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[No.947]
Re: はじめまして
投稿者:
投稿日:2009/03/05(Thu) 14:04
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>
> 変蝠林さん
何時も大変お元気そうで結構ですね。軍隊ではモンゴルに行かれたとか・・・私は
5年前にモンゴルから研修に来ていた娘さんと東大へ勉強に来ていた女性と二人が一寸した事が縁で招待を受けてフフホトに行き二日間に亘り周辺の各地を案内して貰いましたが 日本人が既に忘れて仕舞っている敬老精神や心からの持て成しを受け、再会を約し、涙ながらの別れをして来ました。大平原の風景とモンゴル人の親切さが忘れられません。
[No.946]
Re: 従軍回顧。
投稿者:
投稿日:2009/03/05(Thu) 13:28
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懐かしい南国の歌 有難う御座いました。最後の抑留の島「レンパン」では藤山一郎さんも同じ抑留の身で よくブンガワンソロ サプタンガン テランブランなど歌いながら故国を偲んだものです。5年前にインドネシアのソロを訪ねソロの流れも見て来ました。 私も5万円の旅行券を貰い九州へのフルムーンの旅をして来ました。あlps1924
[No.945]
Re: 従軍回顧。
投稿者:BUP
投稿日:2009/03/04(Wed) 20:25
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変蝠林(1917-) 大兄殿 & 皆様
> 懐かしい歌の数々ですね。
南方(インドネシア)より復員兵士の皆様向け
懐かしい歌の数々
http://www.youtube.com/watch?v=OCja-5B2yN0
http://www.youtube.com/watch?v=QvOWm6Te0gY
http://www.youtube.com/watch?v=qtikhAyEX0I
http://www.youtube.com/watch?v=N9IyYTv40Rc
(俺は迷わず五万円金券で貰いました)
[No.944]
従軍回顧。
投稿者:
投稿日:2009/03/04(Wed) 16:31
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懐かしい歌の数々ですね。
↓
> http://www.youtube.com/watch?v=LttWQanQtTY
> http://www.youtube.com/watch?v=Iezks1dVVf4
> http://www.youtube.com/watch?v=4u_iVR6pxpY
変蝠林(1917-)
[No.943]
Re: はじめまして
投稿者:BUP
投稿日:2009/03/04(Wed) 10:04
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satyan768様 はじめまして。
貴殿の二式大艇の載ったホームページを拝見させて頂いたことが御座います。
今後とも、ご指導の程、宜しく御願い申し上げます。
厳寒の折から、御身御大切にお過ごし下さい。
私事に亙りますので、以後、メールにての連絡とさせて頂きます。
敬具
[No.942]
Re: はじめまして
投稿者:
投稿日:2009/03/03(Tue) 14:41
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BUPさん 今日は!目黒無線講の同窓生と伺い お見掛けもしない方なのに何故か親近感を覚えます。私の場合は、旧日本航空に入社し東南アジアを主としてシンガポール、マニラ、台北、サイゴン、バンコク、ラングーン、インドネシア各地をまわり最後は、現地入隊の一つ星新兵として3か月過ごし敗戦という惨めな経験をし、最後はインドネシア領の「レンパン島」において凡そ10か月の抑留生活の末復員して来ました。
先週 私のホームページを見て突然昭和15年卒業の方からメールを頂きました。彼は貨物船で活躍され幾度か九死に一生を得た尊い経験の持ち主ですのでメロウクラブに入会を薦めようと思っております。まだまだ無線講卒業者で意気軒昂の方々が居ると思います。今後とも宜しくお願いします。
[No.941]
Re: こんにちは!
投稿者:
投稿日:2009/02/28(Sat) 10:07
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satyanさん
しばらく、お姿を拝見しなかったので、どうしておられるか心配していました。
戻ってきてくださって嬉しいです。
> クラブの皆様こんにちは・・・久し振りで「大正の部屋」を開きましたところ「官立無線電信講習所」の文字が目に入りました。実は私は昭和18年秋に繰り上げ卒業し、直ちに「大日本航空株式会社」に入社しシンガポールをはじめ東南アジア各地を回り無線通信一筋に働きました。
わあ、そうでいらっしゃったのですが。
目下、メロウ伝承館に掲載中の
「村松の庭訓を胸にー平和の礎となった少年通信兵」も
軍の学校で、無線技術の習得に努めた少年たちのお話です。
当時、多くの優秀な少年エンジニアが育てられていたのですね。
そういう方々が、戦後の成長期に「ものづくり」の世界で活躍されたのですね。
[No.939]
Re: こんにちは!
投稿者:
投稿日:2009/02/28(Sat) 06:13
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satyan768 殿
> 苦しい中でも互いに励まし合いながら若き青春の血を沸かせて懸命に働いた時代を語り合う仲間の多くが鬼籍に入り・・・只々冥福を祈るのみです。
残った御仲間を「メロウ倶楽部」に招聘する事に御助力を期待するや切です。
変蝠林(1917-) 拝。
[No.938]
こんにちは!
投稿者:
投稿日:2009/02/27(Fri) 17:26
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クラブの皆様こんにちは・・・久し振りで「大正の部屋」を開きましたところ「官立無線電信講習所」の文字が目に入りました。実は私は昭和18年秋に繰り上げ卒業し、直ちに「大日本航空株式会社」に入社しシンガポールをはじめ東南アジア各地を回り無線通信一筋に働きました。当時日航の無線通信関係の従業員は凡そ250人程度おりましたが、多くの仲間は 殉職、戦死または病死し戦後永く続けて来た「旧大日本航空 通信OB会」も5年程前に解散して仕舞いました。本当に寂しい事です。
苦しい中でも互いに励まし合いながら若き青春の血を沸かせて懸命に働いた時代を語り合う仲間の多くが鬼籍に入り・・・只々冥福を祈るのみです。
[No.937]
Re: 大正ロマン
投稿者:
投稿日:2009/02/19(Thu) 00:00
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唐辛子 紋次郎 さん、ローマンスツリーのみなさん、
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E3%83%87%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC
全ては大正の拾五年間に始り終りました。
変蝠林(1917-) の父と、Y−CAT(1920ー)の父が此の時期に
左翼として活躍、日本社会党の誕生に全財と生命を捧げました。
ロマンスは漸く、其の子女に結実したのです。 嗚呼。
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