アジア鎮魂の旅・その4
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アジア鎮魂の旅 (編集者, 2008/4/11 7:26)
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- アジア鎮魂の旅・その13 (編集者, 2008/5/16 9:04)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
連合軍による検問
クルアン駅から凡そ1㌔位は有ったであろうか?記憶は定かではないが広大な椰子林の中を徒歩で、凡そ1時間歩いたところが今晩の 幕舎設営地であり、なんと我々が一番恐怖心を抱いていた「 クルアン検問所 」の所在地である。其の敷地の中には 数も分からない程のホワイトキャンプとブラックキャンプが整然と建ち並んでいたが 個人別に行なわれる検問に於いて戦争犯罪人と疑わしき者はブラックキャンプに収容され、問題無しとl認定された者は、この検問が済み次第ホワイトキャンプに一泊し 翌朝の列車でシンガポールに行く事だけは知らされていた。
又 敷地内の一角には駅の改札口を想像するような通用口があり、此処で 個人の持ち物の検査が行われるのであるが、伝え聞くところに依ると貴重品などは殆ど没収されてしまうらしい・・・・との事であり 我々初年兵では そんな貴重品が有る筈も無い。
然し私の場合は シンガポールに赴任して来た時 記念に購入したウオルサムの時計だけが貴重品として持っていので 「どうせ没収されるなら・・・・・・」 と石で叩き潰して小川に投げ捨ててしまった。
意外にも簡単に通過した所持品の検査に続き 次が本番の検問であり、同一敷地内にあるバラックの二階建て建物・・・ 其処が、恐れていた検問の部屋で 外側に取り付けられていた鉄製の階段を呼ばれる順に昇る足取りは如何にも重そうに見えた。
私はこんな時ほど元気いっぱいの言動で対応する覚悟を決めていたので、二階の踊り場前で先ず 官、姓名を名乗り、入室すると同時に椅子を進められ、一寸落ち着いた気持ちで尋問に答える事が出来た。
どうせ初年兵で 職務は無線通信手 更に また5発貰った騎兵銃の弾丸を1発も発射した事さえない我々に一番執拗に聞き質した事は我が国の 連合国側捕虜に関する問題だけであった。
1、捕虜を使った事があるか
2、捕虜を使っている所を見た事があるか
3、何処で見たか
4、其の時捕虜に対して如何なる感情を抱いたか
5、軍隊に入隊前の職業は何であったか
6、今回の戦争についてどんな事を考えているか
等々余り考え込んで返答の出来ない様なものでなく、淡々と答弁でき 此処でも「案ずるより産むは易し」と感じながら、クルアン検問所通過の証としての番号入り紙切れを貰って安堵の胸を撫で下ろした。
* 我々師団通信隊で通過出来なかった者は皆無であった事が尤も幸いであった
我々全員が検問を終了したのは灼熱《しゃくねつ》の太陽が西方の椰子林に沈む頃であったが、全員通過の知らせを聞くまでは 誰一人としてホワイトキャンプに入る者は無く、外で待機していた。 支給された夕食も殆ど手をつけず今日一日を振り返り、各キャンプは談笑する声に沸いていた。 其の時 誰かが厠から帰って来たのであろうか、大声で 「 あの大きな お月様を見ろよ!」と云う声に驚き 我も我もとキャンプから這い出し空を仰いだ。
其の言葉に違わず 日本では 古くから、すすき と団子を飾り祝った中秋の名月であろうか・・・・ 大きな月が椰子林とキャンプを 昼間の様に照らし出していた。
一方ブラックキャンプの方はと見れば 対照的にひっそりと静まりかえり 監視塔の照明ばかりが冷たい光で煌煌《こうこう》と構内全域を照射している。同じ志を持ち 「 国の為 」を合言葉に働き合って来た者同士が今 此処で帰国を認められて喜ぶ者と 懐かしい祖国の光景や家に残る親族の事は勿論 「若しや・・・」と最悪の事々を思って居るであろう人々・・・・、現在黒白の境にいる人生の無常を思う気持が我々の胸にも伝わって来るようで 形容し難い 寂しさを感じざるを得なかった。
暫らく 皆が沈黙していた時何処からのキャンプか分からないが 哀愁を帯びた横笛の音が流れて来た。
曲は 「佐渡おけさ」 「南部牛追い歌」 などの民謡から 「誰か故郷を思わざる」「湖畔の宿」といった歌謡曲へと進み 最後には軍歌となった。「戦友」 「麦と兵隊」になると殆ど全員は涙ぐみ、声を震わしていた・・・・軍人達の士気を鼓舞する為に創った歌詞や曲が之ほど悲しい物である事を改めて知り 夜の耽るのも忘れて歌った。
