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兄の眠る国 6 山口周行

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通常 兄の眠る国 6 山口周行

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/6/14 12:38
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

十 サナナンダの異様体験

 ポポンデッタのオロゲストハウスは極めて素朴なホテルです。ロッカーには 二人部屋というのに、銹びた鉄線むき出しのハンガーらしきものが一本、床の敷き物は破れ、シャワーは水がチョロチョロとしか出ません。湯など滅相もありません。正真正銘のPNGのホテル?です。朝四時半、チュチ、チュチー、 チュチー…と大きな美しい野鳥の囀りが私たちを起こしてくれる寝覚めです。

 声の主を探そうとカーテンの隙間から外を見れば、窓のすぐ前の電線で鳴いています。鵯くらい真黒な鳥です。こんなホテルは滅多にないでしょう。最高級ホテルは私の命名です。

 十一月五日、生花八束と祭壇用品一式を持参し、午前八時半出発、体が変になった頃、海の素敵な海岸で停車する。十時半、行先は海を隔てて遠くに見える岬付近のようだ。尋ねれば「サナナンダ」だと言う。陸路は道なく、船でしか行けないとのことです。全員がやっと乗れる小さなモーターボートで、青く深く透き通った海を、車同様白波を立てて全速で進む。海面と船との間はいくらもない。海底は?メートル、とても怖い船旅です。幸い波静かな海であることが有難い。

 三十分程進んだ頃、陸地の方から咆哮とも雄叫びとも思われる大きな音声が、間欠的に耳に届いてきました。PNGには猛獣はいないと聞いているので、人の声に違いありません。気がつくと三、四人の屈強な男が長い槍を手に持って、海岸で待っています。その前に船が進んで行くのです。やがて、船が着き上陸が始まりました。細かく白い実に美しい砂地を踏んで少し歩いたとき、先程の男たちがこわいくらい真剣な面持ちで、突然地面に線を引き口々に 何か言っている。通訳によれば「この線から奥に動くな」とのこと。彩色の施された顔、鋭い眼光、真剣な雰囲気に思わずみんなたじろいでしまった。様子が全く分からないので、何が起こるのか不安になってきます。武器を持っているだけ、よからぬことも想像していると、先程船の中で聞いていた音声が奥の 方からだんだん大きくなって近づいてきます。

 隊列を組み、穂先が四、五十センチはあろうかと思われる鋭く尖った槍を手に手に振りかざした十二、三人の成人男子の一団が、私たちの静止している四、五メートル前まで来ると一斉に止まり、振りかざしている槍を砂地に、力をこめて突き立てる。

 そして次の瞬間、槍を一斉に引き抜きもと来た方へ、口々に呪文?を唱え踊りながら帰って行く。それが三、四回繰り返されて一団が来なくなると、「もう動いても良い」と許可が出た。私たちが一段の来た奥の方へ進むと、木か竹で作られた、長い草が〝のれん〟の様に垂れ下った鳥居?の下をくぐって中に入る。待っていた若い女性がジャングルで咲く濃いピンクの美しいたくさんの 花で作られたレイを一行の首にかけて下さった。レイの一つ一つは大変な労作です。全員の首に掛けられたのですから、この時点で先程からの出来事は大歓迎して下さっていたのだということが、やっと分かってきました。

 邪悪な者はこの自分たちの聖地には、絶対に入れないのだ。許された者は歓迎して、お迎えするのだという強い意志を表した儀式であり、真心込めて迎えてくださった誠実な人たちに、これも兄たちの立派な戦いがもたらしているものではないだろうかと思えて、思わず目頭があつくなりました。

 気がつけば、頭には美しい鳥の羽(極楽鳥?)で作られた帽子をかぶり、首からは貝殻等の長い首飾りを幾重にも垂らし、腰には当地の民族色豊かな織り物?を巻いています。先頭集団のひとたちは成人男子?で構成されているようです。それに続く人たちは、男女子どもです。ところが手元の写真に写っているのは後ろ姿ばかりです。

 何故か読者諸氏は分かりますか?正面から写すことのできない厳かな雰囲気で、とても顔、姿、形を前面から見詰めることなど失礼で、恐ろしく、到底できません。槍を持ったり、長い鼓のような太鼓?を叩いたり、大声で歌い踊りながら先導してくれています。どの人もみな正装?です。道の左側に大きな机のような台が作らされていて、敷布が敷かれた台の上の大きな皿には水瓜、マンゴ、バナナ等が乗っています。その脇にはヤシの実に孔をあけ、ストローが 立っています。私は汗をかき、喉が渇いていたので、ヤシをいただきました。
 果汁は喉にしみわたり、忘れぬことの出来ない味わいです。

 しばらく休憩をとった後、さらに奥の方へ歩いて行くとヤシの葉で葺いた小屋が見えてきました。何の小屋だろう?と思いながら、一歩中へ足を踏み入れギョッとして、思わず立ちすくんでしまいました。遺骨、遺品の安置所だったのです。海岸の白い砂浜の砂とは全く異なる黒っぽい細かい、美しい砂で敷き詰められ、掃き清められています。間口五メートル?、奥行七メートル?隅に 高床で、地面から七十センチくらいの所に竹を割いた幅一メートルくらいの安置棚がコの字形に作られています。入って左側の棚には銃床の朽ちてない銹びた小銃数丁、殆んどが弾丸の貫通した穴のあいているぼろぼろの水筒四十個くらい、薬箱?もあります。向って正面の棚には、〝どくろ〟三体や大腿骨などの遺骨をはじめ、一升壜や食器、スプーンなど多数そして、これも弾丸の貫通したと思われる飯盒十個程いずれもボロボロなものが整理して置かれ、右側の 棚には何が置かれていたのか思い出せません。下の棚には得体の知れない、見ても分からないいろいろなものが並べられています。もう私は正視に耐えられなくなっていました。悲しいです。やり切れません。胸が詰まります。

 正面棚の後ろに、日章旗と旭日旗を掲げ、中央の木で作られた机に仏事用の布を敷き、その上に菓子、果物、飾り物、生花を供えました。机の中央には戦没者之霊と記された木牌が置かれています。机の前の砂地には「日本軍之霊」「南海支隊之霊」等十三枚の卒塔婆が立っています。(既に昭和三十、四十四、四十五年の三回、遺骨収容された方が残されたものと思われます。)私たちは、般若心経を供えこの地で亡くなられたとされる二人の遺族の後に続き、全員がお参りしました。線香の煙が立ち込める室内は暫し重苦しい悲しみと沈黙の時間が経過しました。

 私はただひたすらみ霊安らかなれと祈りました。帰途の海岸までの道のりは、来たときの何倍にも遠く感じられました。槍を持たない五人の男の人がひっそりと見送って下さいました。

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