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イレギュラー虜囚記(その1)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2007/12/6 23:15
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
我々の前進が遅れたため、田中隊長と大島屬が様子を見に来た。他の車両は修理を終って既に前進し、我々の車が最後尾にとり残されたらしい。

 急ぎ出発準備完了。隊長は運転席に、自分は荷台右側先頭のドラム缶に座る。暑いので全員上衣を脱ぐ。エンジン快調、路上に車が出た瞬間、後方から三機の掃射がきた。出発に気を取られ完全な不意打ちを喰らった。

ドラム缶に挟まった軍刀が取れず、右側斜面に飛び降りるのがやっと。掃射の間を縫って匍匐で少しずつ車から離れる。草が深いのが幸い。ピッタリ伏せていても、機関砲弾がブッブッと頭上を掠めると、上衣が持ち上がるような気がする。当たるとすれば脚にという感じがするのは何故か。

車が被弾してエンジンから出火。火は荷台に移る。船田軍曹が燃える車に飛び乗って小銃、雑嚢《身の回り品を納める布製のカバン》を投げ下ろす。「弾薬に火が入るからやめろ」と呼びかけても「あと少しです」と頑張り、やっと飛び下りた途端、十加砲弾《口径が10センチの砲弾》が爆発。弾薬箱の小銃弾が四方にハネ飛ぶ。銃撃より仕末が悪い。

 車を迂回して、所定の退避凹地へ行くと、衛藤伍長が血塗れで倒れており、有馬兵長が手当てをしている。衛藤の胸と腹の問の左寄りに、ポツンと紅い弾痕が見えるが、出血は無い。背中には二銭銅貨大の穴があって出血がひどい。線路寄り二〇〇米の地点に展開中
の歩兵内攻班にソ連軍と誤認され、「友軍だ」と叫ぶ間もなく腰だめ射撃で射たれたと。

射ったのは鉄縁の眼鏡をかけた細長い一等兵。顔は土気色。我が方の兵隊は「殺してしまえ」といきり立つ。田中隊長が、敵機にやられたことにするから隊に帰って報告しろと言っても、件の兵は中々退らず、自分もこの伍長殿と一緒に死にますと、衛藤に並んで横たわる。隊長と二人で宥めすかしてやっと帰らせた。
庄司雇員を線路伝いに本隊へ報告に出す。

 燃える車の爆発が激しいので、敵機は戦車か弾薬車と見たらしく、またまた猛烈に襲撃してくる。その都度、衛藤を寝かせたまま全員凹地へ退避。早く野戦病院へと思い、道路際まで皆で抱えて移す。

腕章を巻いた衛生兵が通りかかって、エソ予防の注射をし、包帯を交換してくれた。横道河子方面へ行く車を停めて、重傷者を乗せろと頼んでも、どの車も作戦命令で動いているので駄目ですと取り合わない。

 間もなく、軍医が三人、煙草を喫いながら歩いて来たので衛藤を診てもらったが、傷口を一瞥して、こりゃいかん、あと二時間も保たんと言って、「胸腹部浸透性貫通銃創戦死」 と書いた死亡診断書をくれた。野戦病院へ送っても無駄だという。

衛藤の眼が黄色く濁って、額が氷のように冷たくなってきた。やがて細い声で「ロスケ《ロシア兵(蔑んだ言い方》を殺さずに死ぬのは残念です。天皇陛下万歳」と呟いてこと切れた。

俺は果たしてこんな立派な死に方ができるかと思う。衛藤は、日本兵に射たれたことについて一言もいわなかった。立派だ。

 衛藤は死んだが、何としても野戦病院まで運び、丁重に葬ってやりたい。銃を縛り合わせて担架を作る。夕闇が迫ってきた。我々の車は骨組みだけになってチロチロ燃えている。敵機は未だ執拗に横道河子市街を掃射中。プロペラの中心から、赤い点線がスースーと
地上に吸い込まれるのが見える。

 道路上に衛藤を担ぎ出したら、横道河子方向へ行く挽馬輜重隊《馬で輜重車を引く隊》が通りかかった。最後尾の輜重車に、重傷者と偽って乗せてもらい、ムシロを被せる。車両が揺れても坤き声も立てないので、初年兵らしい馭兵《ぎょへい=馬を操る兵》が我慢強い兵隊さんだと感心している。

夜の路上はバラバラになって退却してくる兵、逆行するトラック、満人や馬の死体、ロウソクをともした何かの衛兵所、速歩の連絡兵など結構賑やか。
                          (つづく)

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あんみつ姫

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/12/6 23:18
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
 輜重隊が横道河子手前三粁の糧秣廠に左折し始めたので、衛藤を担架へ移して交替で担いで前進する。
途中で、谷間から路上へ出た挽馬輜重隊に出合う。乗馬の隊長が、牡丹江教育隊で同区隊にいた小岩井候補生であった。

兵隊がほとんど支那帰りで、肉迫攻撃の要領も知らず苦労したとか。中隊長代理で厄介なことだとぼやいていた。彼は樺林《黒龍江省牡丹江市の町》の七〇〇〇部隊。戦車にやられて後尾の車両列が踏み潰され、彼の将校行李《将校に任官すると日常品を入れる私用行李が与えられる(購入)》もなくなったと。

友軍機はどうしたと聞くので、十五日の陛下の放送を説明してやったら驚いていたが、覚悟もしていた様子。お互いの健闘を誓って別れ、小隊を追う。

左は谷、右は山で、茂った木々が重なり合って星空では路上は真暗。焼けた車や馬の死体が転がっていて歩きにくい。通が下りになったところで一塊りになった人影が見え、やっと追いつく。

 田中隊長が、野戦病院は戦車が接近したので後退し、前線には繃帯所《簡単な治療所》もないらしい、ここで埋めようと言う。山の斜面で穴を掘る。歩兵の携帯円匙一丁でははかがゆかぬが、一時間ほどで五〇糎の深さになった。

隊長が形見として、遺体の小指の先を軍刀で斬り取ろうとするがうまくゆかず、貴官がやれと押し付ける。軍刀の引き斬りでは、関節に当らなければ骨がキコキコと抵抗する。やっと始末した隊長が指先を紙に包んで上衣のかくしに入れた。

衛藤の軍装を整え、鉄帽もつけ銃を振らせて埋葬。草と木の枝をしっかり被せた。池田雇員が小声で読経、全員挙手の礼で別れを告げる。

 道路上へ出て小休止。青い三日月が出ている。ずっと姿を見せぬ石田軍曹を呼びながら元きた道を引き返す。先ほどの糧秣廠付近で他部隊のトラックに乗った石田に出会う。

軍刀を探しているうちに暗くなって隊を見失ったとか。石田によると、我々の焼けた車から前方五〇米の道路上に、二線の歩哨《ほしょう=警戒取締りの兵》が立ち、特別の許可なき限り出入禁止となった。

