Re: イレギュラー虜囚記
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イレギュラー虜囚記(その1) (あんみつ姫, 2007/12/5 11:36)
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Re: イレギュラー虜囚記 (あんみつ姫, 2007/12/5 11:39)
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Re: イレギュラー虜囚記 (あんみつ姫, 2007/12/5 11:44)
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- Re: イレギュラー虜囚記 (あんみつ姫, 2007/12/8 21:50)
あんみつ姫
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完全武装のまま一面坡から五常へ
明くれば八月二十日、午前十時まで待っても本隊未着の場合は出発と決め、山崎准尉と衛生兵一を残す。本人達は行動を共にしたい模様なるも、本隊との連絡保持上残置止むなし。
会館前の道路に赤軍重戦車の地響き続く。いよいよ赤軍の一面坡制圧。この中をどう脱出するか。前方百米に二名の道路斥候《偵察警戒任務の先行兵》を出し、迂回路をとる。
昨日の駅員の話では、一面坡南方の峠を越え、山二つ越すと五常《中国読みウーチャン=ハルピンの東北に位置する街》の街が見えるという。五常から吉林《吉林省の省都》経由、新京に出ると決定。手許の地図は二百万分の一の甚だ雑なものだが、車輌通行可能の二倏実線路が一面坡-五常間にはっきり記載されている。鉄道手前まで前進して偵察すると、南側の満人部落を抜けて大きな通が峠に伸びている。
ただ、まずいことに、道路脇の広場に赤軍の重戦車が一両止まっていて、満人がワイワイ集まって気嫌を取っている。どうしてもその前を通らねばならない。一面坡の日本軍は既に武装解除されたと見られるのに、われわれのみ完全武装で行動し得るか。連中のことだ、小うるさいことは言わんだろう、煙草でも喫いながら知らん顔で通ってしまおうと田中隊長に進言。
満人が我々を指差しているが、戦車兵は天蓋の上に坐ってニヤニヤしているだけ。ロシヤ式鷹揚さか。内心緊張しつつ、のんびり通り過ぎて満人街に入る。
店も開いていて賑やか。どの建物にも青天白日旗が執っていて、満人達が鋭い眼で睨んでいる。武装のお陰で手出しはしないが、異様な雰囲気が感ぜられるので拳銃を取り出し右手に握って先頭を歩く。
満人街を抜けると坂にかかり、峠はすぐそこだ。牛追いの爺さんに聞くと、峠を越せば五常に出る道があるという。坂の中腹まで来て後ろを振り返ると一面坡の街が一望の下に見渡せ、先刻の戦車もまだ止まっている。
我々から見えるのだから一面坡のソ連軍からも我々の行動は丸見えの筈だ。追撃を受けないうちに峠を越そうと急ぐ。戦車の砲塔が動いたら、全員散開、各個に早馳《はやがけ=走る》けとする。
峠の南側へ出て、一面坡が見えなくなった時は心底ホッとした。峠に廟があって、日本人の男の人が二人腰を下ろして休んでいた。開拓団本部へ行くという。眼の下に、ずっと大きな道路が南に伸びていて、左側に学校のような本部の建物が見え、道路沿いに満人部落が点在している。
この道が五常への道だ、なるべく早くソ連軍から離れようとどんどん歩度を伸ばす。行事の山なみを目標に進んでいたら、道がやや東向きになる気配。前方から来た馬車の満人に確かめたら、この道は牡丹江に行くという。地図では実線路は五常方面一本。まさかと思って更に前進したら東西の分岐点に出た。
