兄の眠る国 3 山口周行
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兄の眠る国 山口周行 (編集者, 2010/5/30 9:16)
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編集者
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六、 PNGへ出発
長兄の眠る、何も分らない国への墓参、戦記文で得た知識のみで、想像すらできない未知の国への出発は、平成十九年十一月三日(土)、成田エクセルホテル東急に午後四時三十分集合、同五時結団式。帰国は十一月十日(土)、午後七時五十五分(実際は成田でもう一泊)計九日間、東部ニューギニア慰霊巡拝の旅でした。
巡拝団は、遺族三十三名(一斑十六名、二班十七名、私は二班所属)、厚生労働省職員四名、添乗員二名、その他現地ガイド二名の構成で、結団式を終え、ニューギニア航空(PX)五五便ポートモレスビー行きで、午後九時〇五分、成田を後にしました。
機中にあっても、PNGはどんな所か、戦後しきりに言われていた「ジャワ(現インドネシア)は極楽、ビルマ(現ミャンマー)は地獄、死んでも帰れぬニューギニア(現パプアニューギニア)」であるだけに、地獄中の地獄の戦場の地として、大東亜戦争でもとび抜けて悲惨な戦場であったことを想像しながらの飛行です。途中、グアムで乗務員の交替、給油等で一時間程機内待機し、翌四日ポートモレスビー空港へ。感慨が交錯し殆ど眠れずに午前六時十分(時差日本より一時間早い)到着しました。戦史に言われているポートモレスビー空港の夜の灯火が見える所。イオリバイワからポートモレスビーまで四十キロメートル下り坂の一本道の地点まで攻め入りながら、涙をのんで撤退せざるを得ず、以後その撤退が地獄中の地獄となった有名な空港であることを思い浮かべながら、何ともやり切れない気持で、朝未だきの恨めしい空港に立っている自分は、正に夢の中の現実でありました。
しかし、暫しの感慨に浸るのも許されずに、エアウエイズホテルで荷物の点検後朝食をとり、乗換え十二時五十五分、ニューギニア航空プロペラ双発機八五六便、三十五分間の飛行で十三時三十分、ポポンデッタに着陸しました。機外に出た第一声は「暑い!」でした。
いよいよ、これから鎮魂慰霊の巡拝がPNGの大地で始まるに先だって、この地のことと、この地であった戦闘のあらましをここで紹介します。
七、 東部ニューギニアの地図と概況
1、ニューギニアは南太平洋上にある島で、日本本土の約二倍、七九万四千百平方キロの面積を有し、東経一四一度を境に西部はインドネシア領で西イリアンと呼ばれています。東部はビスマーク山脈を境に、南側は英領で通常「パプア」と呼ばれ、北側はドイツが領有していましたが、第一次大戦後はオーストラリアの信託領となり、東部ニューギニアと称していました。
東部ニューギニアは、海岸線の一部の地域を除いて島の中部は標高三千から 五千メートルの山脈が連なり、中央山脈から北にセピック川、南にフライ川が無数の支流を作りながら流れ、その流域は広大な低湿地帯になっています。太平洋火山帯に属す火山国でもあります。
2.昭和五十年九月十六日、東経一四一度以東のニューギニアはビスマルク諸島やブーゲンビル島等を含みパプアニューギニア国として独立誕生しました。
パプアニューギニア国の面積は約四六万二千八百四十平方キロ(日本の約一.二五倍)で、人口は二〇〇〇六年で約六百十八万七千人です。
3、気象は熱帯に属し、一部を除いて熱帯降雨林に覆われています。五月から一〇月が乾季で冬にあたり、十一月から四月が雨季で夏にあたります。気温は海岸地域で平均気温三十度前後、高地では二十度前後でやや涼しい。
4、公用語は英語です。しかし、多くの部族があり、その部族毎に部族語があるので、共通語としてピジンイングリッシュが使われます。
5、陸上交通機関はあまり発達しておらず、戦時中旧日本軍が作った自動車道路等もすでに荒廃しつつあり、また、草木の発育が旺盛なこと、雨水の浸食による地表の変化が甚だしいので、陸上における交通は困難を極めます。交通手段は主として船舶と軽飛行機によります。
6、作物としては、ヤム芋・タロ芋・瓜類を栽培し、稀には米・砂糖きびを植えることもあります。また、商品作物農業として、コーヒー・ココア・コプラ・ゴム・茶・パームオイル・除虫菊・スパイス・ハッカ等が栽培されており、ほとんどが輸出されています。