庄司雇員が本隊から帰ってきたが、歩哨線を越えられず、石田は、我々は前線に戻って突っ込むから、本隊は我々にかまわず下がってくれと伝えたとのこと。庄司はやむなく本隊を追って行った由。海林部隊長後尾の第二中隊第二小隊二十三名、田中中隊長を長として本隊から千切れてしまった。

 清水の湧いている道端で小休止。さて、どうするかと隊長。歩哨線は出られぬし、今さら斬込みも無駄。こんごは兵員を損なわぬことが第一。幸い、五軍の月岡参謀が喜野少佐の義兄に当たるので、横道河子に引き返して事情を話すことに決定。
またまた山道を逆行。衛藤を葬った箇所で一礼し、市内に入る。

 暗闇の中で各部隊ごった返し。駅構内は、あちこちで焚き火。ロシア人クラブはがらん洞。隊長は司令部を探して横道へ下りて行く。一同玄関階段で休む。夜気が冷たい。クラブ横の建物に、ロウソクをともしてリュック姿の地方人が四、五十人いる。牡丹江の在郷軍人とか。

下士官が一人、司令部を尋ねてきた。掖河で大分斬り込みをやったが、ロスケはワァワァ泣いて逃げ惑い面白かった。敵戦車二両をやっつけた朝鮮人初年兵は金鵄ものだと感心している。暗くて顔は分からぬが、元気のいい下士官だった。

時おり小銃の音がするだけで、夜は戦争も一休みの恰好。三十分ほどで隊長が帰ってきた。月岡さんは司令部の連中と飲んでいる。「明18日正午、五軍は降伏する。ここで武装解除するから、君らは、月岡参謀承認済みと言って後退せよ」と言われたと。我々はあくまでも武装のまま新京本部に至ることとし、再び夜道を撤退行軍開始。

本日、この山道を往復すること四度、約三〇粁。一同疲労甚だし。隊長は手を引いてくれと言う。歩きながらフラフラと眠っている。例の糧秣廠まできたら、「糧秣交付所」の掲示があったので立ち寄る。

大釜二つに白飯が一杯。握り飯を鱈腹食ったら眠気に勝てず、苦力用《クーリー=肉体労働者》のアンベラ小屋で南京虫に食われつつ全員泥のように眠る。                            
                          (つづく)

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あんみつ姫

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/12/7 22:02
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
   ソ連赤軍と初顔合わせ

 8月18日 晴  
5時かっきりに眠が覚める。霧が深い。握り飯を頬張りながら出発。糧秣廠には鮭の缶詰梱包が山積みしてあり、一梱貰おうと交渉したが、係の見習士官はロクに返事もせず、兵を指揮して梱包を山陰に隠している。任務か何か知らぬが、融通の利かぬ石頭。

なるべく早く横道河子を遠ざかること。霧が少しずつ晴れる。歩度を伸ばす。道路上に、藍色の満服を着た満人が汚いフトンを背負ったまま点々とひっくり返っている。機銃掃射を受けても、道路外に退避することを知らず、そのまま走るのでよい目標になる。

四、五人固まって腸が流れ出したり、足が千切れたりしたのが、血糊の中で「アイヤ アイヤ」と坤いている。ザクロのように裂けた水筒が、木の枝に引っかかっているが、兵隊の姿は見えぬ。あたり一面に、三〇粍機関砲弾が散乱している。

 やがて、昨日やられた我が車の所まできた。タイヤが未だブスブス燃えている。積んでいた南瓜が甘く焼けごろで賞味する。散乱した小銃弾や手榴弾をできるだけ集める。自分の軍刀はグニャグニャ。金子雇員の軍刀を借りる。柄が半分焼けているが一応様になる。上衣、図嚢《ずのう=地図などを入れる皮製のカバン》、双眼鏡も焼け、残ったのは腰の拳銃と鉄帽のみ。

 歩哨線にきた。隊長が月岡参謀の言を傳える。証明書を要求しそうだったが、将校二名の部隊行動だったので通してくれた。第二線も通過。歩度を速める。横道河子から一つハルビン寄りの駅の手前で山の斜面を上る。畑の馬鈴薯を焼いて食う。

大島属が道路に下りて、通過中の部隊から牛缶と干麺包を貰ってきた。後退する部隊もときどきあり、我々同様特別許可を得たのか。日中は暑いので夜行軍と決め、全員畑の中で昼寝。ヒマワリの葉を偽装兼日除けとし、手拭を顔にかけてコンコンと眠る。五軍が降伏したか、ソ連機は飛ばなくなった。

 陽が山陰に入った頃行軍開始。涼しい中をどんどん歩く。通がまた山にかかる。清水が流れている処で小休止。顔を洗い、水筒に水を満たして、出発しようとしたところ、後方から轟々たる車両の響きが伝わってきた。エンジンの音に底力があり、少なくとも二、三十両がくるもよう。やがて先頭車が曲り角から姿を現した。

車高が低く幅の広い無蓋の指揮車、ロシア人が乗っている。二両目はホロをかけた無線車らしき車、続いて四角張った、がっしりした十輪車が火砲を牽引して続々と姿を現す。総て濃い緑色の塗装で、砲車は太いタイヤ。トラックに乗っているのは皆子供っぽい顔をしたのや年寄りばかりでヨレヨレの服を着て、寝そべっているのもいる。

ハテ何者か、白系露人で編成した浅野部隊かと思ったが装備が良過ぎる。車体にスターリンのヒゲ面を掛けているのがあって、こりゃソ連軍だ!と一瞬緊張し、中には雑嚢の中の手榴弾をつかんでいる者もある。

田中隊長が軍刀の柄を振ってう~むと唸る。もし奴らが自動小銃を向けたら斬り込みだが、五軍が降伏したので尖兵《本隊に先駆けて偵察する部隊》部隊として入ってきたのだろう。こちらから仕掛けなければ、ロシア人のことだ、何もしないだろうと考える。
事実、茫然と立っている我々の前を通り過ぎながら、ニコニコ笑っているのもおれば、手を振っている奴もいる。大して敵愾心《てきがいしん=相手にたいする憤りや闘争心》もないようす。

「ハルビンを占領する」と白墨で殴り書きした車もある。「お前ら白系か赤軍か」と大声でロシア語で聞いたら、「赤軍だ」の返事。いよいよ確かに赤軍の先鋒だ。田中隊長に「こちらから手出ししなければロシア人の性格として、小うるさいことは言いません。煙草でもすいながら、どんどん通ってしまいましょう」と進言する。

学院、ハルビンのお陰で、ロシア人に親密感を持っていたことが、爾後の行動決定に大いに役立ったと思う。

ソ連側の行進が止まったので、我々は銃を担いで車の横を通る。無線車の処まで来たら、何時の問にか友軍のニッサン車がおり、荷台に将校が立っている。五軍の案内将校と思って、「このソ連軍はハルビンに行くのですか」と聞いたら、その将校は、一体、このロシア人は何ですか。此処で自分の車が止まっていたら突然やってきて挟まれた。一体こりゃ何ですか」とびっくりしている。何も知らないらしい。

