心のふるさと・村松 第三集 6
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二、繰上げ卒業生の出陣と遭難
而して、昭和十九年十一月、このようにして訓練に励んでいた十一期生八百名の中の三百四十七名に対し、突如繰上げ卒業と、うち三百十五名の南方戦線行きが命令されます。
即ち、その頃、既に米軍はサイパン島を攻略し日本本土空襲の地固めを終えると共に、次の攻撃目標を日本の兵站基地であるフィリピンに絞っていましたが、このため彼らは、これより二年七か月前、「アイ シャル リターン」(私は必ず戻ってくる)の言葉を残してコレヒドール島から脱出していったダグラス・マッカーサーに、二十万余の大軍を与え、「名誉を挽回せよ」とばかりにレイテ島に向かわせたのです。其処で、こうした情報を察知した我が大本営は「レイテの戦いこそ今次大戦の雌雄を決する天王山になるに違いない」と判断し、同島で苦戦中だった我が軍を助けるため、当時、満州に温存していた百万と云われた関東軍からの大量抽出と、そのレイテ投入を決め、その作戦の一環として少年兵に対しても、成績が優秀で当面の戦力になり得ると思われる十一期生の約半数の者に繰上げ卒業と南方戦線行きを命じた訳です。で、此処で注目すべきは、前章で小林龍馬氏が、その冒頭で「少年通信兵の在籍期間は通常二か年で、第一年は基礎課程で通信技術や機器の取扱いを学び、第二年に入って初めて実戦に即した諸々の野外訓練等を学ぶことになっている」と述べている点で、これからすると、本来の修学期間を半分の一年、正確に言うと十一か月に削減されて出陣して行った十一期生は、殆ど実戦の訓練を受ける間もなく戦場に向かったことになります。
其処で本章では、先ず(大口)が先に「村松萬葉」誌に寄稿した「村松の庭訓を胸に散華した少年たち」を取り上げると共に、其処に出て来る輸送途上に於ける遭難と「生き地獄」と云われたルソン島の状況について、夫々十一期生の北川武男氏と杉原正雄氏の文章を載せ、更に、こうして出陣していった三百十五名が最終的にどうなったかを、十二期の佐藤嘉道氏の調査結果で見てみる事にしました。