私の従軍記 飯塚 定次 6
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私の従軍記 飯塚 定次 (編集者, 2015/3/30 8:56)
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編集者
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私が勤めていた会社の社長の従兄弟に宮内庁に勤めている方がいらっしゃって私の出征をきかれてその大山侍従から皇太后陛下のお手造りになる御守護を授受致し身につけておりましたが終戦時作戦の責任を問い晴れて持ち物を深化に調べた時、この御守護がどう探しても見当たりませんのでその後ずっと気にかかっていましたが今迄の記録を書き乍らこの時私がせまい水中間でひょっとしてもがいていた身から私を助けて下さったのは皇太后陛下から賜った御守護神であったのかと初めて何十年かの謎が解かれた様に心に染み入って来る心地で筆を握りしめました。
その翌年六月北スマトラ警備の任務から次の作戦の為赤道直下で年間平均気温が十八度~二十三度という冬と夏のない避暑地ブラスタギーへ雲の上人として約一年半過しました。すべて原始の世界、竹の家で暮らしました。近くに湖がありまして一帯が演習場で最後の学徒動員で出征して来た人達が綜合訓練をいたしました。その前に昭和十七年八月に召集年令九年兵三年兵が内地へ帰還除隊いたしました。部隊の自動車隊の教官で私の大変お世話になった大川中尉、司令部自動車班の北村軍曹外古年兵が内地の土を踏んだ訳ですがこの方々の大半が帰国早々北東辺海の離島守備隊、再召集で出陣されて間もない春、殆ど大部分の人が全員が華々しく散華されたのです。「一足先に凱旋で悪いナア」と満面の笑みをたたえて郷里へ喜びのさめぬ間のアッツ島玉砕は私達戦友はニュースを聞いて本当に辛かった。私はあれから六十余年の今人間の生死の摩訶不思議なる夢見る心地で思い起こしている。