イレギュラー虜囚記(その3)
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イレギュラー虜囚記(その3) (あんみつ姫, 2007/12/16 13:14)
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Re: イレギュラー虜囚記(その3) (あんみつ姫, 2007/12/16 13:21)
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投稿日時 2007/12/16 13:14
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
スラビヤンカ《ロソア沿海州ハサン地区の町》・ラーゲリ 21・5・30~22・7・16
五月末ともなれば、ここシベリヤも全くの夏になる。暑い陽を浴びて、一ケ月前クラスキノ《ロシア沿海州最南端の港町》から馬車行軍した道を引き返し、バンプーロボ駅に到着。
ここから東に向かい、丘を三つ越すと眼前に真青な海と小さい街が見える。海は入江になっていて、半島や島の景色が美しい。
街に近付くと、白樺林の中に赤煉瓦の病院があり、白衣の患者が散歩している。街の入口に当たる本道から少し坂を下った地点がラーゲリの予定地。
すぐ子供たちが大勢集まってきた。薪用の丸太が積んであり、半ば傾いた厩の向うに小川が流れ、洗面、洗濯に使える。
その先の小高い場所に石造二階建の大きな下士官教育隊がある。鳩が沢山飛んでいる。
子供たちは人見知りせず、おじさん(ジャージャ)と寄って来て、何か売ってくれという。兵用の冬上衣はバザールで三百ルーブルもするとか。靴屋の息子という少年が、日本の伝書鳩を飼っていると得意気だ。革があったら靴を作ってやるとすすめる。人情は頗る篤いようだ。
敷地の北隅のガレージ跡らしい建物に洗濯婦が二人住んでいて、ベッドのスプリングは良いし晩に来ないかと誘われて驚いた。
厩の壁を利用してトタン板で宿舎を造る。選抜して連れてきた兵隊たちは元気がよい。物干し棒で走り高飛びをやってロープを切ってしまったら何処からか年配の女が現れて「そんなに暴れると“撤兵を要求”(エバクノーロバッチ)しますぞ」と睨まれた。
夕方、ボクノフ少佐が来て、紅茶を沸かして雑談する。ソ軍歩哨が少佐と親しいの見て不思議そうな顔をしていた。夜十時、輓馬輜重《ばんばしちょう=馬が引く物品輸送の車(軍隊用語)》が第一回糧秣送致に到着。荷卸し後すぐ夜行軍で引き返す。
有馬兵長ら二十人が石灰山(イズペスコーバヤ)への分遣のため同隊に従う。街の方からダンス音楽が聞こえてきて捕虜の心も温かくなる。
六月一日朝、ボ少佐とクリジャノフスキ大尉が来て、ラーゲリ外柵の位置を指示する。俺たちは結局、動物園の猿かと皮肉ったら少佐は、なに、街のヨタ者(フリガン)除けだよとうまい返事。
事実、この街にいる間、我々は外出自由だったから本音だったかも知れぬ。
暑気の中、昼過ぎ本隊が徒歩で到着。早速幕舎設営。ガレージ跡は洗濯婦を立退かせて歩哨舎《ほしょうしゃ=警備兵の小屋》とする。
二十分ほどたってクーロフ所長が来て、哨舎を柵内に入れるとは怪しからぬ、捕虜は捕虜だけの柵に入れと怒鳴りつける。少佐の指示だと反対したが聞き入れぬ。
衛兵長《警備兵の長》の曹長(スタルシナー)が言う通りにせよと急がせる。折角植えた木柵を抜き始めたら突然ボグノフ少佐の怒声が響いた。見ると、クーロフが直立の姿勢で背の高いボグノフにガンガン怒鳴りつけられている。結局、柵は元通りに。
