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特攻インタビュー(第9回)・その10

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通常 特攻インタビュー(第9回)・その10

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/7/3 7:29
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 ◆潜水服は150人に1着 2

 -------海老澤さんは先任下士官ですから、隊員に個人的に何かを教えるということはやらなかった?

 海老澤‥個人的に何か教えるとかはしません。言いたいことがあったら、500人なら500人全員を集めるんです。棒機雷の使い方とか、兵器の話は何回かやっています。

 -------回天や震洋など他にいろいろな特攻兵器がありますが、それについては何か?

 海老澤‥戦中は他の部隊との交流がなかったから、全く知りませんでした。入ってくる予科練生も、伏龍が甲種予科練15期、その前の甲14期が震洋、甲13期が回天に行きましたね。回天が出撃した昭和19年10月頃は日本海軍の船もほとんどなくなっていました。でも、士官はかなり生き残っていますからね。何かやらなければならない、何か……ということで、特攻が生まれたと思うんです。飛行機といっても、作ってもガソリンがない、ガソリンがなきや飛ばせませんからね。飛行機以外の特攻兵器で、これはというのは全部やりましたが、今考えると、みんなバカバカしい兵器です。

 -------特攻について何かご意見がありますか?

 海老澤‥私は、伏龍隊に行く前は横須賀防備隊にいました。その教育部隊所属の分隊でしたから練習生の教員をずっとやっていて、はたから見ると呑気な配置だったんです。そういう配置に半年か1年いると、その後、一番危ない所に配置転換されるものなんです。ですから、それで私も特攻隊に行かされたのかなあと思います。もっとも、我々の機雷、掃海、爆雷専門の兵隊が乗るフネは危ないフネばかりなんですよ。駆潜艇とか、駆逐艦とか、海防艦とか……。巡洋艦なんかまず乗りません。今思うと、そういうフネに行かないで伏龍隊だった方がむしろ、良かったのかなあとも思いますし。あと、一旦、そういう危ないフネに乗って生き残っても、士官は必ず、また危険な配置に回されるんです。というのは、艦長、副長など長のつく人は艦と運命を共にせよという指令というか、伝統があるものですから、「なぜ帰ってきた」と言われるんですから。海軍というところは、そういうところもありました。

 -------現在だと、「なぜ、特攻」という疑問が湧きますが、当時は、当たり前という考えがあったのでしょうか?

 海老澤‥ええ。それに特権もあるんです。普通の兵隊が死ぬと階級は一つも上がらない。士官は1階級上がるんです。それが、特攻の名がつけば2階級か3階級上がる。私のように海軍省から特攻隊行きを命じられた者は戦死したら4階級上がるんです。上等下士だと、兵曹長、少尉、中尉、大尉……つまり、「海軍伏龍隊、海軍大尉・海老滓善佐雄」になるんです。妻も海軍大尉の恩給がもらえる。だから、戦後、苦しいことがあると、「ああ、特攻で死んだ方が良かったかなあ」と思うときもありました(笑)。

 私は早くに所帯を持っていましたからね。戦争中に子供もいましたから……。当時のご婦人方は偉いと思いますね。私か特攻隊員だった時に嫁に来たんですから。死ぬのを分かっていて嫁に来た。今では考えられないですよね。話は飛びますが、伏龍隊の司令部付きの上等下士が昭和20年8月12日に結婚式を挙げたんですよ。考えられます? どうせ死ぬのだから嫁さんをもらって死のうというのか、あるいは、もう少しで戦争が終わると分かっていて結婚したのか、分かりませんが。

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