私の好きな舞台・映画 
(期間:2013.9.1 - 2013.10.31)

みなさんは今までに観た芝居や映画に、たくさん思い出があるでしょう。
心に残る芝居、楽しかった映画
それから俳優や女優について思うことをどんどん書いてください。
もちろん最近見た芝居や映画、これから見たい舞台や映画も歓迎します。


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  • [No.659] 落語物語 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/24(Thu) 05:15
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    さんらく亭さん、みなさん

    「落語物語」は、林家しん平が原作・脚本・監督を務めた2011年3月12日公開の日本映画です。

    落語家・林家しん平が自らメガホンをとり、実体験を織り交ぜながら落語の世界を舞台に撮り上げた下町人情ドラマの映画。

    総勢40名を超える現役落語家が出演したことなども話題となり、第三回したまちコメディ映画祭では特別招待作品として上映された。

    撮影は、落語協会の全面バックアップのもと、東京の四軒の寄席(鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場)にて行われた。
    着物、小道具、お囃子に至るまですべてが本物であり、寄席の高座や楽屋風景、芸人同士のやりとりや独特な師弟関係なども忠実に再現されている。

    落語界からの情報発信  伝統的な落語文化の記録にもなる。
    やりましたね、


    [No.658] おくりびと 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/24(Thu) 05:05
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    おくりびと Departures

    監督 滝田洋二郎
    脚本 小山薫堂
    製作 中沢敏明 渡井敏久
    製作総指揮 間瀬泰宏

    出演者
       本木雅弘
       広末涼子
       山崎努
       峰岸徹
       余貴美子
       吉行和子
       笹野高史

    音楽 久石譲

    配給 松竹 公開 2008年

    「おくりびと」は、第81回アカデミー賞外国語映画賞、および第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞した。

    キャッチコピーは、キレイになって,逝ってらっしゃい。

    本木雅弘が、1996年に青木新門・著『納棺夫日記』を読んで感銘を受け、青木新門宅を自ら訪れ、映画化の許可を得た。

    その後、脚本を青木に見せると、舞台・ロケ地が富山ではなく、山形になっていたことや物語の結末の相違、また本人の宗教観などが反映されていないことなどから当初は映画化を拒否される。

    本木はその後、何度も青木宅を訪れたが、映画化は許されなかった。
    「やるなら、全く別の作品としてやってほしい」との青木の意向を受け、『おくりびと』というタイトルで、『納棺夫日記』とは全く別の作品として映画化。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%B3%E3%81%A8

    この職業は欧米にもあるという。


    [No.657] ドラえもん のび太の恐竜 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/23(Wed) 19:06
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    > 藤子不二雄Fは正式には
    >  藤子・F・不二雄と書く。
    >   1933年(昭和8年)12月1日 - 1996年(平成8年)9月23日)
    >     63歳にあと少しというところで、急逝した。

    > 『ドラえもん』は漫画から、テレビアニメとなり
    > そして映画化され子供たちの人気となった。

    『ドラえもん のび太の恐竜』は藤子・F・不二雄のSF漫画『ドラえもん』中のエピソードのひとつ。
    およびそれに大幅に加筆修正し、月刊コロコロコミック1980年1月号から1980年3月号に掲載された「大長編ドラえもんシリーズ」の作品と、この作品を元に1980年3月15日に公開された映画作品。

    大長編・映画ともに第1作。

    つまり
    ドラえもんの映画の第一作にあたります。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93_%E3%81%AE%E3%81%B3%E5%A4%AA%E3%81%AE%E6%81%90%E7%AB%9C

    作者が死んでも映画は作り続けられています。


    [No.656] Re: 有楽町 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/23(Wed) 18:57
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    さんらく亭さん

    > 有楽町といえば娯楽の街でありフランク永井の唄う「西銀座駅前」でした。
    > <♪ メトロを降りて階段昇りゃ 霧にうず巻くまぶしいネオン
    >    いかすじゃないか 西銀座駅前  ♪>
    >
    > この歌のように当時は丸の内線の西銀座駅を地上に上ったところが数寄屋橋で日劇や日劇ミュージックホールがあってよく通いました。確か東京オリンピックの大工事のときに銀座駅が大きくなって西銀座駅を吸収合併したので有楽町へ行くには長い長い連絡通路を歩かなければならず不便になりました。

    さんらく亭さんの書かれた「西銀座駅」は
    いまなら
    丸ノ内線の「東京駅」と「霞ヶ関駅」の間の「銀座駅」でしょう。
    日比谷線と交差する駅。

    銀座線の「銀座駅」は三越のそばですね。


    [No.655] Re: 落語のはなし 投稿者:さんらく亭  投稿日:2013/10/23(Wed) 18:22
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    男爵さん