暴君クーロフが惨々やられたので我々は手を叩かんばかりに喜んだ。ラーゲリ内は木造ガレージを哨舎、クーロフ宅、炊事場に区分、厩の半分とボロ倉庫を補修して糧株庫とする。
バンプーロポ駅-スラビヤンカ間の糧株輸送は一日二往復であと四、五日かかる。バンプには田中主計と将校当番の高橋兵長が残って糧秣管理記録を作成。
塗装に五人の要求があったので一緒に行ってみた。ラーゲリの東五十米に本通りがあり、人の往来もある。日本人が珍しいようで、立ち止まって眺めているのもいる。しかし侮蔑の眼差しではなく、皆親しみを込めた笑顔だ。
ヤボン《日本人》と叫んだ子供に「いけません。ジャージャ(小父さん)と言いなさい」とたしなめている母親もいた。
我々を日本から来た季節労働者のように感じているらしい。作業は海岸通りの縫製所隣の軍人官舎。壁に白い石灰を塗る単純作業。これならだれでもマリヤール(塗装工)で通る。
住人の黒肩章の中尉は日本語が話せるゲペウだ。警戒を要する。
「君はロシヤ語ができるか」と尋ねるので少々やる。哈爾浜学院の学生だったと言うと、彼はニヤリとして「少しじゃないだろう。ヨシムラをよく知っているよ」という。吉村氏は一期上で哈爾浜のミッシャの将校らしい。
このゲペ《ゲペウ=ソ連代表部警視庁》は我々がスラビヤンカにいた間、毎月一回ラーゲリに現れて、我々の前歴を繰返し訊く。前後にアヤフヤなところがあれば疑われるので要注意。
官舎の電灯は日本製で、紐を引いて点滅させるのが珍しいらしい。文明の利器の恩恵には浴していない連中が、思想は世界に冠たるものと自負しているのだから変な話だ。
もう二人増加することになりラーゲリへ行くのに護送兵(カンポイ)を要求したら、彼らは驚いた様子で「君一人でいけばいいじゃないか。カンポイなどいらぬ。
スラビヤンカの街は何処へ行ってもいいぜ。良い娘がいたらよろしくやるさ」という。周りにいたおかみさんや娘たちがどっと笑う。捕虜の身ではスラビヤンカはよい所だ。大いに解放された気分で一人で街を通って帰る。
国情は違っても普通の人たちは人の良いロシヤ人である。
(つづく)
五月末ともなれば、ここシベリヤも全くの夏になる。暑い陽を浴びて、一ケ月前クラスキノ《ロシア沿海州最南端の港町》から馬車行軍した道を引き返し、バンプーロボ駅に到着。
ここから東に向かい、丘を三つ越すと眼前に真青な海と小さい街が見える。海は入江になっていて、半島や島の景色が美しい。
街に近付くと、白樺林の中に赤煉瓦の病院があり、白衣の患者が散歩している。街の入口に当たる本道から少し坂を下った地点がラーゲリの予定地。
すぐ子供たちが大勢集まってきた。薪用の丸太が積んであり、半ば傾いた厩の向うに小川が流れ、洗面、洗濯に使える。
その先の小高い場所に石造二階建の大きな下士官教育隊がある。鳩が沢山飛んでいる。
子供たちは人見知りせず、おじさん(ジャージャ)と寄って来て、何か売ってくれという。兵用の冬上衣はバザールで三百ルーブルもするとか。靴屋の息子という少年が、日本の伝書鳩を飼っていると得意気だ。革があったら靴を作ってやるとすすめる。人情は頗る篤いようだ。
敷地の北隅のガレージ跡らしい建物に洗濯婦が二人住んでいて、ベッドのスプリングは良いし晩に来ないかと誘われて驚いた。
厩の壁を利用してトタン板で宿舎を造る。選抜して連れてきた兵隊たちは元気がよい。物干し棒で走り高飛びをやってロープを切ってしまったら何処からか年配の女が現れて「そんなに暴れると“撤兵を要求”(エバクノーロバッチ)しますぞ」と睨まれた。
