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特攻インタビュー(第9回)・その9

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通常 特攻インタビュー(第9回)・その9

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/7/2 7:42
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 ◆潜水服は150人に1着 1

 -------海老澤さんも潜水服を着たんですか。

 海老澤‥いや、私は機雷の専門家ですからね。それに、私か特攻隊に赴任した昭和20年6月1日の段階では、兵隊だけはいたけど潜水服も何もないんです。それで毎日、軍需部に行って、懐中電灯がほしいとか、羅針盤がほしいとか、訓練のための用具を集めるのでテンテコ舞いでした。

 -------伏龍隊ではどんな訓練をしたのですか?

 海老澤‥―隊15人が基本なんです。それが10か12隊ほど集まって1個分隊になります。そこに潜水服が一着分しかないんですよ。だから、1日のうち、5分、10分と潜って訓練出来る兵隊と出来ない兵隊に分かれてしまうんです。まず、潜らなければ特攻になりませんから、その準備だけで追われていました。

  
 -------当時の潜水服はどんな感じのものだったのでしょうか?

 海老澤‥潜水服に管を通して、その管に上から空気を送るんですが、この潜水服が重いんです。錘が片足だけで5kgくらいある。両足で10kg。総重量で70kgくらいですからね。海に入るまでは歩くのもままならない。

 だから、15人に対して一着しか用意出来ないから、あとの14人が靴を履かしたり、ズボンをはかしたり、整備をするわけです。日によっては整備だけで終わる人もいるし、潜るのが上手な兵隊は何回でも潜らせるわけです。今思えば、潜る兵隊と整備する兵隊をはっきり分けた方が良かったかもしれません。
  

 -------訓練では船から海中に潜ったそうですが、船にいる指揮官との連絡はどうするんですか?

 海老澤‥綱だけなんですね。船の上で綱を持っている係があって、「上がれ」とか「もっと深く潜れ」とか、簡単な信号だけを綱で送っていたわけです。

 -------海中で100メートルほど歩く訓練だったそうですが、隊員も怖かったでしょうね。

 海老澤‥怖かったでしょうね。あの班で誰々が亡くなったとか、隣りの班で誰々が亡くなったとか、よく耳にしましたからね。俺は潜るのが嫌だって、駄々をこねた兵隊も多かったようです。班長の中には、15人の中から何人か整備担当を選んで、全員が潜らなくてもいいようにした人もいたようです。

 -------伏龍が、もし実戦で使われたらどうなったと思いますか?

 海老澤‥そうですね……。分隊長が予備学生なんです。戦場での体験がない人が上に立っても何も指導出来ませんよね。私みたいに、ラバウルに半年もいて、ガダルカナルにも行って、砲爆撃を毎日、朝昼晩受けて……アメリカはどのくらいの弾薬を使って敵前上陸してくるかを目の当たりにしているんです。ですから……当時は駄目だとは言えない。ただ、命令されたことを忠実に守るより他ないですから。言われた通りに訓練をしましたけど。

 アメリカの敵前上陸なんか、守っている日本車の陣地が息もできないほどの砲爆撃をやって、日本の兵隊がいなくなったという状態になってから上陸してくるわけです。上陸してくれば50mか100m飛ばす火炎放射器で掃討するわけですよ。海岸線100mくらいは全部、砲爆撃して、それから上がっていきますからね。伏龍なんて、攻撃に出る前に吹っ飛ばされちゃいますよ。ラバウルにいた時、ガダルカナルまで行った古い兵隊に聞きましだけど、アメリカが上陸してくる時は、こっちから大砲を撃つことも何も出来ず、引っ込んでいるしか他にないそうです。どうすることも出来ない。ですから、伏龍が実戦に出ても……まあ多少の成功はあっても期待するほどの成果はなかったと思いますね。

 私のように6年も海軍にいると、同年兵かが通信兵、信号兵の幹部でいるわけです。終戦が近いということは電信兵の幹部から耳に入るわけです。で、食事の時間なんかに、「海老澤さん、もう、駄目だね」って言われて。だから、命令通りに訓練して、やるより他にないなと思っておりました。

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