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特攻インタビュー(第9回)・その4

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通常 特攻インタビュー(第9回)・その4

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/6/27 7:55
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 ◆山本五十六大将からの感状

 -------話は戻りますが、海兵団を出て最初に乗った艦艇は何でしたか?

 海老澤‥駆逐艦「春雨」。昭和14年5月です。当時、「春雨」は連合艦隊第一艦隊第二水雷戦隊に所属していました。私は魚雷発射機員付艦長伝令でしたから、艦橋で勤務するわけです。艦長が、「水雷発射用意!」とか「発射準備!」とか号令を出すと、それを発射管室へ艦内電話で伝えるわけです。

 -------山本五十六連合艦隊司令長官から感状をもらったそうですね

 海老澤‥駆逐艦が集団で訓練した時、その中で一等をとったと思うんですよ。感状をもらった時はそれほどでもありませんでしたが、山本五十六という名前が入っているので、最近はもらっておいてよかったなあと思います。山本長官から賞状をもらったなんて誰も知りませんからね。

 -------山本長官は、その後、昭和18年に戦死します。そのことを聞いた時、どう思いましたか?

 海老澤‥「やられたな」と思いましたね。乗っていた一式陸攻が速度も遅いし、アメリカでは「ライター」と仇名がつくくらいですから、撃てば落ちるというような飛行機に乗って、死の覚悟でブーゲンビル島に行ったんじゃないですか。山本長官は海軍次官の時代から、「1、2年は持つけど、それ以上は持たない。戦争は絶対に反対だ」という精神の持ち主だったでしょう。そういうことも、既に電信兵から聞いていましたからね。仕方がないなと……それほどもガッカリもしませんでしたね。

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