@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

Re: イレギュラー虜囚記(その3)

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

あんみつ姫

通常 Re: イレギュラー虜囚記(その3)

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2007/12/16 13:21
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
 当面我々の仕事は、先に派遣した自動車修理工場(レムバーザ)への日勤、共同浴場(バーニヤ)の揚水ポンプ押し(四人一組)、塗装、薪割りなどの臨時仕事と倉庫整理、ラーゲリ設営の継続などで、将校は何もする事がなく、川上隊は藤八拳ばかりやっている。
宿舎は天幕だからヤットイヤットイの掛声がよく聞える。

糧秣輸送が完了してバンプーロボから全員引き揚げてきた。バンプでチモフエーエフ軍医の情婦になったマルーシャも厩小隊の輜重車に便乗してきた。
彼女は我々将校には誰彼の区別なく抱き付いて頬にキスする。うっかり出来ない。

大井軍医中尉は穏やかな中年紳士で頬被りして逃げ回るのでマルーシャが面白がって追い回す。ラーゲリ中大笑い。
時々朝早く来て幕舎で寝ている連中を庄えつける。一度作業巡回から返って来たら、いきなり抱きすくめられて大相撲になつた。

腕力は強いし、体重はあるし、負けると恰好がつかないので振り切るのに苦労した。日本人が気味悪がって逃げ回るのが余程面白いらしい。
マルーシャは結局チモフエを振って、司令部の中尉にくっついたが、裏切られてソ連版お定事件を起し、十年の懲役刑で姿を消した。

 ラーゲリがそれらしくなってくると、病院の洗濯婦を移さねばならぬ。クリジャノフスキ大尉が交渉を始めたが、猛反撃を喰って手の下しようがない。
結局、司令部へ泣き付いて病院の一室にお移り願った。

ロシヤバーバ《ロシアのおばさん》の強いこと。ラーゲリの北隣に老夫婦が住んでいて、飼っている十羽の鷲鳥がラーゲリを飯場と犬除けにして歩き回っている。夕方になると婆さんが良い声でグーシエエーと叫び集める。

我々はグシュ婆さんと呼んでいたが、何でもウクライナ方面から移って来て、日本軍の進攻があったらその機にアメリカヘ脱出する積りだったらしく、お前さんらが負けて計画が潰れたとこぼしていた。

スラビヤンカの年寄り連中は概してざっくばらんで、日本軍のシベリヤ出兵《注》についても別に文句はなく、逆に、軍医さんに世話になったとか、脚に弾丸が当たったが、禁止区域を横切った自分が悪かったとか言っている。
あの頃の日本軍は皆がっちりしていたのに何故お前らはヒョロヒョロしているのかと訊く。捕虜だと言ったら、へえ、捕虜かと驚いている。

街角にスターリンが手を伸ばして、国債を買おうと呼びかけている大ポスターを婆さん二人が見ていて、我々にほら、スターリンが身ぐるみ差し出せと言ってるよと笑いかける。大丈夫かと心配になる程だ。

縫製所に並んで、小さい大工小屋があり、爺さん一人でコツコツ仕事をしている。棺桶と赤い星をくつつけた卒塔婆を作っていたので、十字架は作らんのかと聞いたらコムニスト《共産主義者》はこんな物しか作らせないよとブツブツ。

コムニストのおかげで病院、大学まで無料になったろと打診したら、グラウンドでボールを蹴っている若者たちを指差して、あれは司令部の高級将校の息子たち。
俺の息子は家族のために働きに出ている。大学が無料でも行かせられぬ。貧乏人はどっちにしても貧乏人だよと諦めている。

コルホーズ《ソ連の集団農場》の年寄り連に言わせると、昔は小作だったが、地主の仕事が済めば自由に自分の牛馬の草刈りが出来た。今草刈りをやろうものなら、エライ人が来て国家のものを勝手に取り込むなとやられるよと肩をすくめる。
ソビエト連邦の底の底が分かってくるようで楽しみが出てきた。

中にはソビエト自慢の爺さんもいるが、何処で手に入れたか、日本製らしいガラス切りを一本持っていて、これがあるだけでガラス屋としてのんびり暮らせると片目をつぶるから本心は分からぬ。

この爺いはソビエトの医者は、指が痛いと言えば指を切り、手が痛けりや手首を切り落し、頭が痛いとすぐさま首をちょん切ると指で首筋を叩いて笑わせる。

 畑にいた爺さんに、スターリンのおかげで暮らしが良くなったかと聞いてみたら、土くれを指差して、これと同じ。大き過ぎる。細かく壊さなきや邪魔になると皮肉ったあとこんな話もあると教えてくれた。
戦時中に飛行機の国防献金に応じた男が、戦後、不正をしない限りそんな大金があるはずはないと引っ捕らえられたとか。

 ソビエト政権が出来た頃のこの辺りの様子は、西の方で何だか騒ぎがあり、或日、ソビエトが出来たと張出しがあって、ああそうかという具合だつたとか。シベリヤの東の果ての更に南のどん詰まりでは、こんな程度だったようだ。
いずれにしても社会階層の場合の端末の端末ではソビエトは人気薄だ。

 スラビヤンカの海岸は何の設備もなく、砂浜だけだが、時々我々も加わって地引網を曳く。網が絞られて小魚が光る頃を見計らって各家からバケツを持って勝手に魚をすくってゆく。
「働かざる者は食うべからずだろう」と言ったら「働いても食えないよ」と笑わせた。

                             (つづく)

注 大正7年 ロシア革命後の混乱期に 治安維持等の為 東部シベリアに米、英、仏の要請により 共同出兵をした

--
あんみつ姫

  条件検索へ