紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡--
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紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡-- (編集者, 2009/1/2 8:08)
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投稿日時 2009/1/2 8:08
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
スタッフより
この記録は、ぱらむさんよりお送りいただきました。
日本基督教団出版局(03-3204-0422)発行の「紅葉の影に」(石浜みかる著)からの部分転載です。
(ご希望の方は出版局へ直接お申し込みください)
なお、部分転載に関しましては、協力者、土岐祐子様(この記録の主人公池田政一様ご息女)より著者のご了解を得ていただきました。
なお、この仮名付け及び注記(オレンジ色の文字)は、原文あったものではなく、メロウ伝承館のスタッフにより付記させていただいたものです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第1章・2
検挙………………………………・一九四三年
翌四三年四月七日未明、教会堂とつづく牧師館の外で、複数の人の靴音がした。政一はすぐ目覚めた。二階の八畳で親子五人が寝ていた。
覚めると同時に、階下のガラス戸を強く叩く音がした。
「池田さんッ、池田さんッ」
と威圧的な声がつづいた。政一は布団のなかで、「やっぱり、来たか」と思った。
というのはその前日、裏庭でいつものように薪割りをしていたら、宮下という刑事が所在を確認に来たのだ。彼は特高課刑事で、しばらく前から政一の監視役をしていた。特別なにを喋(しゃべ)るというのではなく、ただ「こんにちは」という程度だった。彼の妻は産婆《さんば=助産婦》で、信徒の桂川美代の子どもを取り上げたという縁を使って近付いてきていた。しかもその前々日に、桂川が教会員の名簿から自分の名前を削除してくれと、言いにきていた。
桂川は家人から、「教会へ出入りするのはやめろ」と言われつづけていたが踏み留まっていた。むつみのつわりのひどいときに、毎朝のように弁当の差し入れをしてくれた人だった。ときには鮭の切身も入っていて、政一が「わあ、鮭だぁ。うまそうだなぁ」と言うと、「先生のじゃありませんよ」と姉のようにたしなめたりしていた。すでに信徒数は激減し、求道者はほぼ皆無だった。礼拝に参加するのも二、三人になっていたから、政一が、「どうしてですか。そんなことは言わないで」と頼むと、桂川はそれ以上は何も言わずに帰ったのだった。
やはり来たのだ。
政一は起き上がって寝巻きの上に羽織をひっかけて階下におり、ガラスの引き戸を開けた。五、六人の黒い影が立っていた。地面には春の雪が白く積もっていた。全員私服だった。ぐるりと広がって、囲んでいた。
責任者が一枚の紙片を政一につきつけて、早口で言った。
「拘引状です。お支度を願います」
それを合図に、待機していた刑事たちが一斉に、政一を押しのけるようにドヤドヤッと室内に入った。
父親について眠い目をこすりながら階下におりた祐子が、見知らぬ大人たちが二階にあがっていくのをびっくりして見ていた。すぐに家族全員が起きた。
家宅捜索は徹底していた。台所、居間、二階、押し入れ。むつみのタンスの中も全部ひっくり返した。牧師館から教会堂に通じる戸をあけ会堂内も隅々まで、片っ端から捜査していった。
蔵書は、宗教関係文献は言うに及ばず文学全集にいたるまでほとんど押収された。何冊あっただろうか。本棚を買いたす経済上のゆとりはなかったので、リンゴ箱に紙をはって本箱にして、二階の壁面に積み上げてあったが押収した本を運ぶために、そのリンゴ箱が使われた。
政一は和服に着替え、袴をつけ、彼らの仕事が済むのを待った。
手紙や書類、教会日誌、会計簿、日曜学校の献金もリヤカーに積まれた。リヤカーは用意してあった。一人が引いて、二人が後ろから押した。
残りの者たちは、唐傘(からかさ)をさす政一をはさむようにして、下諏訪分署に向かった。
むつみはまだ一歳の礼子を抱き、会堂の濡《ぬ》れ縁から不安げなまなざしで夫を見送っていた。妊娠四か月の不安定な時期だった。長男の大作は小学校三年生になったばかりだった。健気(けなげ)に顔をひきしめて瞬きもせず父を見つめていた。三歳の祐子は母親の着物に顔をくつつけて、大きな目を見開いていた。
