心のふるさと・村松 第三集 5
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編集者
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(二)、村松少通校に於ける主要行事
東京少通校の状況は不詳であるが、村松の場合は専ら電信聯隊・軍通信要員三コ中隊(十一期は一中隊から三中隊、十二期は五中隊から七中隊)約六百余名と師団通信隊要員(四中隊と八中隊)約二百名(期毎に)が訓育養成された。したがって器材取扱いも初期は三号甲で教育を受けたが、後には軍通と師通に分かれたから、軍通要員は主として二号乙の取扱いが中心となった。ただ時には無線交信技術習熟の為に九四式五号無線機を用いた場合もある。これは三号甲のより小型のもので、切換えによって無線電話の交信もできた。有線としては九二式電話機や九五式電信機をごく僅か利用したこともあるし、七号無線機は遊泳演習行軍の際に垣間見たことがあっただけである。だから東京少通校で用いられていた大型の対空一号その他は若干器数は通信講堂に置かれていたが、取扱いそのものは末教習であった。
以下、村松少通校の略年表を掲載するので、参考にして頂きたい。ただ、特定中隊、特定区隊の日誌を基に作成したから、若干の差異があり、一般的でないかも知れないが、学校全体の行事は共通していると考えられる。
(注) 因みに、小林氏は四頁で「生徒の外出制限区域などを記述した本のことに触れていますが、これは本誌・第二集の末尾に添付した「生徒心得」にあたるものかと思われます。
村松少通校・略年表
昭和一八・一〇・一~二〇・八・二九年
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