大正の部屋  ー温故知新ー 

大正・昭和初期の実体験を 話す・語り合う・聞く・訊く
その時代の伝聞(親・親戚・知人より)を披露し合う
主役は上記時代お生まれの世代ですが、参加は老若広く
詳細は「開設の趣旨」を参照 質問は「問い合わせ」からどうぞ

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  • [No.852] Re: 煙草と塩の博物館。 投稿者:   投稿日:2008/12/23(Tue) 12:23
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    変蝠林(1917-)さん、こんにちは。

    >先日NHKの帰途に多年探して居た上記博物館を偶然見付けました。

       >http://www.jti.co.jp/Culture/museum/WelcomeJ.html

    >之は今や消えた専売局が廃局と共に設立したもので輝く歴史と共に
    煙草と塩の全てを語り、昔の生活に如何に貢献したかを珍品と共に
    展示説明されて居り、是非一度入館を御薦め致し度き博物館です。

    ゲルベゾルテの味を知って居る・・・・・・・・・・変蝠林(1917-)

    といわれて、書斎へ行って見ると、こんなパンフレットを見つけました。「蔵出し!コレクション あれこれ」(たばこと塩の博物館編)。

     奥付をみると、入館料が驚くほどやすい。たったの100円。20人集まれば50円で更にお安い。このパンフレットの発行が、平成14年なので、いまではいくらか上がったかもしれませんね。(^_-)-☆

     たしかにこれを眺めていると、一度行って見たくなりますね。(^_-)-☆およそたばこに関するものなら何でも揃っています。たとえば、やわらかい方から行くと、遊女とたばこというテーマがあります。ここでは、超有名浮世絵作者、歌麿の「当時全盛似顔揃 扇屋内 花扇 よしの たつた」と云う作品が見られます。左手を髪にやり、右手に長煙管をもった手つきは、なかなか色っぽいです。

     たばこ盆や看板、南田洋子や八千草、有馬稲子、香川京子などのポスターもおもしろいけれど、いろいろと時代によって変わる「ピース」のデザインも、何時まで見ても見飽きないコレクションですね。

     特筆すべきは、八代目桂文楽のたばこ入れコレクション。腰差しのたばこいれなぞは、見ている内に欲しくなって来るのでは。(^_-)-☆ほかにも、こんなにも種類が豊富だったのかと、思わず眼を見張るパイプコレクション。西暦7世紀のマヤの作った当時の喫煙の様子の現された壺は、ここでしか観られない貴重な品。う〜ん、面白そう。


    [No.851] Re: 懐かしき我が真空管たち…。 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2008/12/22(Mon) 03:19
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     瀬里恵さん 善兵衛さん

     折角の稀少典、眼を皿にして通覧しましたが
     小生の多年探訪の球は見付かりませんでした。

     昭和八年頃三円以上した独逸のフィリップ製
     高さ約五糎、突起の無い可愛い検波管でした。

     自動車用のバッテリー使用で香港のジャズが
     聞こえて来た時には、本当に狂喜致しました。
     
                         変蝠林(1917-)


    [No.850] Re: プライマリー 投稿者:Pan  投稿日:2008/12/21(Sun) 23:25
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    瀬里恵さん、善兵衛さん、カッコウさん、こんばんは。

    >左図は初級滑空機(プライマリー)ですね。懐かしくて画像を
    >引用させて貰いました。と言うのは、瀬里恵の旧制工業学校に
    >おける専門の1つに木製航空機があったからです。(もっとも
    >勤労動員で学習は出来ませんでしたが…)

     本当に久し振りにプライマリーの言葉を聞きました。

     昭和19年中学に入りましたが、その時の入学試験の校長面接
    で将来なりたいものはと尋ねられ、航空機の設計技師と答えた事
    を今は亡くなった元校長も覚えていました。

     200人の入学者中、たった一人だったので覚えていたそうで
    す。

     その中学校にはプライマリーがありました。
     しかし、担当のカマキリと言う渾名の先生が応召され、遂にグ
    ライダー部が復活しないまま敗戦を迎えました。

     10年前に僅かな時間ではありますが、パラグライダーの単独
    飛行でその無念を晴らしました。

     ソアラーは、去年の8月北海道の滝川へ予約を取って出掛けまし
    たが、大きな颱風の通過でお預けとなったままです。

     眠っていた虫が蠢き始め、宥めるのに苦労しています。


             ***** Pan *****


    [No.849] Re: 懐かしき我が真空管たち…。 投稿者:瀬里恵  投稿日:2008/12/21(Sun) 18:42
    [関連記事URL:http://homepage2.nifty.com/Avenue-Serie/

    善兵衛さん…。

    > あ!
    >  瀬里恵さん宛て 至急信!!

