@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

兄の眠る国 12 山口周行

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 兄の眠る国 12 山口周行

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/7/12 8:19
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 十六 涙雨降りしきる合同追悼式

 十一月九日、東部PNG慰霊巡拝最後の日になりました。この日はウエワ ク・ウインドジャマーホテルから歩いて二十分ほどの距離にある東セピック州 ウエワク市の「ニューギニア戦没者の碑」前で合同追悼式が挙行されます。

 午前九時三十分、ホテルに全員集合し、十時三十分から式が始まります。式場は敷地凡そ約六千㎡(縦百m、横六十m)の中に昭和五十六年九月PNG国政府の協力によりニューギニア地域と周辺海域で戦没されたすべての方々の霊を慰めるために、日本国政府が建設した施設であります。

 慰霊碑は敷地の北側(海側)に配置され、現地の材料を取り入れた民家の素朴な造詣をモチーフとして、簡素で重々しい雰囲気のあずま屋に安置されていました。あずま屋は四本柱で壁がなく寄せ棟造りです。あずま屋の前面は蓮の ような水生植物の生える池で囲まれています。あずま屋と休憩所、野外ステージ等のある広場(二十七m四方)へ行く通路は池の中央を通って行くことができるようになっていました。

 この休憩所や屋外ステージ等は、東部ニューギニア戦友会ならびに社団法人PNG友好協会からの寄付で作られたとのことです。
 碑文には、次の言葉が彫り刻まれていました。

 ニューギニア戦没者の碑
 先の大戦においてニューギニアおよびその周辺海域で戦没した人々をしのび平和への思いを込めてこの碑を建立する
 竣工昭和五十六年九月十六日日本国政府
 協力パプア・ニューギニア政府

 開式のころになると雨が降り始めました。雨は次第に強くなってきます。私たちが当地へ来て七日間、全く雨に遭うことがなかっただけに追悼式でのこの雨はこの地に眠るすべての方々と私ども全員の万感胸に迫っての感涙に違いありません。

 私たち台湾友愛桜の会全員が四年前台湾先端にあるバシー海峡を望む潮音寺で戦没者慰霊の折、全員君が代を合掌(合唱)し始めると突然はい然と強い雨が降ってきました。その時、私は慟哭の雨降る潮音寺と表現しましたがまたしても、ここPNG慰霊巡拝最後の日の今、はい然と雨が降ってきたのです。私には偶然の降雨とはとても思えません。

 追悼碑の前のあずま屋を覆うビニールシートに雨が溜まり垂れ下がったシート上の雨は溢れ、起立して黙祷する私たちを慟哭の雨がぬらしました。

 式典は厚生労働省の青木氏の司会によって進められました。

 ①開式の辞 司会者
 ②全員が起立して黙祷。心に深くしみる沈黙でした。
 ③追悼の辞 政府派遣、厚生労働省柿原団長、来賓として花形大使、遺族代表、諸隈氏によって述べられました。どの方も異口同音に、言語を絶する戦闘、日本の安泰と永遠の繁栄、飢えと病魔との闘い、万感胸に迫る思い等々の言葉が続きました。降りしきる雨と同じように、参加者全員の目からも涙が溢れました。同時に「良くぞ戦ってくださいました。心から厚く厚く御礼申し上げます」が私の口をついて出ました。
 ④日章旗前の献花台には既に九都道府県知事からの花輪が飾られています。献花は団長、来賓、遺族の順で行われ、
 ⑤司会者によって閉式の辞となりました。

 この合同追悼式で主な東部ニューギニア慰霊巡拝はすべて終わりました。お参りすることができ、大きな感謝と達成感は与えていただきましたが、戦後から今日まで放置してきた私の心にある罪悪感は今なお払拭できていません。この度の慰霊巡礼を振り返って、私は平成二十年の年頭賀詞を次のように記しました。


 終生一度の長兄、鎮魂慰霊の巡拝は熱帯雨林東部パプアニューギニア(PNG)
 兄さん、散華された十二万七千有余の御柱申し訳ありませんでした。お許しください
 周行がやっときました。ごめんなさい
 飢えと病気、打つ弾なく惨苦凝縮地獄の戦場望郷の思いは日に何度祖国を見つめたことか
 そこの道にも日本の兵隊さんが眠っています

 一行の前で話す昔酋長?のカエムシアン老人
 彼は日本の歌を教えた兵士を偲んで歌った
 夕焼け小焼け 船頭小唄 酋長の娘 を正確に
 昼間も暗いジャングルのずっと奥地の山の中
 学校も勉強も、全く知らない現地の人たちに
 死闘の傍ら、学校を作り子供に教えた兵士たち
 彼らはPNGの明日の国づくりを熱く説いた
 そこで学んだ八歳のマイケル・ソマレ少年
 独立運動に投じ現在三期目の現PNG首相
 帰国前夜。私は駐PNG花形大使に願い出た
 一刻も早くお骨を日本へ帰してあげて:と
 御霊の大恩を忘れた日本人に平和はない

        平成二十年 元旦

参考文献

◎ 秘録大東亜戦争マレー・太平洋島嶼篇
   昭和28年9月発行
   富士書苑 田村吉雄編集
◎台湾高砂義勇隊
  平成六年一月発行
  あけぼの会 編者 門脇朝秀
◎ ニューギニア地獄の戦場
   平成四年八月発行
   徳間書店  著者 御田重宝
◎ 太平洋戦跡紀行ニューギニア
  平成十八年九月発行
  (株)光人社   著者 西村 誠
◎ 東部ニューギニア慰霊巡拝のしおり
  平成十九年十一月
  厚生労働省社会援護局
◎http:imperialarmy.hp.intoseen.co.jp/general/yasukuni/adachi.html20
08/09
  フリー百科事典「ウィキペディア」安達二十三
◎http:www.goroku,gr,jp/junpai/doc2.html 2007/11/02
  解説東部ニューギニア



       著者   山 口 周 行
       〒 474‐0026
         愛知県大府市桃山町三丁目二七九
       電話 〇五六二(四六)〇一〇七

 --完--

  条件検索へ