兄の眠る国 2 山口周行
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兄の眠る国 山口周行 (編集者, 2010/5/30 9:16)
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編集者
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四、 PNGは幻の国?
SY君に返事をしてはあげたものの、戦後六十三年経過してはいても、兄の死については?マークばかりの知識や認識しか持ち合わせていません。書物で得た自分の想像する記憶のみで、PNGの実情は全く知ることができません。
当時の私は十二歳、管制下の日本ですから知る由もないのです。正にPNGは、私にとっても幻の国であり、黄泉の国?でありました。今まで親も兄弟も只の一人もできずにきた、PNGの大地で私一人だけでも合掌してあげることができたらとの思いも、夢のまた夢で過ごしてきました。
政府の遺骨収容や墓参団が各地に慰霊巡拝されていることは知っていましたが、参加資格は親子関係のみであると思い込んでいました。ところが、ゆうとぴあ三ヶ根支配人伊藤弘氏が親身になって、愛知県庁に問合せてくださり、兄弟の間柄でも、参加資格があることを知らせてくださいました。大変ありがたく、心から感謝する次第であります。
正直自分自身の気持の中には、一般の旅行会社が募集している物見遊山の単なる観光目的の人とは、絶対に行きたくない、行くべきではないと深く心に期していたからです。あくまでも、心から鎮魂慰霊感謝の誠を捧げたいとされる同志の方とご一緒がしたいと思っていたのです。
早速、市県を通じて応募し、厚生労働省社会援護局から参加できる通知を受領しました。
五、 出発を前にして
巡拝実現の日が迫ってくるにつれて、私には気になっていたことがありました。それは、わが家の菩提寺にある戦没者七士の長兄の墓碑、向って右側面に彫り刻まれている和歌でした。石碑建立の際、父が書き記したことは知っていましたが、さほど気にも留めずにいた愚かな私でした。PNGへの出発を前にして、虫が知らせたのか?どうしても、知ってから出発すべきであると思うようになりました。早速、芯の太い鉛筆と紙を持って、寺へ拓本をとりに行きました。草書体の仮名文字で、彫りが浅く年代も経ているのでうまく取れません。家に持ち帰って仮名の辞書を片手にやっと判読できました。
君がため 国のためにと ひたむきに
逝きし子なりき 南無阿弥陀仏
当時の日本国民の天皇陛下を中心とする祖国を思う気持、両親が愛する大切な長男を戦地に送り出す心情、それに応える兄の戦いぶり?、私は愕然として言葉を失いました。現在の平均的日本人の国を思う心情との相違に、何ともやり切れなくなりました。国があって人があり、人があって国がある。国と人は不可分である。ましてや、国家の危急存亡の秋においては、一億一心火の玉と なって国難に当たったことを改めて思いだしました。純粋な日本人は今何処と叫びたくなりました。