「日本は降伏しました。こりゃ赤軍ですぜ」と言うや否や、この将校大慌てで私物の行李をあっちにやったりこっちにやったりオタオタしだした。「おとなしくしてりゃロシア人は何もしませんよ」と教える。

先頭の指揮車(註-米国授助のジープ、ソ連軍はウィリスと呼んでいた。大型トラックはスチュードベーカー、ソ連軍ではスツッドベッケル)から金ピカ肩章の将校が降りて指揮し、10人はどの兵が道路を横切っている溝の丸太補強中。

無線車から赤いベレー、赤いスカート、黒長靴の女兵が数人出て来たのには驚いた。ソ連軍め、独ソ戦で若い兵隊がやられて、女子供ロートル《老人》ばかり使ってやがる。こんな奴らに負けるとは、と思ったが、装備の立派さには敵わぬ。

女兵士は谷の方へ下りて行った。小用でも足すのだろう。我々が行くと作業をやめて通してくれた。スパシーボ《露語でありがとう》と礼を言ったらニヤニヤ笑っていた。急いで山道の勾配を上る。

 道の両側にトラックを止めて、飯を食っている日本兵がいる。「赤軍が来るが、抵抗しなければ大丈夫。日本は降伏した」と知らせつつ前進。ポカンとしている奴、知らん顔で飯を食い続けている奴、一目散で山へ逃げ込む奴などさまざまだ。道路が次第に悪くなり、遺棄車両の数が増す。

山の中腹で、遂に八三二四部隊の車を発見。我が中隊の武藤車だ。何か連絡事項でもと車の中を探すが何もなし。被甲《ひこう=敵弾から身を護る防御板》を全部残してあるところを見ると、本隊も軽装で徒歩行軍に移ったらしい。本隊近しと歩度を伸ばす。山中の道は上下し、泥渾(ぬか)るむ。放棄車両の数が急増する。満鉄の車の干メンポをごっそり頂戴する。

遂に、喜野少佐の乗用車を発見。梅干しの樽も干メンポもある。井川運転手に調べさせたらすぐエンジンがかかった。全員鈴なりになって前進しようとしたら、何処からか日本軍将校が走って来て、我々の車だと言う。

八三二四の車だ。俺達は八三二四だと一本やり込めた積りでいたが、「いや、エ.ンジンは私共で取り替えてやっと走れるようにした」と譲らない。掖河の兵器廠の技術将校らしい。止むなく徒歩行軍に移る。

途中の小さい沼に、鉄帽、各自一発だけ残して、全員の手榴弾を沈める。発火させて一発ぶち込みたくなったが、大きな音で騒ぎが起きてもと諦める。夜十時過ぎ、山越えを終わり平坦地に出る。道路は浜綏線と平行している。

夜行軍は歩度が早くなり勝ちなので、40分に20分の小休止とする。それでも皆疲れが出て黙々と歩く。午前一時頃部落に着く。灯火のある家で支那語のできる山本雇員が聞くと、ヤプロニー《ハルピンから東南の黒龍江省の街》まで六里くらいとのこと。犬の遠吠えだけ。月が昇り、あたりはほんのりと明るくなった。
                              (つづく)

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あんみつ姫

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/12/7 22:07
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
 8月19日 晴 
夜行軍を続け19日となる。麦畑の中の道路で両側に分かれて休憩中、後方の空に煌々たるヘッドライトの光が反射し、エンジンの響きが聞こえてきた。ソ連先頭部隊だ。あの悪路を早くも越えて来たかと機動力に驚く。

誤射を受けないよう隊長と二人だけ道の真ん中に出て、わざと煙草に火をつける。目を射るような強い光を向けて、先頭はジープ、あと砲を牽引した二両が続く。

ジープのソ連兵が自動小銃を構える。外套をすっぽり被ったロシア人が降りて来て、日本語で「日本ハ降伏シマシタ。モウ戦争ハアリマセン。アナ夕方トハ友達デス」と言って握手を求めてきた。「知っている」とロシア語で答えたら、相手もロシア語になって、「君はロシア語が話せるのか」と尋ねるので「少々やる」と返答。

「ここから新京までどれ位の距離か」田中隊長が怪しいロシア語で割り込んできて、「我々は新京を通った」とやったので、奴さん驚いて「オウ、われわれの通った道には、牡丹江のはかには大きな街は無かったが、通り過ぎたか」と慌てる。

「いや、我々も新京へ行く途中だ。まだ五百粁はある。」と言うと、「そうだろうと思った。時に、ヤプロニーまでどれくらいか」「約二十粁」と答えると、車の将校に伝えてジープに飛び乗った。車の上から日本語で「アナタハロシア語が大変ウマイデス」と言いながら快速で前進して行った。あんな機動力と装備が欲しかったとしみじみ思う。

 今まではソ連軍に追いかけられているような気持だったが、とうとう追い越された。こうなれば歩度を落として進むのみ。左側三百米に鉄道線路、その向こうは、ずっと林が連なっており、疲れてくると、それが人家の屋根に見えたり、駅舎に思えたりする。隊員の中には、褌一つになってヨロヨロ歩くのも出てきた。

やっと、側溝に片車両を落とした新しい車両を見つけた。エンジンは未だ温かい。中川運転手が始動すると気持ちよくかかる。先ほどの赤軍ジープに驚いて兵隊が逃げたのだろう。持ち主がいない問に乗り逃げと決め、トラックを押し上げる。荷台を調べると、あるわあるわ、糧秣、被服、白米に牛缶。早速石油缶に一杯白米を炊く。

 飯も食ったしさて出発。ところが、五分も走らない中に前照燈が消えた。「くそ、日本のインチキニッサンめ、ド新品のくせにもう故障か、これだから戦争に負けたんだ」と一同カンカン。
そう言えば、15日の夜下ろした新品の将校用編上靴の底に、もう穴があいた。
何たるお粗末!

幸い後方から友軍のトラックが一台追い着いてきた。将校が、「さっきのロシア人は何ですかね」と訊く。「赤軍ですよ」と教えたら、「何でこんな処まで来たのだろう」と日本降伏を知らないらしい。陛下の放送のことを話したら、「道理で」とびっくり驚いていた。

この車に先導してもらって前進。一粁も行かない中にストップ。先鋒の車は20米くらいの所で待ってくれたが、修理に手間取りそうなので先に行ってもらい、車は中川に任せて、他は毛布を被って仮眠。

 夜が明けた頃修理完了。一時間くらい走ったらまた故障。配電盤が良くないようだ。五十年配のリュックを背負った夫婦が逃げて来たので車に乗せ出発しようとしたら、昨日の砲兵隊が続々と追い付いてきた。彼らは路上に遺棄トラックがあると、それを横倒しにして道を空ける。ソ連軍が通ったあとは、友軍のトラックが車輪を上にあげて無様な恰好。

我々が行くと、ソ連兵は車を片方に寄せて通してくれる。ヤプロニー手前で遂に完全に故障。車を捨てて徒歩行軍に移る。ソ連軍が道路上を進むので、我々は線路上を歩く。銃を担いでいるが、ソ連側は丸で問題にしていない様子。中型戦車も進出してくる。

