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兄の眠る国 7 山口周行

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通常 兄の眠る国 7 山口周行

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/6/16 7:27
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

十一 悲痛極まれるクムシ河

 次に向かったのはクムシ河、死の渡河地点です。
 トラックが走り出すと土埃と同時に騒音も上げて疾駆するため,説明があっ ても聞こえません。メモも全く取れません。アンポコ川ダブル・クロスとして現地の人はみな知っているそうですが、上流は豪州軍、下流は日本軍が交差して戦った地点のようです。

 ココダ・トレイルでは日豪対決として後世に残る所で、オーストラリア政府建立の記念碑がある公園のようになっていました。休憩時間の僅かなのが残念でしたが、英文銘板の冒頭に「日本軍兵士は勇敢に戦った;」と相手を称えた文言を目にし、なんとも言えない感動に襲われました。英語に弱い私にもすぐ読み取れました。如何に兄たち日本軍が戦ったのか、ひしひしと胸に伝わってきました。別の銘板には「ストロングジャパニーズ アーミー」ともありました。正に君のため国のためにと、ひたむきに、逝きし日本軍であり、連合軍であった事を知りました。ゆっくりメモする時間のないのが誠に残念でした。

 すぐ車上の人になってジャングルを疾走します。途中、トイレ休憩となりました。勿論便所などありません。道路脇の深い繁みに綱を張って男女の使用場所を分け、用を足すのです。用を足すといっても簡単ではありません。ジャン グルに足を踏み入れるからにはハマダラ蚊に刺されたら百年目です。虫除けスプレーを露出している肌に吹きかけ、万全の備えをしていざ出陣と相成るのであります。マラリアに苦しめられた沢山の兵士の姿が頭をよぎります。

 用の途中で、ふと足下を見ると、長さ一五・六センチ足の親指大の太さがあろうかと思われるケバケバしい赤黒青で厚化粧した芋虫?ミミズ?蛇?得体の知れぬ動物が、私の足元へ這ってきます。早々に済ませてガードマンに尋ね、 通訳してもらって百足(ムカデ)と分かりました。こと程左様に分からないことばかりです。再度車上の人となり、前方にオーエン・スタンレー山脈を見ながら、どこをどう走っているのか、西も東もさっぱり分からないままに午後三時二十分クムシ河の道路に到着しました。河岸まで十五メートルくらい降りた行く手は川幅百二十メートルくらいの水量豊かなクムシ河の奔流が渦を巻き、濁流となって、流れる勢いは岩を噛むと表現出来ましょう。

 クムシ河を眼下にして、御田重宝著『東部ニューギニア戦―クムシ河、死の渡河』とあけぼの会門脇朝秀編『台湾高砂義勇隊』に暫し思いを馳せました。

 若い兵士らは、命ぜられたままひたむきに任務の完遂だけを考えて、行動しました。これが青年の義務だと信じて疑わなかったのです。だからこそ生命を賭けて戦ったのです。マラリアによる四十度以上の高熱で対岸へついたとき力尽き亡くなりました。また、有る兵士は目の前で両手が水面に見えていましたが、やがて見えなくなりました。湿気、マラリア、下痢、飢えに苛まれた体が水中で無意識に手を動かし、体力を消耗し尽くして溺死ではなく、絶命したのです。もう少し腹が減っていなければ助かったでしょうに。

 ここでも、忘れられないことは、高砂義勇隊の感謝にたえない働きをしてくださったことでした。

 弾薬、食糧の運搬、傷病者の後送など,実に勤勉に働きました。良く訓練され、号令一下、働き教育されていました。日本人より真面目で、一所懸命働いてくれました。力も強く、身体も大きく、米の分量も忠実に守って、それ以上に決して手をつけませんでした。特に頭が下がったのは傷病者の後送に当たって示してくれた高砂義勇隊のどの態度一つ見ても、どう報いてあげたらよいか。今思い出しても胸がつまります。と目頭をうるませて述懐されていることが書かれています。

 また、ある高砂族の青年兵士は山地民族の本領を発揮して筏(いかだ)のつくり方や操作を指導してくれました。直径二寸(六センチ)のなるべく白い木(軽い)を六尺(一、八メートル)に四・五本切って、蔓で筏を組む。人間が乗るのではなく、衣類兵器だけを乗せ、河の真ん中へ押し出し、人は筏につかまって流されていくのみ。濁流、急流では命がけで体力がないため、手を放したらそれっきりとなってしまうと教えてくれたと。

 文化生活に慣れた日本兵は、軍靴が破れて使用不能となれば裸足でジャングルを歩くことは到底出来ません。水虫に苦しめられている足に、毛布を巻いて歩くしかない。ところが彼らは裸足のほうが歩きやすいのです。食べ物にしても自生する動植物の何が食べられるか、また有毒か。昼間も暗いジャングル、夜ともなれば真暗闇、恐怖が満ち溢れる世界です。得体の知れぬ動植物だけではなく、ピアノ線を張り巡らし、線に触れようものなら盲滅法に重火器で乱射してくるのです。ところが野山を住み家とする高砂族の人達は、本能的とも 動物的ともいえる超人的な五感と身体能力で危険をいち早く察知し、予知して極めて誠実に伝え、指導してくださっていたのです。『渡河の際、重機関銃が激流に流され、幾ら探しても見つからないこの河で、良くぞ渡河することが出来たことよ、と今も思っています』と。

 私の眼下のクムシ河は往事茫々、なにごともなかった如く、今も水は逆巻きながらとうとうと流れています。流され、もがき、苦しむ兵士の姿も、私の視界には全くありません。悲痛の叫びも聞こえません。でも、河は私に何かを訴えているように思えてなりません。河の水と河岸の草が生い茂る、祭壇を設ける余地もないほどの空き地に、やっと祭壇を設置し、お参りするために下りていく人とお参りを済ませて登ってくる人が各一列ですれ違うような状態で、二人の遺族を先頭にやっとお参りできました。

 気がつくといつの間にか現地の子ども、老人、壮年男女が真剣な表情で私たちがお参りしている一挙手一投足を見つめています。どんな事を感じているのでしょう。時間なく言葉が通じないのが残念です。子どもたちにお供えの供物を配ってあげて、分かれました。今も心に深く染みる、クムシ河畔の参拝です。

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