Re: イレギュラー虜囚記
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イレギュラー虜囚記(その1) (あんみつ姫, 2007/12/5 11:36)
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Re: イレギュラー虜囚記 (あんみつ姫, 2007/12/5 11:39)
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あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
ヤプロニーの街の入口に到着。線路上に、友軍将校の軍使らしいのが大きな日の丸と白旗を掲げて立っている。白手套《白手袋》に威儀を正したのが、大きい白旗を持っているのは滑稽でもあり情けなくもある。
それより驚いたのは、ヤプロニー全村の満人家屋に掲げられている青天白日旗《せいてんはくじつき=中国国民党の旗》だ。一軒として旗の無い家はない。紙の手旗が多いが、布地の大きなのもあり、さすが支那人だと感心せずにはいられぬ。満洲国成立以来、筐底《きょうてい=目の細かい竹製の籠深く》深く秘めていたに違いない。
白系露人《はっけいろじん=注》の女性が牛乳缶などを持って歩いている。赤軍が入って来たらどうなるのか。ソ連の白系に対する措置はどうであろうか。ヤプロニー駅の近くの近藤林業の製材工場が、ひっそりとして、板材が白々と見える。
17年の夏、研究旅行で島木先生、田中久宣、広田弘道の四人でここに来た。あの頃の浜綏線はどの街も面白かった。横道河子は欧露の何処かのようにエキゾチックで、駅のプラットフォームはロシア模様の白い柵に囲まれ、ロシア娘が鈴蘭の花束を売っていた。(註=『学院史』に掲載されている横道河子駅スタンプはその時のもの)。
ヤプロニーでは近藤林業のクラブに宿泊した。トーニャという美しい娘がいたっけ。ここから森林鉄道で「19キロ」という名前の部落へ行き、案内役のノンナと水泳をしたり、田中久宣の所謂「マリヤのように神々しい」11才のナターシャの横顔に感心したりしたのも、つい先頃のように思えるが、今や浜綏線の夢も無惨に潰え去った。
青天白日旗の翻える満人部落へ入るのは少々不気味だ。駅は兵隊で一杯。駅を通り抜けたら軌道トラック《鉄道せんろ上を自動車用エンジン付きの気動車》が来たので全員鈴なりに乗せて貰う。隊長と二人運転席に乗る。運転しているのは眼鏡をかけた逞しい上等兵。
「牡丹江はソ連の管轄に入って、鉄道連隊はソ連の命令で機関車を探すことになりました。残念ですね」とポロリと涙をこぼした。
快いエンジンの響きと滑る様な快速。うとうと睡る。成る可く機関車が見つからないようにと思う。
本隊を追い越したようだ。軌道車で走り出した時、ヤプロニー駅で山崎准尉らしいのが大声で呼んでいたようだ。我々のための連絡者だとすれば申し訳なし。
快速二時間、一面坡《ハルピンから東南の黒龍江省の街》に着く。駅は友軍で溢れんばかり。兵隊を満載したハルビン行きの貨物列車が止まっている。これに乗ればと思うが、腹も減ったし、喜野本隊を追い越したようだから一日位待たねばならぬ。プラットフォームで小休止。完全武装は我々だけ。
中尉が来て、今日正午、ソ連軍が入るが、我々はどうなるであろうと青い顔をしている。ここ数日の経験を話してやった。そこへ日本人の駅長が現れて、「武装した兵隊がいるとソ連軍の攻撃を受けるので地方人は大いに迷惑だ」と何処かへ行けと言わんばかり。
駅舎内では酒樽からぐいぐい酒を呑んでいる。情け無い奴等だ。そんなに怖いか。殺してしまえと兵隊がいき立つ。
駅前の司令部らしい建物に銃剣をつけた歩哨が立っている。中で訊ねると、一面披駐屯地部隊は武装解除するが、私達には関係ない。そのまま新京へ行けばよい。泊まるなら満鉄厚生会館でと教えてくれた。
厚生会館は、駅から百米程の白樺林の中にある美しいロシア建築。
そこへ牡丹江方面から一列車到着し、山崎准尉と水谷衛生兵が到着した。やはり本隊は本道を歩いている由。
会館には大きな劇場もあり、川に面してベランダがある。他の部屋へ少佐指揮の小部隊が入った。
兎に角、糧株と被服を調達しなければならぬ。大島属に8名をつけ、駅に連絡兵を出し、喜野隊を待つ傍ら、情報を集めさせる。徴発隊が荷車に、高野豆腐、白米、被服、軍靴等山積みにして帰って来た。憲兵隊の倉庫から持ち出したとは狙いが良い。
早速炊さん、川で手足を洗い、足の豆の治療を始める。飯ができてベランダで会食。飯うまく、風景良し。夕方になっても本隊は到着しない。赤軍も未着。午後8時、最後のハルビン行き列車が出るとて、少佐指揮の小部隊はガタガタと出て行った。軍属達も行き度い様子。
無理もなし。しかし我々は本隊を待つべしとて早々と就寝。
