アジア鎮魂の旅・その10
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アジア鎮魂の旅 (編集者, 2008/4/11 7:26)
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アジア鎮魂の旅・その2 (編集者, 2008/4/13 8:58)
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アジア鎮魂の旅・その3 (編集者, 2008/4/14 8:18)
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アジア鎮魂の旅・その11 (編集者, 2008/4/30 8:15)
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アジア鎮魂の旅・その12 (編集者, 2008/5/3 7:59)
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アジア鎮魂の旅・その13 (編集者, 2008/5/16 9:04)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298

漁労班の活躍で大漁に沸く
相変らずの食糧難と栄養失調状態でも港での重労働の日々は続いた。使役の当番に当たった我々の行く先は、千鳥港か宝港であるが、其の近辺に行くと側溝<そっこう>のついた道路があり又 丸太を組み合わせて建てた二階建ての家までが並び、多根から来た我々は町にでも来た様な錯覚さえ覚えたものである。 支給される以外の食糧と言えばは蕨<わらび>やぜんまい 等 野草類であるが、之とても全員に行き渡る程は無く、毎日が空腹の連続であった。 したがって内地の野草に似ていると言って食べた為に腹痛を起こした、と いった食べ物に関わる苦労と失敗談は枚挙<まいきょ>に暇<いとま>ないほどあり、私自身も大きな失敗をしてしまった。 それは、空腹の腹を鳴らしながら海岸端を歩いていて眼にした物は、海中にタコ足の様に根を張っているマングロープの木に ぶら下っている実が内地で見る藤の実と同じであり、其れを捥ぎ取って皮を剥くと緑色の柔らかく美味そうな豆が出てきた。
「これこれ!」 と一人ほくそ笑みながら 5~6本持ち帰り飯盒で茹でて食べたところ就寝近くなった頃、急激に腹痛をおこし、仲間に話す事も出来ず 痛みを堪えて朝の来るのを待った。 幸いに腹痛は治まったものの便通が止ってしまい腹は ぱんぱん に成ったまま三日過ぎても強度な便秘は回復せず苦しみ、考えた末、皆が眼を覚ます前の暗い中を 敷き草の床からコッソリ外に出て海に直行した、其れは海中に飛び込み塩水で浣腸しつつ取り出すという作業を始めたのです。
然し之は難行苦行の仕事であって、南国でありながらも体温は下がり震えながら時間ばかりが過ぎてゆく、次第に夜は白々明け始めて見ると あっち、こっち で同様の作業をしている者がいるのには驚いた。 辛うじて目的は達成したものの、聞けば皆マングロープの実による災難であり、大笑いの、話の種と成ってしまった。
其の後、 「マングロープの実やゴムの木の新芽等を食べて命を落とした者が居る。」という噂を聞いて身震いする思いであった。
レンパン島の遠浅の海は潮の満干の差が1メートル以上も有ったので、栄養源を確保するために、干満の差を利用した魚柵<ぎょさく>による漁法を考案した。之は四国で漁師の経験があるN君の発案であり、魚網をはじめ漁具とて何一つ無いため、ジャングルから伐採して来た木の枝を縫い合わせそれを海岸から沖に向かって凡そ100メーターくらい 逆V字型に巡らし、満ち潮に乗って岸に向かって来た魚が引き潮になって逃げられずにいるところを捕まえるという甚だ原始的な方法であったが、これによって鯛、さより、いか、熱帯魚などを沢山捕獲する事が出来、時には サメやエイなども捕れ 、魚柵の改良や、増設によって漁獲量が増加してくると、次は魚の保存方法に頭を悩ませた結果 先ずは「潮干魚」にする事を決めたが、その前段として塩の製造を如何するかが検討され始めた。
ドラム缶を二つ切りにした釜を海岸端に石積みした炉の上に固定し、日夜交替で潮を汲み之を煮詰めるという作業を続けたが、其の製品たるや色は黒いうえに苦くて とても食用に成る様な物ではなかった。
大勢の中には物知りの人も多く、千鳥港へ使役に行った時 誰かに この苦くて黒い塩の話をし、塩造りに関する教えをうけた結果の話に依れば、ニガリの為であり、そのニガリを除く方法として、「 沸騰中の釜の中に缶詰の空き缶を吊るして置くことだ 」との説明である。 全く理屈も理解できないまま 説明通りに実行し、結晶した塩に井戸水を加えて更に結晶するまで火を焚き続けた結果、半信半疑ではあったが、成る程純白の塩が出来上がった。 之で多根村における塩干魚作りは軌道に乗ったが、それにしても漁労班の活躍は島を去るまで続けられ栄養失調に悩む我々の体力維持に多大な貢献をしてくれた。