クルアンの名月の合唱と横笛の音こそ既に60年も前の過ぎ去りし日の事ではあるが、今でも忘れられない。
2006年8月14日 (月) 記
(検問所の情景をを回顧して描いたもの)
クルアン駅から凡そ1㌔位は有ったであろうか?記憶は定かではないが広大な椰子林の中を徒歩で、凡そ1時間歩いたところが今晩の 幕舎設営地であり、なんと我々が一番恐怖心を抱いていた「 クルアン検問所 」の所在地である。其の敷地の中には 数も分からない程のホワイトキャンプとブラックキャンプが整然と建ち並んでいたが 個人別に行なわれる検問に於いて戦争犯罪人と疑わしき者はブラックキャンプに収容され、問題無しとl認定された者は、この検問が済み次第ホワイトキャンプに一泊し 翌朝の列車でシンガポールに行く事だけは知らされていた。
又 敷地内の一角には駅の改札口を想像するような通用口があり、此処で 個人の持ち物の検査が行われるのであるが、伝え聞くところに依ると貴重品などは殆ど没収されてしまうらしい・・・・との事であり 我々初年兵では そんな貴重品が有る筈も無い。
然し私の場合は シンガポールに赴任して来た時 記念に購入したウオルサムの時計だけが貴重品として持っていので 「どうせ没収されるなら・・・・・・」 と石で叩き潰して小川に投げ捨ててしまった。
意外にも簡単に通過した所持品の検査に続き 次が本番の検問であり、同一敷地内にあるバラックの二階建て建物・・・ 其処が、恐れていた検問の部屋で 外側に取り付けられていた鉄製の階段を呼ばれる順に昇る足取りは如何にも重そうに見えた。
私はこんな時ほど元気いっぱいの言動で対応する覚悟を決めていたので、二階の踊り場前で先ず 官、姓名を名乗り、入室すると同時に椅子を進められ、一寸落ち着いた気持ちで尋問に答える事が出来た。
どうせ初年兵で 職務は無線通信手 更に また5発貰った騎兵銃の弾丸を1発も発射した事さえない我々に一番執拗に聞き質した事は我が国の 連合国側捕虜に関する問題だけであった。
1、捕虜を使った事があるか
2、捕虜を使っている所を見た事があるか
3、何処で見たか
4、其の時捕虜に対して如何なる感情を抱いたか
5、軍隊に入隊前の職業は何であったか
6、今回の戦争についてどんな事を考えているか
等々余り考え込んで返答の出来ない様なものでなく、淡々と答弁でき 此処でも「案ずるより産むは易し」と感じながら、クルアン検問所通過の証としての番号入り紙切れを貰って安堵の胸を撫で下ろした。
* 我々師団通信隊で通過出来なかった者は皆無であった事が尤も幸いであった
我々全員が検問を終了したのは灼熱《しゃくねつ》の太陽が西方の椰子林に沈む頃であったが、全員通過の知らせを聞くまでは 誰一人としてホワイトキャンプに入る者は無く、外で待機していた。 支給された夕食も殆ど手をつけず今日一日を振り返り、各キャンプは談笑する声に沸いていた。 其の時 誰かが厠から帰って来たのであろうか、大声で 「 あの大きな お月様を見ろよ!」と云う声に驚き 我も我もとキャンプから這い出し空を仰いだ。
其の言葉に違わず 日本では 古くから、すすき と団子を飾り祝った中秋の名月であろうか・・・・ 大きな月が椰子林とキャンプを 昼間の様に照らし出していた。
一方ブラックキャンプの方はと見れば 対照的にひっそりと静まりかえり 監視塔の照明ばかりが冷たい光で煌煌《こうこう》と構内全域を照射している。同じ志を持ち 「 国の為 」を合言葉に働き合って来た者同士が今 此処で帰国を認められて喜ぶ者と 懐かしい祖国の光景や家に残る親族の事は勿論 「若しや・・・」と最悪の事々を思って居るであろう人々・・・・、現在黒白の境にいる人生の無常を思う気持が我々の胸にも伝わって来るようで 形容し難い 寂しさを感じざるを得なかった。
暫らく 皆が沈黙していた時何処からのキャンプか分からないが 哀愁を帯びた横笛の音が流れて来た。
曲は 「佐渡おけさ」 「南部牛追い歌」 などの民謡から 「誰か故郷を思わざる」「湖畔の宿」といった歌謡曲へと進み 最後には軍歌となった。「戦友」 「麦と兵隊」になると殆ど全員は涙ぐみ、声を震わしていた・・・・軍人達の士気を鼓舞する為に創った歌詞や曲が之ほど悲しい物である事を改めて知り 夜の耽るのも忘れて歌った。
クルアンの名月の合唱と横笛の音こそ既に60年も前の過ぎ去りし日の事ではあるが、今でも忘れられない。
2006年8月14日 (月) 記
(検問所の情景をを回顧して描いたもの)