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紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡・妻は・2

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通常 紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡・妻は・2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/1/14 8:40
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 教会員が、警察にあれこれ教会の事情を尋ねられ、以後一切教会に出入りしてはならないと厳命されたと聞いたのは、数日後だった。信者の出入りはパタリと途絶え、二、三人が、夜、人目をさけて訪ねてくれるばかりだった。温かく言葉を交わしていた近所の人も、挨拶をしてもバツ悪げに視線をさけた。すべてがあっという間の変化だった。

 大作は小学校の三年生になったばかりだったが、父の検挙の当日にもう、「大ちゃんのお母さん、まま母だよ」と今まで言われたことのないことを言われた。遊びに出ると「スパイだぁ!」といじめられ、ときには石を投げられて泣いて帰った。
 祐子のママゴト遊びの仲間は一人も来なくなった。毎日、拾ってきたレンガを無心に石でたたいて赤い粉にしてお茶椀やお皿に盛るという、一人遊びを始めた。突然、孤独な幼児期が始まった。むつみが差し入れのため上諏訪署まで出かけるときは、次女の礼子が眠っていれば、三歳の祐子が留守番さえしたのだった。

そんなときに、 「奥さん、留守にするとき、お子さんはわたしがあずかります。いつでもおいていってください。悪いことをしたのではないから、わたしはいくら調べられてもいいです」
 毅然(きぜん)とそう言ってくれる女性がいた。若い信徒の水沢えい子だった。蕎麦屋を営む家の娘だった。足が不自由でいつも松葉杖を使っていた。つらい経験を乗り越えてきた人だった。力ある者のふるう横暴への恐怖を乗り越えて示される勇気以外、いったいどんな勇気があるといえるのか。生涯忘れえぬ人として、むつみの心に深く残った。

 日本基督教団から、統理者富田満の名で通達が届いた。日付は、四月九日になっていた。

 元日本聖教会及び元きよめ教会派所属の教会及び宗教結社は、今般宗教団体法第十六条及び治安警察法第八条第二項の規定に依り、教会設立認可の取消及び結社禁止の処分を受けたるに付き、処分当時同教会又は宗教結社に在任したる教会主管者及び宗教結社代表の諸氏は、此の際自発的に教師職の辞任を申出られ度し。もし之に応ぜざる場合に於ては、遺憾ながら教団規則第二百四十六条第七号の規定に依り教師の分限を剥奪することと可相成(あいなるべく)に付き、此際可及的速やかに辞表提出有之度(これありたく)此段申入れ候。

 辞任を強要していた。むつみは仕方なく、辞任の書類を作って送った。
 生活費を得るため真綿《まわた=注》のチョッキ作りを覚えて、内職を始めた。諏訪はお蚕(カイコ)仕事の中心地であり、教会の隣の建物も製糸工場だった。チョッキは、真綿をのばして糸状にし、原始的な織機で織っていく。その前に、赤や紫に真綿を染めたりもした。温かい防寒着の無い時代であったから、真綿のチョッキが重宝されていたのだ。
 五月下旬、教団総務局長鈴木浩二の名で、また封書が届いた。辞任者と謹慎中の者への、就職のアンケートであった。

  ---この度文部省の命令により去る四月自発的に辞任したる者及び謹慎中の者につき調査を行うこととなった。別記注意事項参照の上、同封用紙各空欄に記入の上教団事務所宛書留便にて御回答願いたい。
  追伸 今日まで他に就職していない方は、謹慎中の者並に教師復得希望の者といえどもこの際一日も早く国家の要請する方面に御就職され奉公の誠を尽されんことを願いあげる。

 むつみは、はらわたが煮えくりかえるようだった。
 獄中にいる者に就職状況を問い合わせるなど、何事か。「この際一日も早く国家の要請する方面に御就職され奉公の誠を尽されるように」との文面に、「夫は、国家の要請により留置場のなかで御奉公しております」と同封用紙に書きつけたかった。

注 真綿=糸にできない屑繭(くずまゆ)を引き伸ばし乾燥した綿

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編集者 (代理投稿)

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