朝鮮人が万才万才と歓迎し、中には戦車に飛び乗る奴もいる。線路上はバラバラと日本兵、ムーリン《牡丹江の北東の黒龍江省の町》の八八部隊らしい。祖泉(隆平)が五月に入隊した部隊だ。
                             (つづく)

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あんみつ姫

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/12/7 22:10
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
 ヤプロニーの街の入口に到着。線路上に、友軍将校の軍使らしいのが大きな日の丸と白旗を掲げて立っている。白手套《白手袋》に威儀を正したのが、大きい白旗を持っているのは滑稽でもあり情けなくもある。

それより驚いたのは、ヤプロニー全村の満人家屋に掲げられている青天白日旗《せいてんはくじつき=中国国民党の旗》だ。一軒として旗の無い家はない。紙の手旗が多いが、布地の大きなのもあり、さすが支那人だと感心せずにはいられぬ。満洲国成立以来、筐底《きょうてい=目の細かい竹製の籠深く》深く秘めていたに違いない。

白系露人《はっけいろじん=注》の女性が牛乳缶などを持って歩いている。赤軍が入って来たらどうなるのか。ソ連の白系に対する措置はどうであろうか。ヤプロニー駅の近くの近藤林業の製材工場が、ひっそりとして、板材が白々と見える。

17年の夏、研究旅行で島木先生、田中久宣、広田弘道の四人でここに来た。あの頃の浜綏線はどの街も面白かった。横道河子は欧露の何処かのようにエキゾチックで、駅のプラットフォームはロシア模様の白い柵に囲まれ、ロシア娘が鈴蘭の花束を売っていた。(註=『学院史』に掲載されている横道河子駅スタンプはその時のもの)。

ヤプロニーでは近藤林業のクラブに宿泊した。トーニャという美しい娘がいたっけ。ここから森林鉄道で「19キロ」という名前の部落へ行き、案内役のノンナと水泳をしたり、田中久宣の所謂「マリヤのように神々しい」11才のナターシャの横顔に感心したりしたのも、つい先頃のように思えるが、今や浜綏線の夢も無惨に潰え去った。

 青天白日旗の翻える満人部落へ入るのは少々不気味だ。駅は兵隊で一杯。駅を通り抜けたら軌道トラック《鉄道せんろ上を自動車用エンジン付きの気動車》が来たので全員鈴なりに乗せて貰う。隊長と二人運転席に乗る。運転しているのは眼鏡をかけた逞しい上等兵。

「牡丹江はソ連の管轄に入って、鉄道連隊はソ連の命令で機関車を探すことになりました。残念ですね」とポロリと涙をこぼした。

快いエンジンの響きと滑る様な快速。うとうと睡る。成る可く機関車が見つからないようにと思う。
本隊を追い越したようだ。軌道車で走り出した時、ヤプロニー駅で山崎准尉らしいのが大声で呼んでいたようだ。我々のための連絡者だとすれば申し訳なし。

 快速二時間、一面坡《ハルピンから東南の黒龍江省の街》に着く。駅は友軍で溢れんばかり。兵隊を満載したハルビン行きの貨物列車が止まっている。これに乗ればと思うが、腹も減ったし、喜野本隊を追い越したようだから一日位待たねばならぬ。プラットフォームで小休止。完全武装は我々だけ。

中尉が来て、今日正午、ソ連軍が入るが、我々はどうなるであろうと青い顔をしている。ここ数日の経験を話してやった。そこへ日本人の駅長が現れて、「武装した兵隊がいるとソ連軍の攻撃を受けるので地方人は大いに迷惑だ」と何処かへ行けと言わんばかり。

駅舎内では酒樽からぐいぐい酒を呑んでいる。情け無い奴等だ。そんなに怖いか。殺してしまえと兵隊がいき立つ。

駅前の司令部らしい建物に銃剣をつけた歩哨が立っている。中で訊ねると、一面披駐屯地部隊は武装解除するが、私達には関係ない。そのまま新京へ行けばよい。泊まるなら満鉄厚生会館でと教えてくれた。

 厚生会館は、駅から百米程の白樺林の中にある美しいロシア建築。
そこへ牡丹江方面から一列車到着し、山崎准尉と水谷衛生兵が到着した。やはり本隊は本道を歩いている由。
 会館には大きな劇場もあり、川に面してベランダがある。他の部屋へ少佐指揮の小部隊が入った。

兎に角、糧株と被服を調達しなければならぬ。大島属に8名をつけ、駅に連絡兵を出し、喜野隊を待つ傍ら、情報を集めさせる。徴発隊が荷車に、高野豆腐、白米、被服、軍靴等山積みにして帰って来た。憲兵隊の倉庫から持ち出したとは狙いが良い。

早速炊さん、川で手足を洗い、足の豆の治療を始める。飯ができてベランダで会食。飯うまく、風景良し。夕方になっても本隊は到着しない。赤軍も未着。午後8時、最後のハルビン行き列車が出るとて、少佐指揮の小部隊はガタガタと出て行った。軍属達も行き度い様子。
無理もなし。しかし我々は本隊を待つべしとて早々と就寝。

一面坡も懐かしい所だ。駅には一面坡ビールの売店があって、列車が止まると乗客は走って行って、安いビールを飲んだものだ。この厚生会館も公園も純然たるロシア様式。遂に、帝政ロシアの名残りも終わりを告げた。ハルビンはどうなっているだろうと気にかかる。                        
                            (つづく)

注 ロシアが共産革命の時 この思想を嫌って他国へ移り住んだ人

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あんみつ姫

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/12/7 22:14
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
     完全武装のまま一面坡から五常へ

 明くれば八月二十日、午前十時まで待っても本隊未着の場合は出発と決め、山崎准尉と衛生兵一を残す。本人達は行動を共にしたい模様なるも、本隊との連絡保持上残置止むなし。

会館前の道路に赤軍重戦車の地響き続く。いよいよ赤軍の一面坡制圧。この中をどう脱出するか。前方百米に二名の道路斥候《偵察警戒任務の先行兵》を出し、迂回路をとる。

昨日の駅員の話では、一面坡南方の峠を越え、山二つ越すと五常《中国読みウーチャン=ハルピンの東北に位置する街》の街が見えるという。五常から吉林《吉林省の省都》経由、新京に出ると決定。手許の地図は二百万分の一の甚だ雑なものだが、車輌通行可能の二倏実線路が一面坡-五常間にはっきり記載されている。鉄道手前まで前進して偵察すると、南側の満人部落を抜けて大きな通が峠に伸びている。

 ただ、まずいことに、道路脇の広場に赤軍の重戦車が一両止まっていて、満人がワイワイ集まって気嫌を取っている。どうしてもその前を通らねばならない。一面坡の日本軍は既に武装解除されたと見られるのに、われわれのみ完全武装で行動し得るか。連中のことだ、小うるさいことは言わんだろう、煙草でも喫いながら知らん顔で通ってしまおうと田中隊長に進言。

