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ルソン島 クラーク西方での戦死者(祖父)について

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KyoYamO

通常 ルソン島 クラーク西方での戦死者(祖父)について

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2007/4/29 3:46
KyoYamO  新米   投稿数: 13
はじめまして。

 私の祖父にあたる人物は、昭和20年にフィリピンのルソン島で戦死したそうです。遺児である私の母が2歳のときに出征したので、母は実父の顔も覚えておらず、母の姉たちが戦死について語ってくれた少しの情報しか持ち合わせていませんでした。当然、その孫にあたる私は、祖父の戦死についてはまったく知らず、お恥ずかしいことですが、まったく他人事のような気がしておりました。

 ところが、2007年春になって、いろいろな出来事があり、孫である私が祖父の戦死の詳細を知りたいと思うようになりました。

 所属部隊や戦死までの概要は叔母《おば=父母の妹》が持っていた記録からだいたいのことが明らかになりましたが、もし祖父と同部隊の方が生還していらっしゃるのなら、そして、その方がご健在ならば是非お話を伺いたいと思っています。

 しかし、日本遺族会や厚生労働省に問い合わせても、生還者についての情報は手がかりがなく、肩をおとしていました。

 そんな矢先に、このHPで祖父と非常に近い場所でともに戦っていた方の記録があることを目にしました。何か少しでも良いので、当時の状況がわかる方とコンタクトが取れるかもしれない、と藁《わら》にもすがる思いでメッセージを書き込んでいます。

祖父の記録で残っているものは以下のみです。
大竹海兵団 第318設営隊
呉二補技 海軍技術兵長 氏名:稲見職知
昭和19年10月12日 マニラ上陸
昭和20年1月6日クラーク防衛部第17戦区隊に編入・複郭陣地を構築
昭和20年1月11日 マバラカットの陸軍建武陣地に入る
昭和20年20年6月10日 クラーク西方山地において戦死

 残された家族にとって、家長の戦死はあまりにも辛い思い出だったようで、祖母は生前、孫の私には何も話してはくれませんでした。遺児である母やその兄弟も同様です。しかし、遺児の母や叔母たちも高齢化し、今年がフィリピンに慰霊に行ける最期のチャンスかもしれないと言っています。遺族の心情としては、できるだけ終焉《しゅうえん=臨終》を迎えた地の近くで慰霊を行いたい、と考えていますが、そのためには上記の公報よりは詳細な情報が必要になります。

このメッセージをお読みになった方で、何かしらの手がかりをお持ちの方がいらっしゃれば、是非ご一報いただきたいと思います。

よろしくお願いします。

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