特攻インタビュー(第9回)・その5
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特攻インタビュー(第9回) (編集者, 2013/6/24 8:01)
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編集者
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◆「敵魚雷見ユー!」その時、艦長は。
-------「春雨」の次が水上機母艦「秋津洲」ですね。
海老澤‥春雨」の後、海軍省勤務になって、その後、機雷学校、そして、「秋津洲」乗組みとなりました。まだ、勝ち戦たった昭和17年2月のことです。5月に出航して、サイパン沖でいきなり魚雷攻撃を受けました。私は爆雷投下機長として、後部甲板で見張りをしていたら、艦橋から「魚雷!」という伝令が入りました。すぐ、そちらの方向を見たら、左舷の真横に4本来たんですよ。気がついた時はもう。200~300mくらいですか。避けられる距離じゃなかったんです。
後から、艦橋の様子を聞いたら、艦長がフネを魚雷の方向に向けようとしたらしいです。でも、艦長は、自分では大声で、「取舵一杯!」と言ったつもりなんでしょうけど、魚雷を見て声が出なかったんです。近くの信号兵が、艦長の顔に耳をくっつけるくらい近寄せても聞こえなかったんですって。だから、操舵が1秒か2秒遅れたんじゃないですか。艦長は腰を落として、自ら舵を動かしたそうです。後に艦長は、魚雷が当たったら、もの凄い衝撃が来るから、腰を落としてひざを床につけたと言っていました。とっさにそういう動作に出たと思います。
戦地に行く時でしたから、航空爆弾を満載していましたからね。 一発当たったら、木っ端微塵で轟沈です。ところが、アメリカの潜水艦攻撃も初期の頃ですから、不発の魚雷ばかりを積んでいたんですね。4本が全部、不発で終わって、スクリューをちょっと痛めたくらいですんだんです。まあ、艦長は声が出なかったというけど、私も、同じように声が出ませんでした。
ガダルカナルで勝敗が決まったようなものですよね。ガダルカナルを失わなければ、もう少し戦争は長引いたかもしれない。
ラバウルにいた時は、毎日毎晩、アメリカの爆撃機が空襲に来ました。私は、飛行艇用の機銃、20mmと7・7mmの機銃をもらって、毎日200発以上、撃ちましたね。海軍で一番、機銃を撃った経験があるんじゃないかな。