満人が我々を指差しているが、戦車兵は天蓋の上に坐ってニヤニヤしているだけ。ロシヤ式鷹揚さか。内心緊張しつつ、のんびり通り過ぎて満人街に入る。

店も開いていて賑やか。どの建物にも青天白日旗が執っていて、満人達が鋭い眼で睨んでいる。武装のお陰で手出しはしないが、異様な雰囲気が感ぜられるので拳銃を取り出し右手に握って先頭を歩く。

満人街を抜けると坂にかかり、峠はすぐそこだ。牛追いの爺さんに聞くと、峠を越せば五常に出る道があるという。坂の中腹まで来て後ろを振り返ると一面坡の街が一望の下に見渡せ、先刻の戦車もまだ止まっている。
我々から見えるのだから一面坡のソ連軍からも我々の行動は丸見えの筈だ。追撃を受けないうちに峠を越そうと急ぐ。戦車の砲塔が動いたら、全員散開、各個に早馳《はやがけ=走る》けとする。

峠の南側へ出て、一面坡が見えなくなった時は心底ホッとした。峠に廟があって、日本人の男の人が二人腰を下ろして休んでいた。開拓団本部へ行くという。眼の下に、ずっと大きな道路が南に伸びていて、左側に学校のような本部の建物が見え、道路沿いに満人部落が点在している。

この道が五常への道だ、なるべく早くソ連軍から離れようとどんどん歩度を伸ばす。行事の山なみを目標に進んでいたら、道がやや東向きになる気配。前方から来た馬車の満人に確かめたら、この道は牡丹江に行くという。地図では実線路は五常方面一本。まさかと思って更に前進したら東西の分岐点に出た。

躊躇せず西へ進む、やがて山道にかかる。二山越せば五常とばかりせっせと上って行くうちに、何時の間にか空が曇って一挙に暗くなり、雨もボツポツ降ってきて風が吹き山鳴りがし始めた。両側の木立が太くなる一方、道幅が狭くなってきた。マッチの明りで確かめると周囲は伐採した丸太の山。道は雑草の中に消えている。

冬期の橇搬出道に入り込んだと分り、回れ右、下山。暗さは暗し、大雷雨、上の方から小石まじりの流水。前の者の白手拭すら突き当たらないと分からぬ真の闇、転けつ転びつ夜明け前、ズブ濡れで元の本道に出た。昨夕足に任せて気軽に歩いた道も開拓団まで約二十粁。昼すぎやっと辿り着く。

 開拓団本部では平常通り事務をとっていた。女の人もいる。我々の格好を見て早速お茶や菓子をだしてくれ、間もなくザル一杯の握り飯を作ってくれた。新京のラジオで日本人は安心して生業につけというソ連軍の指示があったとかで、今の所このままでいるつもりだが、自衛用の小銃は取りまとめて本日一面坡のソ連軍に引渡すとのこと。

治安も良く、満人も大人しいそうだ。明日一日ゆっくり休んだら、明後日案内者をつけてあげる。五常への道は開拓団から直ぐ西に向っているとのこと。指揮官の誤算申訳なし。宿舎をもらって火を焚き、被服を乾かす。下着等持ってきてくれたが、丁重に辞退した。

この開拓団は入植約十年、本格的な経営が緒についたところで終戦。七月に開拓団の男子は殆ど招集された由。開拓団の手持米は今冬ぎりぎりと聞いて出発を急ぐ。

 翌々日は快晴。午後八時、案内者を先頭に行進。大体十粁置きに五常まで入植部落があるとか。前日の大雨で道路沿いの小川が大氾濫、膿まで漬かる箇所が再々出てくる。以前バスが通っていた道とはとても思えない。

十五粁程で最初の部落に到着。案内者と別れる。トウモロコシとお茶を頂く。ここ一帯は秋田、山形からの入植で、電気は無く電話線一本でつながっている。先般の招集で男手は殆どないらしい。

 夕方、無人の部落に到着。急いで引き揚げたらしく、行李の蓋が開いて着物がハミ出している。草屋根、泥壁、紙障子の小さい家でアンベラ敷きの六畳、ペチカで仕切った四畳半、台所、押し入れ。
子供の描いた絵や習字が壁一杯にべタベタ貼ってある。

家の周りは納屋と鶏小舎。若鶏を二、三羽頂戴し、畑のカボチャで水煮き。風呂のある家で入浴し、破れ障子から白い月を眺めつつ就寝。夜気冷たく、敗残兵の感深し。
                           (つづく)

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あんみつ姫

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/12/7 22:18
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    健気だった秋田開拓団本部

 翌朝、ここの住民と顔を合わせてはまずいと思い早々に立退くも、五分余りで二〇人程の日本人に出会い、ご苦労様ですと挨拶されドギマギする。今日の道路は良好。途中の部落で蜂蜜やカボチャ煮を馳走になる。十五戸に男は二人。女と小さい子供では動きはとれまい。

 昼すぎ、秋田開拓団本部へ到着。立派な厩舎や干草倉庫、小学校は授業中で元気な子供達の声が聞える。昇降口で休憩していたら、紫の袴をキチンと着けた若い奇麗な女の先生が芋ヨウカンとお茶を出してくれた。当分授業を続けるとキッパリ。健気、立派。

 開拓団長に会う。「まあゆっくり休んでゆけ。食べ物は都合する」と親切。新京では日本人の商店も開いているとのことなので、入植者も各部落へ帰った。近所の満人にやった衣服や家具も八割方返ってきたという。良い付き合いをしていたようだ。

 小学校の寄宿舎の四部屋が割り当てられ、馬鈴薯と血の滴る馬肉をどっさり呉れた。各部屋は兵隊で一杯。一体どれほどの兵隊が世話になったことか。軍人は戦時でも平時でも地方人に苦労をかける存在か。

 翌早朝出発、好天気。山道もなだらか。ハイキング気分。昼すぎ、盆地にある開拓団に着く。家の前に鶏が遊び、蓆に何か干してある。地形も家の形も内地の農村そっくり。

子供を抱いたおかみさん達が出てきて、お茶や食べ物を振舞ってくれた。主人は皆兵隊に出たという。兵隊さんご苦労様とねぎらわれて返事に窮する。

 日がカンカンと照って暑さが厳しい。大きな橋の袂で満人の真瓜売りに新品靴下と交換を申し入れたが不要(プヤオ)と首を振る。それではと拳銃を二、三発射って見せたが一向に驚かぬ。そのち小孩(ショーハイ)が大勢出て来て薬莢を拾う。当方拍子抜け。間もなく小孩達が水や胡瓜を持ってきてくれた。干メンポと金平糖をやる。

夕方着いた満人部落で、馬車を雇って小銃や装具の運搬を頼もうとしたが、警戒して取り合わぬ。止むなく軒下の薪に拳銃を三発射ち込んで交渉成立。隣の小山子まで襦袢袴下《シャツとズボン下-》と靴下二足が条件。夜九時小山子着。相当大きな満人部落。送ってくれた満人は今夜ここで泊まる由。