躊躇せず西へ進む、やがて山道にかかる。二山越せば五常とばかりせっせと上って行くうちに、何時の間にか空が曇って一挙に暗くなり、雨もボツポツ降ってきて風が吹き山鳴りがし始めた。両側の木立が太くなる一方、道幅が狭くなってきた。マッチの明りで確かめると周囲は伐採した丸太の山。道は雑草の中に消えている。
冬期の橇搬出道に入り込んだと分り、回れ右、下山。暗さは暗し、大雷雨、上の方から小石まじりの流水。前の者の白手拭すら突き当たらないと分からぬ真の闇、転けつ転びつ夜明け前、ズブ濡れで元の本道に出た。昨夕足に任せて気軽に歩いた道も開拓団まで約二十粁。昼すぎやっと辿り着く。
開拓団本部では平常通り事務をとっていた。女の人もいる。我々の格好を見て早速お茶や菓子をだしてくれ、間もなくザル一杯の握り飯を作ってくれた。新京のラジオで日本人は安心して生業につけというソ連軍の指示があったとかで、今の所このままでいるつもりだが、自衛用の小銃は取りまとめて本日一面坡のソ連軍に引渡すとのこと。
治安も良く、満人も大人しいそうだ。明日一日ゆっくり休んだら、明後日案内者をつけてあげる。五常への道は開拓団から直ぐ西に向っているとのこと。指揮官の誤算申訳なし。宿舎をもらって火を焚き、被服を乾かす。下着等持ってきてくれたが、丁重に辞退した。
この開拓団は入植約十年、本格的な経営が緒についたところで終戦。七月に開拓団の男子は殆ど招集された由。開拓団の手持米は今冬ぎりぎりと聞いて出発を急ぐ。
翌々日は快晴。午後八時、案内者を先頭に行進。大体十粁置きに五常まで入植部落があるとか。前日の大雨で道路沿いの小川が大氾濫、膿まで漬かる箇所が再々出てくる。以前バスが通っていた道とはとても思えない。
十五粁程で最初の部落に到着。案内者と別れる。トウモロコシとお茶を頂く。ここ一帯は秋田、山形からの入植で、電気は無く電話線一本でつながっている。先般の招集で男手は殆どないらしい。
夕方、無人の部落に到着。急いで引き揚げたらしく、行李の蓋が開いて着物がハミ出している。草屋根、泥壁、紙障子の小さい家でアンベラ敷きの六畳、ペチカで仕切った四畳半、台所、押し入れ。
子供の描いた絵や習字が壁一杯にべタベタ貼ってある。
家の周りは納屋と鶏小舎。若鶏を二、三羽頂戴し、畑のカボチャで水煮き。風呂のある家で入浴し、破れ障子から白い月を眺めつつ就寝。夜気冷たく、敗残兵の感深し。
(つづく)
明くれば八月二十日、午前十時まで待っても本隊未着の場合は出発と決め、山崎准尉と衛生兵一を残す。本人達は行動を共にしたい模様なるも、本隊との連絡保持上残置止むなし。
会館前の道路に赤軍重戦車の地響き続く。いよいよ赤軍の一面坡制圧。この中をどう脱出するか。前方百米に二名の道路斥候《偵察警戒任務の先行兵》を出し、迂回路をとる。
昨日の駅員の話では、一面坡南方の峠を越え、山二つ越すと五常《中国読みウーチャン=ハルピンの東北に位置する街》の街が見えるという。五常から吉林《吉林省の省都》経由、新京に出ると決定。手許の地図は二百万分の一の甚だ雑なものだが、車輌通行可能の二倏実線路が一面坡-五常間にはっきり記載されている。鉄道手前まで前進して偵察すると、南側の満人部落を抜けて大きな通が峠に伸びている。
ただ、まずいことに、道路脇の広場に赤軍の重戦車が一両止まっていて、満人がワイワイ集まって気嫌を取っている。どうしてもその前を通らねばならない。一面坡の日本軍は既に武装解除されたと見られるのに、われわれのみ完全武装で行動し得るか。連中のことだ、小うるさいことは言わんだろう、煙草でも喫いながら知らん顔で通ってしまおうと田中隊長に進言。
満人が我々を指差しているが、戦車兵は天蓋の上に坐ってニヤニヤしているだけ。ロシヤ式鷹揚さか。内心緊張しつつ、のんびり通り過ぎて満人街に入る。
