秘密研究所でしょ?」

 「秘密? まあ、そうだろうな … 人目に付かない丘の上だったし」

 ここでウダウダ言っててもしょうがない。そりゃまあ、秘密だろう。
 細菌兵器に敵国紙幣の偽札作りに殺人光線だ。大っぴらには出来まいよ。

 うわべだけ聞いてりゃ、どんな怪しい所かと思うもんね。
 殺人光線なんて、殺人光線の可能性を研究してただけなのに …

 大学の研究室に戻って先ず始めたのは、性能のいい短波受信機を作ることでした。高周波増幅1段、中間周波増幅2段のスーパーヘテロダイン、って言う上等なやつでやって見ましょう。

 ある特定の局だけでいいのだから、波長切換スイッチなんか要りません。
 なにしろ急ぐし、格好なんかどうでも良いからバラックで組みましょう。

 バーニアダイアル用のアルミ板だけを前面に立てることにして。
 (知ってる人は、うん、なるほど、と思うでしょうね …)

 ハワイと日本の間が双方とも夜になると、電離層が電波を反射し易くなるため良く聞こえます。

 ダブレットアンテナをハワイに向けて直角になるように張りましょう。
 午後の9時から10時が、ハワイの午前2時から3時に当たります。

 当直を代ります。代って貰った人は大喜び。かぼちゃを半分持って来て、工学研究所の地階に備蓄の米があるから夜中にこっそり取りに行くといい、と教えて呉れました。

 当直の者は皆そうしてる由。変な習慣が出来たものだ。
 (因みにこの工学研究所は、現在原子核研究所になって居ります)

 早速教わった通り実行し、かぼちゃを切って電熱器で焼いたものを副食にあまりおいしくない夜食。この米、プンと油くさい変な匂いが致します。

 ま、今夜は米を盗むのが目的ではありません。早速ダイアルを回します。
 おお! 実に良く聞こえます。そして … 紛れもなく原子兵器の存在が!

 やっぱりそうか … 心配は本当だった! しばし放心状態が続きます。
 ニュース解説が終って、米国国歌が流れます。続いて中国語の放送が …

 それにしても暑い!加えて艦載機なみの蚊の大襲撃。当直を嫌がる筈だ。
 蒸し暑く、風の無い、暗くて広い大学の構内を、空しい心で歩きます。

 無数の魂がざわめいて居るような、空いっぱいの星の瞬きの中に、スーッと一条の流れ星 … 天頂から大文字山に弧を描いて、フッと消えます。

 … 一体、何を願えばいいと言うのだ …

 この空の下で、何も知らない人々が、安らかな寝息を立てている。
 たくさんの星々 … だがこの無数の瞬きも、所詮は原子の核融合。

 星の一つの太陽が、我々に生命を与えたけれど「太陽の子孫」と称する人々は燃え盛る原子エネルギーの真っ只中で、ただ消え去ってしまうのか。

 何れ来るかも知れぬ、そのさだめの空しさを、人々は未だに知らない …
 大きな大きな蝎座が、南の空に浮んで居ました。

 うん? 待てよ!この放送は参謀本部にも大本営にも報告が行ってる筈!
 そうか!… これで戦争終結派の完全勝利だ。

 原子兵器が出来ているのが判っていながら「焦土作戦」をやる筈がない。
 これで戦争は終わるのか? … なら、いいんだけどねえ。

 翌日、研究室の皆に知らせたら、核分裂や核融合の学術面の議論だけに話題が集中。 … もう、完全に意識の断絶 …!

 てめえら! 一度東京へ出向いて、爆弾の雨でも浴びて来い!
 こんなのが将来教授になるかと思うと、俺らあ情ねえよ、まったく!

 これでクーデターでも起って見ろ!
 応仁の乱のお公家さんみたいに、ただオロオロするだけじゃねえのか?

 知識ばかりで心がないから、学者は易者や芸者の仲間、と言われるんだ。
 そがいなことじゃ、あきまへんで、べらぼうめ! 一人で怒っとります。

 最近朝起きた瞬間、ここが東京だか広島だか京都だか分らんことがある。

 それは兎も角、その原子兵器らしきものが頭上に破裂する前に、何とか休戦に持ち込めるかどうかだが …

 もし間に合わないとすると、どこに落ちるのだろう?
 恐らく、未だ空襲に遭っていない所に違いない。

 周囲を山に囲まれた盆地のような地形が効果的だろう。山が一斉に焼ければ、効果がよく判って降伏を早める、とアメリカは考えるかも知れない。

 そして世界的に名の知れた、大きな都会を狙うかも … それは …

 きょ、京都!? … いや、その前に、きっときっと休戦に持ち込める筈!
 信じよう! そう信ずるより方法がないではないか …

 京都以外に未だ空襲を受けてなくて、名が知られている所と言えば、先ず長崎がある。それに奈良。でも、京都がいちばん可能性が大きいような …

 広島もこの際、候補に入れてもよさそうだ。軍都だし、周囲は山だ。
 あまり考えたくないことではあるけれど … 考えるのは向うだからねえ。

 つい先日眺めた美しい産業奨励館の佇まい … ま、余計な心配は止そう。
 まだそうと決まったわけじゃあるまいし。取越苦労と言うものだ。

 そして、この原子エネルギー解放兵器の恐怖が、単なる戦争秘話として、誰にも語られるようなこともないまま、歴史の狭間に埋もれるような結果になれば、これに勝る幸運はないのだが … 果たして …

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    故郷の空に巨大なキノコ雲が立ち上る1週間前のことでした。

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      === ELSE-Networks 新多(Shinta)昭二 ===
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