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Re: イレギュラー虜囚記(その3)

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あんみつ姫

通常 Re: イレギュラー虜囚記(その3)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/12/18 17:19
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
    あとがき

 ここまでで私の手記は終っている。
スラビヤンカ以降は記録するほどのものはなく、私自身も未帰還のスラビヤンカ組の人々で住所を覚えている先への状況報告や留守家族への直接訪問、GHQの情報聴取で東京への呼出し、入社試験準備などに追われ、再び筆を執る気もなくなつた。

 スラビヤンカ組は、シマコフカ(輿凱湖東方)の労働大隊へ吸収され、草刈り、乾草作りが終った十一月末、大隊が二分されて、伊藤は浦塩へ、私はウスリースク(当時はウオロシーロフ)と綏芬河の中間ヴオズビジュンカの飛行場の建築作業に回された。

此処でも翌二十三年の四月頃までは比較的のんびりした生活だったが、五月に入って、ソ側から、尋常小学六年で教育の終った元気で真面目な兵隊を選べと言われ、嫌がるのを一ケ月勉強で楽が出来るらしいから行けと勧めて六人抽出した。

この連中が一ケ月後帰隊したら「将校は天皇の手先だ!」「南京虫岩本少尉を吊しあげろ!」などなど吃驚するような大ビラを垂らして、以前から我々でもどうかと感じていた要領のいい将校連を順番に大衆吊し上げにしてラーゲリ内の指導権を振った。

このラーゲリで初めて家郷通信が出来た。「日本新聞」も定時に読んで徳球やら山宣、渡政らヤクザの親分のように日共幹部を呼ぶことも知った。

 五月中旬、年配者、虚弱者五十人のダモイがあり、スラビヤンカ組の炊事係大石兵長(日産火災人事課長で応召、同社社長を経て会長の昭和四十一年に病死)を責任者とした。
スラ組では最も早いダモイであった。

我々将校はラーゲリを出てコルホーズ作業隊を作った。コルホーズの一般ロシヤ人と親しくなり出した七月初め、ロシヤ語と学院出という前歴からか、いわゆる前歴者八人が浦塩の東、アルテョム炭鉱ラーゲリに移され、十六期の堀内さん、二十二期の原田君と一緒になったが、一ケ月くらいで将校だけ更に東のスーチャン炭鉱ラーゲリに移された。

此処で十六期の森さん、十九期の鷲頭さん、二十期の永田さんと同部屋同ベットになった。先輩諸公は豚の尻尾みたいなつまらんペレボッチクなどやれるかと将校労働組におられた。
流石と思った。

炭坑夫の日などの記念日の所長の演説など複雑なものだけ堀内さんが担当された。ラーゲリ本部の日常業務は片言ロシヤ語で通じるし、学院生は誰もいなかったと思う。
労働しない将校組の長は参謀肩章の長命中佐。将校約二百人ほど、学院の下級生が二、三混っていたようだ。

 十月中旬コルホーズで作業していたら歩哨が来て人名を読み上げラーゲリに戻され、ダモイ組に入れられた。労働組、不就労組半々の三百人の将校団。学院生では堀内さんと私二人だけ。
後から来て先に帰る形。これもソ連式か。十月二十三日信洋丸で舞鶴上陸。私がスラビヤンカ組ダモイの二番手、あとの人たちは二十四年、二十五年の帰国で伊藤君が一番遅かったと思う。  


   (おわり)

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あんみつ姫

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