一面坡も懐かしい所だ。駅には一面坡ビールの売店があって、列車が止まると乗客は走って行って、安いビールを飲んだものだ。この厚生会館も公園も純然たるロシア様式。遂に、帝政ロシアの名残りも終わりを告げた。ハルビンはどうなっているだろうと気にかかる。
(つづく)
注 ロシアが共産革命の時 この思想を嫌って他国へ移り住んだ人
それより驚いたのは、ヤプロニー全村の満人家屋に掲げられている青天白日旗《せいてんはくじつき=中国国民党の旗》だ。一軒として旗の無い家はない。紙の手旗が多いが、布地の大きなのもあり、さすが支那人だと感心せずにはいられぬ。満洲国成立以来、筐底《きょうてい=目の細かい竹製の籠深く》深く秘めていたに違いない。
白系露人《はっけいろじん=注》の女性が牛乳缶などを持って歩いている。赤軍が入って来たらどうなるのか。ソ連の白系に対する措置はどうであろうか。ヤプロニー駅の近くの近藤林業の製材工場が、ひっそりとして、板材が白々と見える。
17年の夏、研究旅行で島木先生、田中久宣、広田弘道の四人でここに来た。あの頃の浜綏線はどの街も面白かった。横道河子は欧露の何処かのようにエキゾチックで、駅のプラットフォームはロシア模様の白い柵に囲まれ、ロシア娘が鈴蘭の花束を売っていた。(註=『学院史』に掲載されている横道河子駅スタンプはその時のもの)。
ヤプロニーでは近藤林業のクラブに宿泊した。トーニャという美しい娘がいたっけ。ここから森林鉄道で「19キロ」という名前の部落へ行き、案内役のノンナと水泳をしたり、田中久宣の所謂「マリヤのように神々しい」11才のナターシャの横顔に感心したりしたのも、つい先頃のように思えるが、今や浜綏線の夢も無惨に潰え去った。
青天白日旗の翻える満人部落へ入るのは少々不気味だ。駅は兵隊で一杯。駅を通り抜けたら軌道トラック《鉄道せんろ上を自動車用エンジン付きの気動車》が来たので全員鈴なりに乗せて貰う。隊長と二人運転席に乗る。運転しているのは眼鏡をかけた逞しい上等兵。
「牡丹江はソ連の管轄に入って、鉄道連隊はソ連の命令で機関車を探すことになりました。残念ですね」とポロリと涙をこぼした。
快いエンジンの響きと滑る様な快速。うとうと睡る。成る可く機関車が見つからないようにと思う。
本隊を追い越したようだ。軌道車で走り出した時、ヤプロニー駅で山崎准尉らしいのが大声で呼んでいたようだ。我々のための連絡者だとすれば申し訳なし。
快速二時間、一面坡《ハルピンから東南の黒龍江省の街》に着く。駅は友軍で溢れんばかり。兵隊を満載したハルビン行きの貨物列車が止まっている。これに乗ればと思うが、腹も減ったし、喜野本隊を追い越したようだから一日位待たねばならぬ。プラットフォームで小休止。完全武装は我々だけ。
中尉が来て、今日正午、ソ連軍が入るが、我々はどうなるであろうと青い顔をしている。ここ数日の経験を話してやった。そこへ日本人の駅長が現れて、「武装した兵隊がいるとソ連軍の攻撃を受けるので地方人は大いに迷惑だ」と何処かへ行けと言わんばかり。
駅舎内では酒樽からぐいぐい酒を呑んでいる。情け無い奴等だ。そんなに怖いか。殺してしまえと兵隊がいき立つ。
駅前の司令部らしい建物に銃剣をつけた歩哨が立っている。中で訊ねると、一面披駐屯地部隊は武装解除するが、私達には関係ない。そのまま新京へ行けばよい。泊まるなら満鉄厚生会館でと教えてくれた。
厚生会館は、駅から百米程の白樺林の中にある美しいロシア建築。
そこへ牡丹江方面から一列車到着し、山崎准尉と水谷衛生兵が到着した。やはり本隊は本道を歩いている由。
会館には大きな劇場もあり、川に面してベランダがある。他の部屋へ少佐指揮の小部隊が入った。
兎に角、糧株と被服を調達しなければならぬ。大島属に8名をつけ、駅に連絡兵を出し、喜野隊を待つ傍ら、情報を集めさせる。徴発隊が荷車に、高野豆腐、白米、被服、軍靴等山積みにして帰って来た。憲兵隊の倉庫から持ち出したとは狙いが良い。
早速炊さん、川で手足を洗い、足の豆の治療を始める。飯ができてベランダで会食。飯うまく、風景良し。夕方になっても本隊は到着しない。赤軍も未着。午後8時、最後のハルビン行き列車が出るとて、少佐指揮の小部隊はガタガタと出て行った。軍属達も行き度い様子。
無理もなし。しかし我々は本隊を待つべしとて早々と就寝。
一面坡も懐かしい所だ。駅には一面坡ビールの売店があって、列車が止まると乗客は走って行って、安いビールを飲んだものだ。この厚生会館も公園も純然たるロシア様式。遂に、帝政ロシアの名残りも終わりを告げた。ハルビンはどうなっているだろうと気にかかる。
(つづく)
注 ロシアが共産革命の時 この思想を嫌って他国へ移り住んだ人
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あんみつ姫