店も開いていて賑やか。どの建物にも青天白日旗が執っていて、満人達が鋭い眼で睨んでいる。武装のお陰で手出しはしないが、異様な雰囲気が感ぜられるので拳銃を取り出し右手に握って先頭を歩く。
満人街を抜けると坂にかかり、峠はすぐそこだ。牛追いの爺さんに聞くと、峠を越せば五常に出る道があるという。坂の中腹まで来て後ろを振り返ると一面坡の街が一望の下に見渡せ、先刻の戦車もまだ止まっている。
我々から見えるのだから一面坡のソ連軍からも我々の行動は丸見えの筈だ。追撃を受けないうちに峠を越そうと急ぐ。戦車の砲塔が動いたら、全員散開、各個に早馳《はやがけ=走る》けとする。
峠の南側へ出て、一面坡が見えなくなった時は心底ホッとした。峠に廟があって、日本人の男の人が二人腰を下ろして休んでいた。開拓団本部へ行くという。眼の下に、ずっと大きな道路が南に伸びていて、左側に学校のような本部の建物が見え、道路沿いに満人部落が点在している。
この道が五常への道だ、なるべく早くソ連軍から離れようとどんどん歩度を伸ばす。行事の山なみを目標に進んでいたら、道がやや東向きになる気配。前方から来た馬車の満人に確かめたら、この道は牡丹江に行くという。地図では実線路は五常方面一本。まさかと思って更に前進したら東西の分岐点に出た。
躊躇せず西へ進む、やがて山道にかかる。二山越せば五常とばかりせっせと上って行くうちに、何時の間にか空が曇って一挙に暗くなり、雨もボツポツ降ってきて風が吹き山鳴りがし始めた。両側の木立が太くなる一方、道幅が狭くなってきた。マッチの明りで確かめると周囲は伐採した丸太の山。道は雑草の中に消えている。
冬期の橇搬出道に入り込んだと分り、回れ右、下山。暗さは暗し、大雷雨、上の方から小石まじりの流水。前の者の白手拭すら突き当たらないと分からぬ真の闇、転けつ転びつ夜明け前、ズブ濡れで元の本道に出た。昨夕足に任せて気軽に歩いた道も開拓団まで約二十粁。昼すぎやっと辿り着く。
開拓団本部では平常通り事務をとっていた。女の人もいる。我々の格好を見て早速お茶や菓子をだしてくれ、間もなくザル一杯の握り飯を作ってくれた。新京のラジオで日本人は安心して生業につけというソ連軍の指示があったとかで、今の所このままでいるつもりだが、自衛用の小銃は取りまとめて本日一面坡のソ連軍に引渡すとのこと。
治安も良く、満人も大人しいそうだ。明日一日ゆっくり休んだら、明後日案内者をつけてあげる。五常への道は開拓団から直ぐ西に向っているとのこと。指揮官の誤算申訳なし。宿舎をもらって火を焚き、被服を乾かす。下着等持ってきてくれたが、丁重に辞退した。
この開拓団は入植約十年、本格的な経営が緒についたところで終戦。七月に開拓団の男子は殆ど招集された由。開拓団の手持米は今冬ぎりぎりと聞いて出発を急ぐ。
翌々日は快晴。午後八時、案内者を先頭に行進。大体十粁置きに五常まで入植部落があるとか。前日の大雨で道路沿いの小川が大氾濫、膿まで漬かる箇所が再々出てくる。以前バスが通っていた道とはとても思えない。
十五粁程で最初の部落に到着。案内者と別れる。トウモロコシとお茶を頂く。ここ一帯は秋田、山形からの入植で、電気は無く電話線一本でつながっている。先般の招集で男手は殆どないらしい。
夕方、無人の部落に到着。急いで引き揚げたらしく、行李の蓋が開いて着物がハミ出している。草屋根、泥壁、紙障子の小さい家でアンベラ敷きの六畳、ペチカで仕切った四畳半、台所、押し入れ。
子供の描いた絵や習字が壁一杯にべタベタ貼ってある。
家の周りは納屋と鶏小舎。若鶏を二、三羽頂戴し、畑のカボチャで水煮き。風呂のある家で入浴し、破れ障子から白い月を眺めつつ就寝。夜気冷たく、敗残兵の感深し。
(つづく)
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あんみつ姫