紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡--2
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紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡-- (編集者, 2009/1/2 8:08)
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編集者
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警察の分署につくと、宮下刑事が来ていた。目が合うと、どうだ、池田、まいったか、という
ようにちょっとあごをあげて、薄笑いをして消えた。
そのとき、政一は満三五歳だった。
「そっちはどうだッ。うまくいったかッ。そうかッ」
検挙の指揮をとったのは、長野県警察本部の特高刑事松沢幸一郎だった。
政一が連行された下諏訪分署にやってきて、電話でてきぱきと連絡をとった。
部屋の隅に座らされていた政一は、電話のやりとりから、神宮字寛造と佐野明治も検挙されたことを知った。長野県には聖教会系の牧師は三人しかいなかった。これで根こそぎだった。しかし正直のところ、状況がわかったとき、政一は内心(おれひとりじゃなかった!)と安堵した。松沢は宗教主任刑事で、その後長い付き合いになった。
しばらくして上諏訪の本署へ移された。古くて頑丈(がんじょう)な建物だった。
着くとすぐ署長室に連れていかれた。
「治安雄持法第七条に依りて、身柄を拘束する」有賀署長はそっけなく告げた。
視線があった。特に印象の強い人ではなかった。
「わたしは、国体に背くようなことはしてはおりません」
と、政一はすぐ言い返した。
すると署長は表情を変えず腰をおろして、手慣れた様子で筆をとると、事務的に文書を作り、政一のほうに向けた。
「そのことについてお取り調べ願います」と、したためてあった。
何だ、この文書は?
政一は治安維持法を詳しく知っていたわけではないが、国体を否定する者を取り締まる法律だとは、十分わかっていた。馬鹿いうんじゃない。わたしは「忠良なる臣民」だ。
しかし署名捺印(しょめいなついん)させられた。朱肉をたっぶりつけ、巡査に指を押さえられた。
署長は巡査に、連れていくように促して、それで終わりだった。
巡査は政一を事務室に近い留置場に入れ、バタンと戸を閉じて、背後で鍵を掛けた。見回すと、トタン張りのそれまで見たこともない奇妙な部屋だった。先客はいなかった。六畳ほどの畳敷きだった。あとで、その部屋は保護室と呼ばれているのを知った。
政一が検挙されたのは痔の手術をして四日目だったので、その晩、自宅の寝具を使用する許可が得られた。政一の牧していた上諏訪の湯の脇教会の西尾という信者が、下諏訪の家から自転車で運んでくれた。
翌日になっても、誰ひとり声をかける者はいなかった。
座りこんで壁にもたれていると、政一の置かれた状況とはまるで無縁の、日常的で平和なコトコトという足音がときどき聞こえるだけだった。たった一つの小さな窓から外を覗くと、スノコ敷きの通路がちょっと離れたところにあって、そこを通る人の足音だった。
二日ほどが過ぎ、ガタゴトガタゴトと多人数の足音がした。小窓から覗くと、顔見知りの人たちが見えた。みんな教会関係者だった。恐らく呼び出されたのだ。厳しく諭されるのだろう。いったい何が語られるのか。自分もすぐにも呼び出されるだろう。あれこれ訊かれるにちがいない。緊張したが、何日経っても、放っておかれた。
保護室にただ座っていると、事務室に近く、電話の声がよく聞こえた。
「……署長さんがちょっとお出かけですので、寒天がほしいんですがね」
そんな電話のあと、茅野《ちの》名物の寒天がさっと届くのが手にとるようにわかった。商人が持ってくるのだ。
「……お宅に、こういう者が今晩泊まっているだろう」
と刑事の声がする。政一も名前を知っている諏訪の旅館に電話をかけているのだ。警察がどのように目を光らせているのか、その内部事情がよくわかった。
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編集者 (代理投稿)