 街中は暗いが、賑やかな歌声も聞える。満人が五~六名集まってきたが、日本語、満語のうまい朝鮮人がいて、屯長が武装した日本兵が乱暴しないか心配している。宿舎は警察署跡に入ってくれと言う。部落中央の火の見櫓のある小さい建物。中はガラン洞。すぐ歩哨を立て厳重に警戒する。

先刻の朝鮮人の斡旋で靴下二足と襦袢一枚で煮豆と粟飯をたっぷりはこんでくれた。手持ちのロウソクをたてて休息。部落内は落着いたようだが、不気味な感じがするので、ときどき起きて歩哨に異常の有無を確かめる。

 翌日も朝から強い照り。一山越えて龍鎮《中国吉林省の街》という街に入る。例によって全戸満地紅旗《まんじこうき=中華民国の旗》。満人がジロジロ。偶然見付かった日本人の白酒(パイチュウ)工場で小休止。主人はあくまでここで頑張ると頗る元気。無事を祈ってすぐ出発。

小山を一つ越えたら約十粁程先に鉄道と五常の大きな街が見えた。汗びっしょりで五常に入る。街中青天白日旗。露天がずらりと並び、人通りも多い。日本人の小母さんが困った人達が来たと言わんばかりに顔を背ける。武装しているのがいけないのか。立ち止まって見ている満人もいる。

五常駅前の満鉄社宅街で小休止。皆親切で子供達が冷たい水やお茶をくれる。待っていればご飯も炊いてあげると言う。これ以上世話になるのも心苦しく有難うと辞退。子供達が遊びに寄って来る。平和だ。

 程なく満服を着た年配の日本人が二人来て「貴方方はどこから来たのか、武器を持っていると満人がうるさい。我々日本人居留民も困る」と早く出て行けと言わんばかり。情けないが、もっともなことと直ぐ立って駅に行き、日本人の駅長に頼んで横内の二等車に泊めてもらうことになった。

座席のシートが全部剥がれているが、結構な宿舎だ。満鉄青年隊の若い人が芳香という煙草をどっさり呉れ、間もなく黄粉を塗った握り飯をザルl杯差入れてくれた。しつかり満洲に根を張っている人々は何かにつけて親切である。

夕方凄い夕立があった。人々のいないうちに、各人十五発を残して余分の弾薬を土中に埋めた。雨中を有田、大島等気の利く連中が街に出て被服や靴下を売り、粟や野菜を仕入れてきた。連日の雨でレンズの曇った自分の双眼鏡も百円で売れた由。

 ハルビンから毎日列車が来るというので、翌日午後駅長に頼んで乗込んだ。貨客混合列車で乗客は満人ばかり。発車後間もなく、満服を着た日本人が三名我々のところに来た。彼等は下士官でハルビンに居たとか。

ソ連軍が入って、駐屯部隊は全て武装解除され一ヵ所に集められている。関東軍倉庫から満人が膨大な量の米を持去る。道路はこぼれ米で真白とか。我々の新京行きを知って、新京では関東軍司令部にソ連軍が入ったから、朝鮮へ抜けた方がいいと勧める。

吉林では参謀が参謀肩章を吊ったまま米俵を担がされて街中を引き回された。吉林では銃殺が多く、治安は極めて悪いとの噂もあるとか。彼等三人は永年満洲にいて満人の生活に馴れているのでゲリラ戦をやるつもり。小銃と弾薬が欲しいと言う。なかなか張り切った連中だ。兵器を分けてやると列車のスピードが落ちた頃を見計らって飛び降り、山の方へ駆けて行った。
隊員連中は初めていろいろなニュースを聞いて落ち着かぬ様子。

 朝鮮へ行きたいのもいる。新京へ行くには吉林を通らねばならぬ。それが心配というのもいる。「我々は新京へ行く。オタオタするな」と言い聞かせて眠ってしまった。田中隊長も眠っている。将校が心配をしていては収拾がつかなくなる。

暫くすると揺すり起された。車内を警乗らしいロシア兵が歩いているという。サーベルを吊って青天白日記章を帽子に付けた若いロシア人が廻ってきた。白系らしいが、こんな時にロシア人の顔を見るのは気持ちが良くない。

「俺達は新京へ行くつもりだが、どうだ」と拳銃をさすりながらロシア語で聞いてみた。相手は平気でパジャールスタ《露語どういたしまして》と言う。「君は一体何者だ。白系だろう」とやや安心して聞く。

「そう、ハルビンの治安維持会で雇われて列車の警乗をやっている。赤軍とは関係ない」「ハルビンの白系はどうしている」「別に変わったことはない。ニチエボーだ」「朝鮮に行く方がいいと聞いたがどうか」「僕は初めてこの辺に来たのでよく知らぬ。しかし何か用があったら言ってくれ」となかなか親切だ。まさか次の駅で我々についての報告をすることもないだろう。

                          (つづく)

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あんみつ姫

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   新站で浴衣姿の若い夫婦にビックリ

 四時頃新站に着く。プラットフォームに付け剣をした日本軍の歩哨が立っている。未だ兵器を持った日本兵がいると懐かしくなって情報確認も兼ねて下車することにした。歩哨に聞くと、満鉄のサナトリウムに友軍が集まっており、宿舎や糧秣の世話をしてくれるとのこと。直ちに前進。駅前から良い道路が伸びており、何だかかけ離れた世界のようなのんびりした風景。

 病院の中は雑多な部隊が集まっているようだが、本部はテキパキと処置をつける。大部隊と将校用の小部屋をくれた。久し振りに明るい電燈の下での会食。文明の有難さを実感。床に本が転がっており、米人の書いた「廃者の花園」、癩患者の記録だ。
活字に触れるのも久しぶり、南京虫、蚤のいないベッドで熟睡。

 プラットフォームに積み上げられた糧秣、被服等は山脈のように連なっているので、トラックへの積み込みは計画なしに片っ端からやる。これは俺の部隊のだ、あれは誰々将校の行李だ等は問題にならぬ。ラーゲリで一旦倉庫へ納めてから配布するという。先ず手近の糧秣から積載開始。

積む時もダワイ、車の誘導もダワイ、誠に便利な言葉だ。ハルビンでは一向に耳にしなかったが、ソ連人は盛んに使う。
余り感じのよい言葉ではない。第一、発音が美しくない。八杉の辞書に、物ごとの始動、勧誘に用いるとか書いてあったが、こんなに矢鱈に使われるとは思ってもみなかった。

このダワイ以外は、ハルビンの白系露人の言葉や我々が習ったロシヤ語とさして変わらないようにも思えるが、軍人のせいか言葉使いが粗野である。満洲の田舎のロシヤ人と話しているような感じだ。これも労働者、農民の国だからか。

 スチュードベーカー《米国製トラック》は引っ切りなしに来る。日本兵はよく働く。ソ連の運搬兵も徹夜作業に入るようだ。ラーゲリ《収容所》が近いため、直ぐ還ってくる。積み下しは先発部隊がやっているらしい。赤軍の将校も大分集まってきた。
女の少尉もいる。黄色いワンピース型軍服に紺のベレー帽、金色の肩章を光らせた若い娘だ。白系の娘のような清潔な雰囲気はない。

