大正の部屋  ー温故知新ー 

大正・昭和初期の実体験を 話す・語り合う・聞く・訊く
その時代の伝聞(親・親戚・知人より)を披露し合う
主役は上記時代お生まれの世代ですが、参加は老若広く
詳細は「開設の趣旨」を参照 質問は「問い合わせ」からどうぞ

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  • [No.448] Re: ラジオ体操 投稿者:マーチャン  投稿日:2008/03/23(Sun) 17:58
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    BUPさん

     ありがとうございます。

    > さて、ラヂオ体操、小学生の頃の記憶、昭和7年〜12年頃。
    > 夏休みに「ラヂオ体操」に出席用のスタンプカードを持たされます。
    > クビにブル下げて、ラヂオ体操に行くとスタンプを押してくれます。
    > 夏休みが終わって、カードを先生に提出すると、皆勤賞には、鉛筆とか、ノートとか賞品を頂いた記憶が御座います。

     ところで、これは、学校主催なのですか、それとも町内会みたいなところが主催していたのでしょうか。

    > 今でも、此の団地の中庭で何日かそれと同じ形式でスタンプを貰っている子供さんを見かけております、当時の風習が続いているのでしょう。

     現在のは町内会などがやっているようですね。
     
     それから、日本では職場でも体操の時間を設けているところがかなりありました。
     これも、戦前から続いているのでしょうか。

     あまり外国では見かけない風景と思いますが。

    > さて、だいぶ前の南方戦線の写真、あと何枚か残ってますが、続けて宜しいでしょうか。
    > お伺い致します。

     どうぞ、お願い申し上げます。


    [No.447] Re: ラジオ体操 投稿者:BUP  投稿日:2008/03/23(Sun) 12:50
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    皆様 マーチャンさん 白兎山人さん  こんにちは
    先般、場違いな書き込みをして、削除、ご迷惑をお掛けしました、お詫び。
    さて、ラヂオ体操、小学生の頃の記憶、昭和7年〜12年頃。
    夏休みに「ラヂオ体操」に出席用のスタンプカードを持たされます。
    クビにブル下げて、ラヂオ体操に行くとスタンプを押してくれます。
    夏休みが終わって、カードを先生に提出すると、皆勤賞には、鉛筆とか、ノートとか賞品を頂いた記憶が御座います。
    今でも、此の団地の中庭で何日かそれと同じ形式でスタンプを貰っている子供さんを見かけております、当時の風習が続いているのでしょう。 

    さて、だいぶ前の南方戦線の写真、あと何枚か残ってますが、続けて宜しいでしょうか。
    お伺い致します。
                       BUP


    [No.446] Re: ラジオ体操 投稿者:   投稿日:2008/03/23(Sun) 12:03
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    >  ところで、あの「ラジオ体操」ですが何時ごろから、実際に全国的に普及されていたのでしょうか。
    >  教えてくださいませ。

      検索すると出て来ますから
     ここでは 皆さんの ラジオ体操にまつわる思い出を
     披露していただいては いかがでしょう(^^)


    [No.445] ラジオ体操 投稿者:マーチャン  投稿日:2008/03/23(Sun) 08:06
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    おはようございます

     1935年生まれの私にも、あの江木さんの号令が、まだ耳に残っています。
     なんと、このラジオ体操、1928年からあったのですね。
     当時としてはモダンなピアノの伴奏と、やや軍隊式の号令という取り合わせも面白いですね。

     もとは、1925年にアメリカではじまったようですが、アメリカでは普及せず、日本では、いまだに続いているというのも興味があります。

     小学校(国民学校)一年生のときは、夏休みの「早起きラジオ体操」に参加しました。この行事は、それ以降は疎開やら何やらで、しばらく中止になったいたようです。

     ところで、あの「ラジオ体操」ですが何時ごろから、実際に全国的に普及されていたのでしょうか。
     教えてくださいませ。



     
     

     


    [No.442] Re: 白系ロシア人 投稿者:   投稿日:2008/03/17(Mon) 10:19
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        さんらく亭@甲子園さん、みなさん、お早うございます。

    > プロ野球のヴィクトル・スタルヒンも。

     そうそう、スタルヒンなんてのがいましたね。

    > 戦時中は「須田博」と改名させられたそうですが(その当時は知りません)

     しかし、スタルヒンが須田博とは、うまくやった紋ですね。(^_-)-☆

    > 戦後職業野球が復活してスタルヒンの名で復帰し、昭和21年だったか、
    > 私の疎開先の兵庫県宍粟郡の小さな町に初めてプロ野球の混成チームが
    > 地方巡業でやってきたときのメンバーとしてスタルヒンを見ました
    >
    > 日本人選手に比べて頭2つぐらい背が高くて色白で男前でカッコイイ〜 
    > と中学生は憧れました

     そのほかでは相撲の大鵬もロシア渡来でしたね、お母さんがロシア人でしたっけ。


    [No.441] Re: 白系ロシア人 投稿者:   投稿日:2008/03/17(Mon) 08:16
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    唐辛子紋次郎さん  みなさん

    >  ところで、白系露西亜人というのは、日本の国に少なからず貢献しているようですね。ある研究者によると、宗教関係から、教育、料理、製菓(ゴンチャロフ等)から、音楽(小野アンナ)、舞踊(パブロワ)まで。