小雪のちらつくなか、濡れ縁にうずくまった家族の姿は、振り向いた政一の心に焼きついた。
近所の人が戸口や窓越しにそっと覗(のぞ)いているのがわかった。
この記録は、ぱらむさんよりお送りいただきました。
日本基督教団出版局(03-3204-0422)発行の「紅葉の影に」(石浜みかる著)からの部分転載です。
(ご希望の方は出版局へ直接お申し込みください)
なお、部分転載に関しましては、協力者、土岐祐子様(この記録の主人公池田政一様ご息女)より著者のご了解を得ていただきました。
なお、この仮名付け及び注記(オレンジ色の文字)は、原文あったものではなく、メロウ伝承館のスタッフにより付記させていただいたものです。
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第1章・2
検挙………………………………・一九四三年
翌四三年四月七日未明、教会堂とつづく牧師館の外で、複数の人の靴音がした。政一はすぐ目覚めた。二階の八畳で親子五人が寝ていた。
覚めると同時に、階下のガラス戸を強く叩く音がした。
「池田さんッ、池田さんッ」
と威圧的な声がつづいた。政一は布団のなかで、「やっぱり、来たか」と思った。
というのはその前日、裏庭でいつものように薪割りをしていたら、宮下という刑事が所在を確認に来たのだ。彼は特高課刑事で、しばらく前から政一の監視役をしていた。特別なにを喋(しゃべ)るというのではなく、ただ「こんにちは」という程度だった。彼の妻は産婆《さんば=助産婦》で、信徒の桂川美代の子どもを取り上げたという縁を使って近付いてきていた。しかもその前々日に、桂川が教会員の名簿から自分の名前を削除してくれと、言いにきていた。
桂川は家人から、「教会へ出入りするのはやめろ」と言われつづけていたが踏み留まっていた。むつみのつわりのひどいときに、毎朝のように弁当の差し入れをしてくれた人だった。ときには鮭の切身も入っていて、政一が「わあ、鮭だぁ。うまそうだなぁ」と言うと、「先生のじゃありませんよ」と姉のようにたしなめたりしていた。すでに信徒数は激減し、求道者はほぼ皆無だった。礼拝に参加するのも二、三人になっていたから、政一が、「どうしてですか。そんなことは言わないで」と頼むと、桂川はそれ以上は何も言わずに帰ったのだった。
やはり来たのだ。
政一は起き上がって寝巻きの上に羽織をひっかけて階下におり、ガラスの引き戸を開けた。五、六人の黒い影が立っていた。地面には春の雪が白く積もっていた。全員私服だった。ぐるりと広がって、囲んでいた。
責任者が一枚の紙片を政一につきつけて、早口で言った。
「拘引状です。お支度を願います」
それを合図に、待機していた刑事たちが一斉に、政一を押しのけるようにドヤドヤッと室内に入った。
父親について眠い目をこすりながら階下におりた祐子が、見知らぬ大人たちが二階にあがっていくのをびっくりして見ていた。すぐに家族全員が起きた。
家宅捜索は徹底していた。台所、居間、二階、押し入れ。むつみのタンスの中も全部ひっくり返した。牧師館から教会堂に通じる戸をあけ会堂内も隅々まで、片っ端から捜査していった。
蔵書は、宗教関係文献は言うに及ばず文学全集にいたるまでほとんど押収された。何冊あっただろうか。本棚を買いたす経済上のゆとりはなかったので、リンゴ箱に紙をはって本箱にして、二階の壁面に積み上げてあったが押収した本を運ぶために、そのリンゴ箱が使われた。
政一は和服に着替え、袴をつけ、彼らの仕事が済むのを待った。
手紙や書類、教会日誌、会計簿、日曜学校の献金もリヤカーに積まれた。リヤカーは用意してあった。一人が引いて、二人が後ろから押した。
残りの者たちは、唐傘(からかさ)をさす政一をはさむようにして、下諏訪分署に向かった。
むつみはまだ一歳の礼子を抱き、会堂の濡《ぬ》れ縁から不安げなまなざしで夫を見送っていた。妊娠四か月の不安定な時期だった。長男の大作は小学校三年生になったばかりだった。健気(けなげ)に顔をひきしめて瞬きもせず父を見つめていた。三歳の祐子は母親の着物に顔をくつつけて、大きな目を見開いていた。
小雪のちらつくなか、濡れ縁にうずくまった家族の姿は、振り向いた政一の心に焼きついた。
近所の人が戸口や窓越しにそっと覗(のぞ)いているのがわかった。
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編集者 (代理投稿)