横道河子での女通信兵といい、この娘といい、なかなかの度胸だが、よほどソ連は人的資源が不足とみえる。若い青年は将校だけで、兵隊はロートルと小僧ばかり。
こんな連中に押しまくられたことは残念だが、兵器が桁違い。精神力だけではどうにもならぬ。剣付鉄砲では発射速度の早い自動小銃でタラララとやられたら終り。荒木大将の竹槍説に腹が立つ。

 何かと考えながら立っていると、カラバエフ少佐が来て、「どうだ、この娘は、お前の細君にしてやろうか」と笑う。女もニコニコしている。「女はいらん。アメリカの缶詰を試したい」とやってみたら、将校連中大笑い。日本の兵隊が怪訝な顔で見ている。
思想は違ってもロシヤ人はロシヤ人、白系と同じく頗る親しみ易い。

 日本の兵隊は背嚢《はいのう=背にせおうカバン》をゴソゴソやって私物整理に忙しい。カラバが「こいつらを脅かして作業に専念させるから、お前も大声で怒ったように通訳しろ」と言って拳銃を振り回し、「私物をゴソゴソやるな、五分以内に全員積載援助にかかれ。命令に背けば射つ」と脅す。
兵隊もたわいがない。ソ連の将校が拳銃を振り回すとクモの子のように散る。可哀相だ。

 作業が順調に進み出したので、少佐と一緒に寝台車へ行く。将校家族はそのまま泊まっている。青木中佐と副官、通訳のフラットキン少尉と先ほどのマーシャ少尉の六人で酒を飲む。カラバはなかなかの豪傑で、冷酒一升半を瞬く間に飲み干した。とても付き合い切れぬ。
マーシャはさすがに女で、少佐がすすめても窓から捨ててしまう。それでも面白そうに我々の傍らに座っている。

彼女もフラットキンと同じく東洋語学校卒の日本語通訳将校だが、恥ずかしがって一言も喋らぬ。少佐は相変わらずどうだこの娘はと、我々のソ連婦人観を訊きたいらしい。「うん、なかなか奇麗な娘だ(スマズリーバヤ)」と言ってみたら、マーシャがあんな言葉を知っているわとフラットキンと顔を見合わせている。
一方、外はいよいよ忙しくなったと見えて、日本語とロシヤ語の怒号が飛び交っている。

 夕方交代した警戒兵ニヶ中隊が、中隊長の約束に拘わらず、たまたま時計の強奪を始めたらしい。時計を取られた日本軍の将校が若いソ連兵を連れて来た。半酔いのカラバは文字通り烈火の如く怒ってその兵隊を一撃の下に水溜りに殴り倒した。
中隊長を集め、「こんご貴様等の部下が掻っ払いをやったらその場で中隊全部を追っ払う。部下の監視も出来ないのか」と叱り飛ばす。

どうもソ連軍では上級将校はしっかりしているが、下の連中はさっばりだ。第一、中隊長連中から時計が欲しいのだから仕末に終えぬ。カラバだってドイツで奪った彫刻入りの金時計が自慢だ。

                        (つづく)

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あんみつ姫

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/12/8 21:41
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
   一番欲しがる日本軍の航空長靴

 ソ連軍では、将校も兵隊も持っている限りの勲章や記章をベタベタと胸に付けている。ロシヤ人の事大気質《大げさに物事を表現する習性》か。勲章と言ってもお粗末の限り。我々はグリコのおまけと呼んでいた。
佐官以上の高級将校は、日本軍と同じ赤鉢巻の軍帽、その他はピロットカ(戦帽)という神主帽を横っちょに被っている。上着はルバーシカ《シャツ》型でロシヤ兵によく似合う。帽子も軍服も将校用の生地は兵用に比べて段違いにいい。

将校は通常拳銃一挺に黒の堤灯長靴。不思議なことに、堤灯のようなくにゃくにゃ胴の長靴が美しい(クラシーバ)と言う。兵隊は足首丈のゲートルだが、日本軍が持ってきた兵用長靴がお気に入り。

航空長靴が出てくると大騒ぎ。二、三日で殆ど全員日本長靴に替えてしまった。服装も大してうるさくないらしい。将校に対しても、直属上官以外は敬礼しない。歩哨も腰を下ろして煙草をすう。中には居眠りしている奴もいる。彼等にやかましのはカラバエフ少佐だけだ。

 午後三時頃になると、係のソ連兵も疲れて皆何処かへ行ってしまった。トラックだけはどんどん来る。仕方なく自分が車の誘導を引受ける。ソ連の運転兵連中は何か食う物を呉れ、酒はないかと頼む。酒をがぶ飲みして出てゆく。自動車兵は元気だ。

 夜明けと同時にカラバが出て来て大声で下知を下す。プラットフォームをあちこち大股で歩き回る。付いて行くだけで大変。日本軍では少佐ぐらいになるとドッカと腰を据えて口先で指揮するが、赤軍は将校が先に立たないと兵隊が付いて来ないようだ。

この日も通化《吉林省西南部の都市》から一ヶ列車到着。前日と同じ要領で積載要員三百を残し、他は持てる限りの糧秣、装具を担いでラーゲリに入る。通化の一二五師団は関東軍の総予備隊とのこと。道理で被服、装具、糧秣など豊富で新品も多い。

カラバは列車が着くと、先ず日本側輸送指揮官に会い、共に車内巡視。指揮官は大佐だがオタオタしていることが多く、少尉の自分にまで滑稽なほど丁寧なロを利く。馬鹿ばかしくて腹が立つ。

一体どうなるのでしょうかと着くなって尋ねる将校が多く、各車輌で尋ねられるので面倒になり、多分二、三年は強制労働でしょう、何しろラーゲリに入れると言ってますからと突っ慳貪に答えてやると、皆、ウアッと色を失う。

こっちのロシヤ語知識では、ラーゲリ(コンツ・ラーゲリ)イクオル強制労働収容所だったからで、まさかその通りになるとは夢にも思わなかった。

 列車は各隊混合で来ているらしく、ソ側の指示をテキパキやる隊と、将校が自身のことに忙しくてラチの開かぬ隊もある。ついこちらも声を荒立てる。但しロスを笠に着て威張るが如き態度は厳に慎しむこと。

カラバは各車輌から酒、ブランデー、ブドウ酒をせしめて悦に入っている。自分にも飲めのめと盛んにすすめるが、日本軍の前でソ連兵と酒盛りするわけにはいかぬ。

各車輌で酒類を探していると素晴らしい航空服が出てきた。カラバはびっくり仰天。直ちに駐屯地司令官(コメンダント)ゲネラルに献上するとて二着抱えてジープで飛んで行った。自分も初めて見て、その贅沢さに驚いた。ヤレ航空食だ、航空ブランデーだと食う事と着る事ばかり。肝心の飛行機は皆無。

