特攻インタビュー(第9回)・その12
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特攻インタビュー(第9回) (編集者, 2013/6/24 8:01)
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編集者
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◆「伏龍会」と「海軍十四徴会」
-------6年間の海軍生活のなかで、海老澤さんが特攻に関わった年月は短いものでしたが、特攻隊の1員だったということは特別な意味を持ちますか?
海老澤‥海軍に6年いて特攻隊だったのは3ヵ月です。同期にも伏龍隊にいた者がいますが、バカバカしいと言って伏龍隊のことなんか無視する者もいます。だけど、誰かが伏龍隊の面倒を見なければならない。だから私か最後まで面倒をみて……面倒をみると言ったら大げさですけど、関係している状態なんですよ。
戦後、「伏龍会」というものがなかったものですから、今から35年前ですかね、朝日新聞に当時、木曜日でしたか、戦友会のことを載せてくれるページがあったんです。それに毎週、「海軍伏龍隊の関係者の方、ご連絡ください」という記事を10年くらい出したんです。それで、一人、二人、三人と連絡が入り、それが300何名になって、「伏龍会」という戦友会を作りました。
今でも「伏龍しか知らないから入れてください」という人がいます。だから、最初は2、3人から始まった会なんです。集まれば、いろいろな話になるんですけど、予科練で三重航空隊に入隊したなんて話が中心になって、伏龍の話は二の次になっちゃうんです。伏龍隊に来た予科練生は三重空出身者が多かったですからね。だから、伏龍しか知らない者は長続きしないです。三重空の戦友会の方が中心になるんですね。
私の同期も、「長門」に乗った……「陸奥」に乗った……「赤城」に乗った……と、いろいろなフネに乗っていますが、同期が集まるのはやはり、この「海軍十四徴会」です。同期の8割が「海軍十四徴会」に集まりますね。「お前、何年兵?」、「十四徴」、「じゃあ同年兵だな。同期の桜だな」という方が話は早い。それだけで親兄弟以上になるんです。
-------「十三徴」、「十四徴」……それだけで、どういう経験をしたかが分かるんですか?
海老澤‥はい。「十四徴」だけで喜びも悲しみも分かるんです。
-------「十四徴」の方も特攻体験者は多いと思うのですが、特攻の体験談をお聞きになったことはありますか?
海老澤‥「十四徴会」には1500人くらいいるんですけど、戦後に聞いた限りでは、特攻にいた人は誰もいないですね。特攻隊でも、庶務とか直接関係のない部署にいた者はいるけど、それは特攻ではないですからね。直接、特攻隊に関係しているのは私だけみたいですね。
-------そうすると、海老澤さんや同期の方は特攻をわりと客観的に評価できると思うのですが、海老澤さんから見て特攻をどうお考えにありますか?
海老澤‥「特攻とはなんぞや」と問われたら「勇敢な人だな」と思いますね。何よりもまず、勇敢だと思います。「特攻」と言えば、「恐怖」を思いますね。「恐ろしい」、「怖い」と。だから、「恐怖」を乗り越えて特攻に出撃した方、亡くなった方は偉いなと思います。