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Re: ルソン島 クラーク西方での戦死者(祖父)について

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スカッパー

通常 Re: ルソン島 クラーク西方での戦死者(祖父)について

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5
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2007/4/30 19:10
スカッパー  半人前   投稿数: 25
(2)
17戦区だけの 戦闘資料ではありませんが クラーク防衛海部隊
全体の行動資料として 当時の763航空隊(16戦区)付の残務整理班が書いた 戦闘状況報告に基づき 当時の状況を書いてみますので 御祖父様の最後の状況を推察して下さい

戦闘状況

昭和20年1月9日 敵米軍はリンガエン湾に上陸と共にクラーク飛行場に対する空襲は連日延べ800機を越え 地上部隊は20日にタルラックに 24日にはバンバンに達し同飛行場より観測機が発進し弾着観測を開始した 陸軍陣地の被害は逐次《ちくじ=次々と》増大し戦闘は激烈を極めた 連絡と転進《てんしん=戦争末期、退却を意味する軍隊用語》作業に使用していたクラーク中飛行場は26日以降使用不能となる 敵がダウまで進出してきたからである

2月複郭陣地の戦闘
 陸軍陣地が突破された後2月下旬よりバンバン及びストチェンバーク方面から砲爆撃と戦車歩兵の攻撃が始まる
右翼第一線の16戦区は2月上旬より赤山 黄山陣地で地形を利用して奮戦したが相当大きな損害を受けた 2月9日 15戦区の天神山 高千穂が第一線となる 手榴弾と機銃が主力武器である友軍
は重砲と戦車を制圧する方法はなく 洞穴陣地間の相互支援も地形状 適せず 敵は猛爆の下一歩一歩我が陣地を侵食する
天神山は司令部の高森山陣地の直前に位置し 死守陣地として16戦区 陸軍 17戦区よりの支援により 3月5日まで確保された
左翼の13 14戦区に対し敵は急速道路を造成し 猛烈な砲駁撃の下に戦車を推進し 両陣営の背面より砲爆を浴びせ 屋島 富士
箱崎の各陣地は全く崩壊し 敵の席巻《せっけん=片端から攻め取る》するままとなる
15戦区の友軍の一部に絶望的敗戦感により戦意を全く欠如し時に戦線離脱者を出し所々に戦線欠落することがあった この2月中下旬の戦闘においては15 13 14各戦区の大部分は陣地の崩壊と埋没で殆ど戦死を遂げたものと推察される
尚13戦区は終戦までに全滅した為 状態全く不明となる

第一次陣地整理

中央及び左翼が崩壊し このままでは全く包囲される恐れが出てきたので3月5日戦線整理が発令された 即ち16 17戦区は現状のまま陣地を確保し 15戦区を17戦区に収容し13 14戦区は丸山 西丸山の線に後退させる事になった 司令部は3月8日深山に移動 この頃的は天神山を突破し戦車が高森山に進出してきた
16 17戦区は連日激戦を展開 3月上旬黄山に来襲の敵は撃退したが 赤山の一部に拠点を築いた敵は次第に兵力を増してきた

3月中旬の残存兵力と西方転進

13 14戦区が西方に撤収《てっしゅう=纏めて引き揚げる》を完了し 16 17戦区に対しピナツポ山北方 楠谷への転進が発令された 3月21日頃の推定兵力は13戦区150名 14戦区350名 15戦区150名 16戦区1,300名
17戦区500名 司令部300名の計2,750名であった 但し負傷者多数を含むで 編成当初の18%に過ぎない 2ヶ月で80%が戦陣に埋もれた事になる これでも尚悲惨な戦闘行為を強いるには時の流れと言うべきか 4月11日16 17戦区は所定に位置に移動を完了した

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