 翌日、停車場司令部で、牡丹江教育隊時代の教官の出浦少尉や第三区隊長だった大聖寺中尉に出会った。第四区隊の高田候補生もいる。新京の獣医部下士候教育隊で、関東軍司令部と共に通化へ撤退したため吉林へ来るハメになったと。彼等は司令部駅舎の裏側のフォームに下りたので集結完了までそのままで、自分のいい宿泊所になった。

カラバと一緒では、鶏の水炊きと冷酒ばかりで彼の相手にはなれぬ。何しろ、毎日夜になると、必ず二升半の日本酒を一升瓶から一息に呑み干し、トラックの荷台や米俵の上で眠ってしまう。恐るべきエネルギーである。

このカラバが大慌てしたことがあった。
夜遅くトラックで駆け付けたカラバが、閣下(ゲネラル)が到着したから直ぐ食糧を準備せよと言う。

大いに慌てているので、大分偉い将官らしいと想像しながら、各車輌から米や缶詰、酒等を集めていると味噌も必要だという。赤軍のゲネラルはミソを食うのかと訊いたら、何を言うか、お前等のゲネラルだ、早くはやくと急がせる。積込みがすむや否や大急ぎで出かけて行った。

閣下ともなると、日本軍のゲネラルでもソ連軍の将校を慌てさせる。カラバは生粋の軍人だから余計緊張したようだ。

カラバとプラットフォームを歩いていた時、出浦少尉が走って来て、赤軍の将校がピストルで脅して隊長の近藤少佐の装具を奪っていると言う。ソレッと駆けつけると、ちょうど一人の将校が毛布に物品を包み込み、絵で描いた泥棒よろしくの態で逃げ出す所だった。

カラバはそいつをムズと掴んで引戻す。相手は中尉だ。毛布を拡げて見ると長靴、図嚢、財布、軍服等総て近藤少佐の物ばかり。カラバは例の如く顔を真っ赤にして怒鳴りつけ、司令官に報告するとて、通信紙二枚に報告書を書き、中尉の肩章を剥ぎ取ってしまった。

我々は中尉が可哀相になって、酒の上のこと、品物が返れば許してやってくれと頼んだが、カラバは頑としてきかぬ。
件の中尉は大声を上げてオイオイと泣く。
かれこれ二時間泣き続けたのには驚いた。日本の兵隊も笑うが、ロシヤの兵隊もニヤニヤ笑って見ている。
日本人の前で格好が悪いというような見栄は丸でないらしい。ロスの兵隊は総じて純朴なのが多い。

日本軍の将校が軍刀で立木の試し斬りをすると、遠巻きにして目を丸くして感心している。夜間各所に日ソ両方から歩哨を立てるが、日本側は棒の先に銃剣を結び付けて規定通り「腕に銃」の構えをとると、相棒の赤兵が危ないから真っ直ぐに持てと警戒する。
ところが夜が更けると皆眠ってしまい歩哨は日本兵ばかり。

食糧にしても別に炊サンをやっているようすはなくほったらかし。兵隊は日本軍の缶詰や干メンボを噛ったり、パン代わりにチェンピン《煎り餅》を食ったりして自給自足。
臨機応変、甚だ野戦向きで手のかからぬ兵隊どもではある。

                          (つづく)

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あんみつ姫

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/12/8 21:48
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
   新站から大混乱の吉林駅に着く

 新站の駐屯部隊は、すでに赤軍が入っている蛟河《吉林省南東に位置する都市》へ移動することになっており、兵器もそこで引渡すと聞いたので、我々もついに決心し小銃、拳銃、手榴弾の残りを処置してもらうことにして完全武装解除《強制的に武器を取り上げる》
残るは隊長と自分の焼けこげ軍刀のみ。

 翌二十五日、前日と同じ客車に乗る。駅に十人ほどの小椅麓な苦力《クーリー=肉体労働者》が居ると思ったら、全員在満邦人の召集兵で、この格好で家族のもとに帰るという。在満召集兵は終戦と同時に除隊になったとか。

わが隊の軍属は内地から来たばかりだから、なんとしても新京本部まで連れて行き、爾後の処置をつけねばならぬ。新站から乗換え駅まで約一時間、蛟河方面からの列車で吉林への経路をとる。

乗換え駅では日本人の子どもが遊んでいた。駅長の子どもとかで、二、三日前匪賊《ひぞく=一般住民から食料や貴金属を強奪する集団》が来たので、皆で山へ逃げたと事もなげに話す。ロスはときどき汽車で通ると言う。これでは吉林通過は無理のようだ。

まずいことに客車は総て吉林止まり。吉林からは別の列車が新京へ出ているが、検閲が厳重で簡単には乗れないらしい。しかし何とか本部に行かねばならぬ。

 駅で満人からカオズ、ユイピン《月餅》を買って食う。プラットフォームに胡座をかいて、上衣なしの泥まみれ、ヒゲぼうぼうの二十三人がムシャムシャやっている図は可笑しくもあり、口惜しくもあり。

 列車は客車で満人と混乗。向かいの席の満人がチェンピン《厚皮に肉や野菜を包んで焼いたもの》とリンゴをくれた。案外民情は良さそうだ。夕方暗くなってから吉林に着く。列車は電灯も点かぬ。列車がゆっくりとプラットフォームに止る。
いるいる、ロスの兵隊が。神主の帽子みたいなものを被って自動小銃を肩からぶら下げている。列車の外には一寸出られぬ。

満人の乗客はさっさと行ってしまったが、我々は状況を探るため、眞暗な客車内でじっと車外の様子を窺うのみ。隣の列車からロスの合唱が聞こえてくる。
いかにも戦争に勝った軍隊らしく活気に満ちている。(註=今から思えば、初めて聞いたこの歌は、「カチューシャ」だった)。

 隊長が一人で駅舎の方へ様子を見に行った。駅長の話によると、駅はすでに赤軍停車場司令官の下にあり、吉林市は赤軍の軍政下に置かれているとのこと。
線路を伝って西へ行くと、日本人が集まっている小学校があるというので、ひとまずそこまで行ってみることとし、一人ずつ素早く車を降りてスルスルと移動を開始する。

大分進んだが、眞暗闇で小学校らしきものは見当らぬ。貨車の陰に集って暫く様子を窺う。ソ連兵の歌声しきり。ロシヤ人らしく上手な合唱でメロディーも良い(註=これは「アガニヨーク」(ともしび)だった)。

方々に篝火《かがりび》が見え、思ったより小柄のロスの兵隊が集っている。駅長の話では、日本の軍人は新京には行けぬとのこと。こぅなれば貨車に潜り込んで脱出する以外手はなさそう。
しかし、当って砕けろ、相手がロスならこっちもロシヤ式に堂々と押しの一手だと思い直し、駅に逆戻りする。

 ちょうど、通化からの列車が入って、日本兵が駅に溢れている。全員一装用の新品冬服だ。兵器はないが、被服や装具、食料を山のように積んでいる。あたり一面、石鹸や靴下が散乱。通化の近歩一だという。
明日から、通化師団がソ連命令で吉林に集結するらしい。

                           (つづく)

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あんみつ姫

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