心のふるさと・村松 第三集 3
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ィ、通信修技
我々十二期になると戦争も急迫を告げていたので、必要最低限のことしか教わらなかったようである。種々の少年通信兵に関する写真集をみると、ごく少人数でタイプライターを使用して受信修技を行なっている風景などがみられるが、我々の場合は、一コ区隊五十有余名を対象に教官(区隊長)又は助教(班長)が発振器によりスピーカーを通じてモールス通信符号を送信するものを習得した。モールス符号については合調音語、即ち、「伊藤」、「路上歩行」、「ハーモニカ」といった形で符号を憶えることはなかった。十一期の場合はイロハ仮名文字も教育されたと聞いているが、我々は軍用略数字だけを一先ず教えられた。軍用通信は四つの数字を一語とし、受信紙は一列十語(四十文字)で五欄あったから全部で二百の数字を送受信することになっていた。この数字に乱数表の数字を第二欄に記入し非加増(つまり次の位へ増加した数字を位上げしない方法)の数字を第三欄に記入する。暗号解読はこの方法で、組立ては逆の方法をとることになっていた。
後に若干仮名符号を教育されたが、合調音語は想像受信を招くということで、似かよった符号を集めて逐次、符号を記憶させる方法がとられた。例えば「イ」、「ウ」、「ク」、「四」とか、「夕」、「ホ」、「ハ」、「六」といった類似符号集合組合法である。スピーカー受信修技から後に受話器着装による受信に変った。これは受話器の配布数が少なかったのか、通信講堂の施設が充分でなかったのか一応の受信技倆の向上をまってかは不明である。ただ誤字については減点が厳しく、一誤字につきマイナス十点、脱字はマイナス二点位であるから、誤字が十個出れば採点評価は○(零)点ということになる。クラスでプラス点をとる者は数人にも満たなかったようだ。マイナス二百点位でもましな方で、一つの符号にこだわって誤字脱字が続出すれば採点不能の烙印を押されることは初期の頃はざらにあった。
送受信修技で、最初は受信から初められたと思うが、電鍵が各人に交付され、助教の発声で、一斉に行なった記憶は鮮明である。送信枝術について、当時、逓信省、逓信講習所では「按下式」という方法がとられていた。これは長符号の場合に、指先きで電鍵のツマミを押えるが、同時に手首も下部へ下ったままで押える方法をいう。これに対し、我々の習った方法は「反撥式」といって、指先きでツマミを押えながら、既に手首は元の正常の位置に復元している状態に戻すやり方である。理由は按下式であると、無線の場合、符号が明確に切れず、ネバつくためと聞いた。しかし、通信速度は按下式の方が速かったようだ。送信試験は印字機で行われるが、「初め」の号令がかかるまで胸が鼓動し、緊張の余り、手首が震えることがしばしばあった。その為に、入浴の際によく手首を振り、もむことを常に教官からいわれたものである。十一期の場合、通信修技の技倆の差からランク別に甲、乙、丙、丁と分かれ、それに応じて 特修が行なわれたようである。