    > 「山のあな あな あな」というのも耳に残っている話ですが
    > 伝統の落語ではないですね。

    これは三平ではなく三遊亭歌奴(いま、圓歌)です。
    新大久保の駅員から落語家になり今は日蓮宗の僧侶でもありますね

    > 「ちはやふる」や「われてもすえに」(崇徳院)などは
    > 名人の噺を聞きたいですね。

    「崇徳院」はいちばん好きな演目ですが余程の名人達者でないとできない大ネタです。
    今までの中では桂米朝、桂枝雀、江戸では桂三木助がうまいなぁと思いました。
    もともと上方噺で舞台は高津神社ですが江戸では上野の寛永寺になっています。


    [No.654] Re: 有楽町 投稿者:さんらく亭  投稿日:2013/10/23(Wed) 17:44
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    > いまはもうその面影はなくなってしまったが
    > 昭和40年代までは、有楽町といえば新聞社の町だった。

    有楽町といえば娯楽の街でありフランク永井の唄う「西銀座駅前」でした。
    <♪ メトロを降りて階段昇りゃ 霧にうず巻くまぶしいネオン
       いかすじゃないか 西銀座駅前  ♪>

    この歌のように当時は丸の内線の西銀座駅を地上に上ったところが数寄屋橋で日劇や日劇ミュージックホールがあってよく通いました。確か東京オリンピックの大工事のときに銀座駅が大きくなって西銀座駅を吸収合併したので有楽町へ行くには長い長い連絡通路を歩かなければならず不便になりました。

    そういえば、フランク永井は同い年ですが不幸な晩年でした。
    私のカラオケの十八番には彼の歌が4曲あります。
    <西銀座駅前/有楽町で逢いましょう/こいさんのラブコール/東京ナイトクラブ>


    [No.653] Re: 十戒 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/23(Wed) 17:33
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    > 十戒 The Ten Commandments

    > 児童文学のアーサー・ランサム全集 8巻 ひみつの海
    > では
    > 干潟がさっき通れたのに、満ち潮になると海中に没する(から通れなくなる)場面で
    > 作者はさりげなく
    >  紅海 海が割れる 出エジプト記 モーゼ エジプト軍全滅
    > などの故事を紹介する。

    説明不足のようなので
    くわしくはこちらです。
    http://book.mokuri.xrea.jp/secret-water


    [No.652] Re: 落語のはなし 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/23(Wed) 17:26
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    さんらく亭さん

    > 落語の話はまだ出てませんね
    >
    > 昭和30年代前半、東京の独身生活での楽しみは寄席通いでした。人形町末廣や上野鈴本も行きましたが足繁く通ったのは新宿末廣亭です。

    人形町のは前を通りましたが
    時間がなく入りませんでした。
    東京オリンピックの翌年だったでしょうか。

    > 当時は古今亭志ん生や桂文楽、林家正蔵や柳家小さんが人気絶頂で春風亭柳橋や桂三木助もラジオの番組(「話の泉」など)で人気者でした。林家三平がまだ若手で爆笑を取っていましたがあんなのは落語じゃないと思っていました。

    三平のは落語でも新しい落語でしょうね。
    「山のあな あな あな」というのも耳に残っている話ですが
    伝統の落語ではないですね。

    「ちはやふる」や「われてもすえに」(崇徳院)などは
    名人の噺を聞きたいですね。


    [No.651] Re: 小島の春 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/23(Wed) 17:17
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    まやさん  ありがとうございます。

    この延長に
    「砂の器」があるのだと思います。

    おそろしい病気だ
    呪われている家系だと本人ばかりか
    家族も他人もそういう意識にとらわれていたのです。


    [No.650] Re: 小島の春 投稿者:まや  投稿日:2013/10/23(Wed) 16:55
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    男爵さん & みなさん

    > 小島(こじま)の春(1940)
    >
    >  在宅らい病(ハンセン病)患者を国立療養所に収容する旅を記録した小川正子の同名手記を、八木保太郎が脚色し豊田四郎が監督した。
    >
    > 高峰秀子に強い影響を与えたという杉村春子の熱演や、戦前の瀬戸内海の美しい風景を切り取った映像など、高い評価を受けた。
    >
    > しかしその反面、らい病の誤った知識を描いていることから、批判も多い。
    >
    > ということがネットの某サイトに書かれているが
    > 当時のことを考えると、いまの常識で批判するのは妥当ではないだろう。

     その通りです。
     らい病に伝染性はないことがわかった現代では、この映画の鑑賞の仕方も
    変わってくるでしょうが、この映画が作られた時期には・・・

    > もっとも、それは時代とともに社会情勢も変わるから
    > いつまでも、この映画の状態のままではいけないのであるが。

     かと言ってどうすればいいのでしょう? 
     私はその昔、この小島に行って、まだ昔のままの収容施設で患者さんたち
    とお話をしたことがあります。一年後輩の男性は卒業後ずっと小島で仕事を
    していました。昭和30年代のことです。

     科学は新薬を見つけ、病気の伝染性を否定しましたが、世間の人たちの口
    さがない噂や患者さんたちの外見の変化はどうすることもできません。人類
    の悲しい歴史がもっともっと修正されるのを願うばかりです。

    まや


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