( レンパン島の南海岸 )
2006年8月26日 (土)
相変らずの食糧難と栄養失調状態でも港での重労働の日々は続いた。使役の当番に当たった我々の行く先は、千鳥港か宝港であるが、其の近辺に行くと側溝<そっこう>のついた道路があり又 丸太を組み合わせて建てた二階建ての家までが並び、多根から来た我々は町にでも来た様な錯覚さえ覚えたものである。 支給される以外の食糧と言えばは蕨<わらび>やぜんまい 等 野草類であるが、之とても全員に行き渡る程は無く、毎日が空腹の連続であった。 したがって内地の野草に似ていると言って食べた為に腹痛を起こした、と いった食べ物に関わる苦労と失敗談は枚挙<まいきょ>に暇<いとま>ないほどあり、私自身も大きな失敗をしてしまった。 それは、空腹の腹を鳴らしながら海岸端を歩いていて眼にした物は、海中にタコ足の様に根を張っているマングロープの木に ぶら下っている実が内地で見る藤の実と同じであり、其れを捥ぎ取って皮を剥くと緑色の柔らかく美味そうな豆が出てきた。
「これこれ!」 と一人ほくそ笑みながら 5~6本持ち帰り飯盒で茹でて食べたところ就寝近くなった頃、急激に腹痛をおこし、仲間に話す事も出来ず 痛みを堪えて朝の来るのを待った。 幸いに腹痛は治まったものの便通が止ってしまい腹は ぱんぱん に成ったまま三日過ぎても強度な便秘は回復せず苦しみ、考えた末、皆が眼を覚ます前の暗い中を 敷き草の床からコッソリ外に出て海に直行した、其れは海中に飛び込み塩水で浣腸しつつ取り出すという作業を始めたのです。
然し之は難行苦行の仕事であって、南国でありながらも体温は下がり震えながら時間ばかりが過ぎてゆく、次第に夜は白々明け始めて見ると あっち、こっち で同様の作業をしている者がいるのには驚いた。 辛うじて目的は達成したものの、聞けば皆マングロープの実による災難であり、大笑いの、話の種と成ってしまった。
其の後、 「マングロープの実やゴムの木の新芽等を食べて命を落とした者が居る。」という噂を聞いて身震いする思いであった。
レンパン島の遠浅の海は潮の満干の差が1メートル以上も有ったので、栄養源を確保するために、干満の差を利用した魚柵<ぎょさく>による漁法を考案した。之は四国で漁師の経験があるN君の発案であり、魚網をはじめ漁具とて何一つ無いため、ジャングルから伐採して来た木の枝を縫い合わせそれを海岸から沖に向かって凡そ100メーターくらい 逆V字型に巡らし、満ち潮に乗って岸に向かって来た魚が引き潮になって逃げられずにいるところを捕まえるという甚だ原始的な方法であったが、これによって鯛、さより、いか、熱帯魚などを沢山捕獲する事が出来、時には サメやエイなども捕れ 、魚柵の改良や、増設によって漁獲量が増加してくると、次は魚の保存方法に頭を悩ませた結果 先ずは「潮干魚」にする事を決めたが、その前段として塩の製造を如何するかが検討され始めた。
ドラム缶を二つ切りにした釜を海岸端に石積みした炉の上に固定し、日夜交替で潮を汲み之を煮詰めるという作業を続けたが、其の製品たるや色は黒いうえに苦くて とても食用に成る様な物ではなかった。
大勢の中には物知りの人も多く、千鳥港へ使役に行った時 誰かに この苦くて黒い塩の話をし、塩造りに関する教えをうけた結果の話に依れば、ニガリの為であり、そのニガリを除く方法として、「 沸騰中の釜の中に缶詰の空き缶を吊るして置くことだ 」との説明である。 全く理屈も理解できないまま 説明通りに実行し、結晶した塩に井戸水を加えて更に結晶するまで火を焚き続けた結果、半信半疑ではあったが、成る程純白の塩が出来上がった。 之で多根村における塩干魚作りは軌道に乗ったが、それにしても漁労班の活躍は島を去るまで続けられ栄養失調に悩む我々の体力維持に多大な貢献をしてくれた。

( レンパン島の南海岸 )
2006年8月26日 (土)