夕方、ボクノフ少佐が来て、紅茶を沸かして雑談する。ソ軍歩哨が少佐と親しいの見て不思議そうな顔をしていた。夜十時、輓馬輜重《ばんばしちょう=馬が引く物品輸送の車(軍隊用語)》が第一回糧秣送致に到着。荷卸し後すぐ夜行軍で引き返す。
有馬兵長ら二十人が石灰山(イズペスコーバヤ)への分遣のため同隊に従う。街の方からダンス音楽が聞こえてきて捕虜の心も温かくなる。
六月一日朝、ボ少佐とクリジャノフスキ大尉が来て、ラーゲリ外柵の位置を指示する。俺たちは結局、動物園の猿かと皮肉ったら少佐は、なに、街のヨタ者(フリガン)除けだよとうまい返事。
事実、この街にいる間、我々は外出自由だったから本音だったかも知れぬ。
暑気の中、昼過ぎ本隊が徒歩で到着。早速幕舎設営。ガレージ跡は洗濯婦を立退かせて歩哨舎《ほしょうしゃ=警備兵の小屋》とする。
二十分ほどたってクーロフ所長が来て、哨舎を柵内に入れるとは怪しからぬ、捕虜は捕虜だけの柵に入れと怒鳴りつける。少佐の指示だと反対したが聞き入れぬ。
衛兵長《警備兵の長》の曹長(スタルシナー)が言う通りにせよと急がせる。折角植えた木柵を抜き始めたら突然ボグノフ少佐の怒声が響いた。見ると、クーロフが直立の姿勢で背の高いボグノフにガンガン怒鳴りつけられている。結局、柵は元通りに。
暴君クーロフが惨々やられたので我々は手を叩かんばかりに喜んだ。ラーゲリ内は木造ガレージを哨舎、クーロフ宅、炊事場に区分、厩の半分とボロ倉庫を補修して糧株庫とする。
バンプーロポ駅-スラビヤンカ間の糧株輸送は一日二往復であと四、五日かかる。バンプには田中主計と将校当番の高橋兵長が残って糧秣管理記録を作成。
塗装に五人の要求があったので一緒に行ってみた。ラーゲリの東五十米に本通りがあり、人の往来もある。日本人が珍しいようで、立ち止まって眺めているのもいる。しかし侮蔑の眼差しではなく、皆親しみを込めた笑顔だ。
ヤボン《日本人》と叫んだ子供に「いけません。ジャージャ(小父さん)と言いなさい」とたしなめている母親もいた。
我々を日本から来た季節労働者のように感じているらしい。作業は海岸通りの縫製所隣の軍人官舎。壁に白い石灰を塗る単純作業。これならだれでもマリヤール(塗装工)で通る。
住人の黒肩章の中尉は日本語が話せるゲペウだ。警戒を要する。
「君はロシヤ語ができるか」と尋ねるので少々やる。哈爾浜学院の学生だったと言うと、彼はニヤリとして「少しじゃないだろう。ヨシムラをよく知っているよ」という。吉村氏は一期上で哈爾浜のミッシャの将校らしい。
このゲペ《ゲペウ=ソ連代表部警視庁》は我々がスラビヤンカにいた間、毎月一回ラーゲリに現れて、我々の前歴を繰返し訊く。前後にアヤフヤなところがあれば疑われるので要注意。
官舎の電灯は日本製で、紐を引いて点滅させるのが珍しいらしい。文明の利器の恩恵には浴していない連中が、思想は世界に冠たるものと自負しているのだから変な話だ。
もう二人増加することになりラーゲリへ行くのに護送兵(カンポイ)を要求したら、彼らは驚いた様子で「君一人でいけばいいじゃないか。カンポイなどいらぬ。
スラビヤンカの街は何処へ行ってもいいぜ。良い娘がいたらよろしくやるさ」という。周りにいたおかみさんや娘たちがどっと笑う。捕虜の身ではスラビヤンカはよい所だ。大いに解放された気分で一人で街を通って帰る。
国情は違っても普通の人たちは人の良いロシヤ人である。
(つづく)
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あんみつ姫