私の従軍記 飯塚 定次 11
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編集者
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八月十五日午前、司令部前の広場に二百名近い全員整列して戦争終結の勅令を伝達されました。司令部に在籍する者は情報をキャッチしていますので来たるべき日が遂に来た、そんな思いでくやしさをかみしめました。九月十五日英印軍司令部から駆逐艦ナルバタ号(と記憶していますが違っていたかもわかりません)が来て終戦手続が決定されたのです。
身辺整理が八月十五日以降ずっと続いておりましたが兵器の処理とかが真先に取上げられた事は当然ですが港のすぐ前にロス島という小さな島がありまして英印軍の司令所として常駐いたしました英海軍の中尉が責任者として指揮をとり、副官に若い少尉がついていましてこの少尉が人なつっこい人でよくお話もいたしました。
十一月二日朝、高級副官から呼出されて「本日午前中完全装備、食料七日分携行、単独行動となると心得て司令部前へ集合せよ」と命令を受け、これが戦犯Bキャンプへ収容された第一日でした。行先不詳。私が選んで供にスパイ狩作戦に行った十名が行動を供にしました。みんなに対して終戦したというのに行先も目的も理由も不詳の旅とは最悪の条件だナと自覚。「最後の最後かも判らん、各人最後迄自分を大切にしてくれ、元気でナ。」と決別のわかれを告げたが二、三時間後に判った事は、ロス島のBキャンプへ皆収容された事。とりあえず話合える生活が続いた事は一つの安心をもたらした事だったが、英軍の監視兵が着剣した小銃で宿舎を囲んでいて言葉が通じない事と素手の我々がこわかった事か、とても緊張して距離をとって警備していた事。呼び出されるとキャンプの中央の処にあるテーブルの前で剣のついた銃を胸に当てられ両手を頭の上にのせて尋問させられた屈辱はくやしかった。戦争に勝った彼等の倣慢さも頭に来た。彼等からみて気に喰わん時は銃を空に向かって撃っていた。みんな覚悟して生活をしていたから正々堂々として武人らしい立派なふるまいだった。