    プロ野球のヴィクトル・スタルヒンも。

    戦時中は「須田博」と改名させられたそうですが(その当時は知りません)
    戦後職業野球が復活してスタルヒンの名で復帰し、昭和21年だったか、
    私の疎開先の兵庫県宍粟郡の小さな町に初めてプロ野球の混成チームが
    地方巡業でやってきたときのメンバーとしてスタルヒンを見ました

    日本人選手に比べて頭2つぐらい背が高くて色白で男前でカッコイイ〜 
    と中学生は憧れました


           さんらく亭@甲子園


    [No.440] Re: 白系ロシア人 投稿者:   投稿日:2008/03/17(Mon) 00:19
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        不虻 さん、今晩は。早速のコメント、ありがとうございます。

    > >  あっしの読んだのでは、白系ロシア人には羅紗売りが多かったということですが、みなさん、その関係のご記憶はありませんか?
    >
    > 私が子供の頃の記憶。
    > 白髭の大男が、黒い羅紗の大きな巻物を包装のせずに肩に担ぎ、歩いているのを草津のような田舎町でも良く見掛けました。昭和12,3年頃まであったと思います。

     羅紗は裸で持ち歩いていたんですか。フランス人もよくパンを裸で持ち歩くといいますね。なんか、連中は日本人に比べて、デリカシーがないというか、ヤバンですね。

     ところで、白系露西亜人というのは、日本の国に少なからず貢献しているようですね。ある研究者によると、宗教関係から、教育、料理、製菓(ゴンチャロフ等)から、音楽(小野アンナ)、舞踊(パブロワ)まで。

     女の人も、羅紗の代わりに化粧品を持ち歩いて、その普及に一役買ったとか。

    > これが日本の洋服化を早めた?それはちょっと読み過ぎの様な気もしますが。

      洋服化を早めたというのは、チョッと大げさですかな。(^_-)-☆なあるほど。


    [No.439] Re: 白系ロシア人 投稿者:   投稿日:2008/03/16(Sun) 22:42
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    唐辛子 紋次郎さん、今晩は。

    >  あっしの読んだのでは、白系ロシア人には羅紗売りが多かったということですが、みなさん、その関係のご記憶はありませんか?

    私が子供の頃の記憶。
    白髭の大男が、黒い羅紗の大きな巻物を包装のせずに肩に担ぎ、歩いているのを草津のような田舎町でも良く見掛けました。昭和12,3年頃まであったと思います。

    これが日本の洋服化を早めた?それはちょっと読み過ぎの様な気もしますが。


    [No.438] Re: 白系ロシア人 投稿者:   投稿日:2008/03/16(Sun) 12:10
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      瀬理恵さん、変蝠林さん、皆さん、こんにちは。
    >
    > 瀬里恵が先ず思い浮かべるのは、バレリーナのアンナ パブロワですネ。
    > 彼女はロシア革命でイギリスに亡命した白系ロシア人…。日本にも来日し
    > 公演した事がある。
    >
    > そして しばらく鎌倉の由比ガ浜沿いに逗留し、バレーを教えたらしい。
    > 貝谷八百子や 谷桃子などはその門下生だとか…
     
     江ノ電に乗ったとき、マーチャンからも話を聞いたことがあります。

    >  確か、N-FMELLOWの時代に、カキコしたと思いますが、「瀕死の白鳥」を
    > 踊った時、たまたま六代目・尾上菊五郎が見に来ていて彼女の演技に感動
    > して、彼女に問いかけた。
    >
    > 「あなたは白鳥が死にかけて倒れた時から、幕が降りるまで息をしていませ
    > んでしたネ。もしなにかの事故で幕が降りてこなかったらどうしますか?」
    >
    > アンナ バブロワ曰く、
    >
    > 「その時は、そのまま呼吸をせず死ぬ事になるでしょう」と言ったとか…。

     それが本当の芸人魂なんでしょうね。天井が落ちようが暴漢が乱入しようが…。そのとき少しも騒がず、ですか…。(^_-)-☆

     あっしの読んだのでは、白系ロシア人には羅紗売りが多かったということですが、みなさん、その関係のご記憶はありませんか?彼らの働きがなければ、着物文化の日本に、こうも早く背広が普及しなかったんではないか、という指摘があります。

     また、洋菓子、チョレートの話もありますが、ピロシキやボルシチの普及、これには白系ロシア人やその面倒を見た新宿の『中村屋』の存在が大きかったのでは。同店は亡命した盲目の詩人、エロシェンコ(ウクライナ出身)をpatronizeしたことでも知られています。それに、洋画家・中村彝による、この詩人の肖像画も残されています。


    [No.437] Re: 白系ロシア人 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2008/03/15(Sat) 23:22
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    >(昭和12〜15年ごろ)神戸では・・・・・

    其の頃、三ノ宮神社前のうどん屋で拾五銭位の昼食を摂り、前のパウリスタで
    拾銭の珈琲を一服、省線高架下を過ぎトーアロードを昇り山手通りを左折して
    外人館の並ぶ小路をパルモア学院まで降って元町駅から鯉川筋を通り大丸前に
    戻るのが昼休みの定番コースでした。

    坂道の小路で遊ぶ外人の子供達が可愛いかった。    懐かしい思い出です。

                                      変蝠林(1917-)       


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