    > 「真空管古典グラフ」これ私のものでなくて
    > http://members3.jcom.home.ne.jp/atg/ (松村殿)との相互リンクです。

    オツト失礼しました。ナルホドURL が違いますね。
    ご指摘有難う御座いました。


                   瀬里恵


    [No.848] Re: 懐かしき我が真空管たち…。 投稿者:   投稿日:2008/12/21(Sun) 15:55
    [関連記事URL:http://www1.odn.ne.jp/~aac00450/

    あ!
     瀬里恵さん宛て 至急信!!

    「真空管古典グラフ」これ私のものでなくて
    http://members3.jcom.home.ne.jp/atg/ (松村殿)との相互リンクです。


    [No.847] 懐かしき我が真空管たち…。 投稿者:瀬里恵  投稿日:2008/12/21(Sun) 15:15
    [関連記事URL:http://homepage2.nifty.com/Avenue-Serie/

    > 下記必読!!
    > http://www1.odn.ne.jp/~aac00450/ 
    変蝠林さん、題名変更しました。悪しからず…。

    昨日も善兵衛さんのホームページの…古典真空管グラフ…
    に長々と見とれて参りました。

    その前に「Fading」と言う言葉を懐かしく思いました。
    昔、ラジオ組み立てに夢中だった時期、ラジオから流れる
    音量が大きくなったり、小さくなったりする現象…
    これは上空に電離層(D層、E層、F層と三層がある)が
    あって その位置が揺れ動くために起る と言うのが昔の
    瀬里恵の常識でした。

    しかしそれだけではないらしい。電波の反射点のずれから
    起る複数波の干渉でも起るらしい。

    軍隊では「スイチョー(衰調)と言う」と善兵衛さんは
    説明されていました。ナルホドねぇ…!!!

    ところでいろいろな真空管の形にまず呆然と見とれました。
    球状に突起のついた真空管など民間の人間は見たこともない
    でしょう。

    “807”などの小型送信管は戦後我々も電力増幅管として
    つかっていましたね。これをプッシュプル回路で使うと優に
    百ワットの出力が出る。
    メタルチューブってのは、ヒーターが断線しているかどうか
    内部が見えないので使用したことはありません。
    戦後海軍の真空管が放出されて真空管は潤沢に出回りました。
    それが払底しても、錨のマークの付いたパクリの真空管が
    秋葉原あたりで出回り、“神マツ”と称して我々の需要を
    潤しました。懐かしい思い出です。

    もっぱら瀬里恵が常用した真空管は、6WC5 6D6、
    6C6、42、6ZーDH3A、6E5…etc〜〜
    いまは入手出来るでしょうか?

    聞けば複刻版が出回っているとの事ですが、どこで入手出来る
    のか知っている方、教えて下さい。
    それに二連バリコン、中間周波トランスなども…。

    戦中は、厳格な電波統制が敷かれ、一般国民は短波を聴く事を
    禁じられていました。法を犯して押入れの中で短波を聴いてい
    た人もありましたね。

    前編にある 三式一号電探 は戦後我々はオシログラフ(オシロスコープ)
    などと呼び、波形のチェックにもちいましたが、初期のテレビ開発の
    画面はこれから進歩したことは皆様ご存知の通り…。

    瀬里恵も昔に戻って真空管式ラジオを作りたくなりましたヨ(笑)


    [No.846] 昭和産まれの諸君へ。 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2008/12/21(Sun) 10:03
    [関連記事

    下記必読!!

    >http://www1.odn.ne.jp/~aac00450/

    善兵衛殿に敬礼!!

        帝国陸軍最後の陸軍歩兵ポツダム上等兵   変蝠林(1917-)  白。

    (註)第三師団陸軍歩兵第三十四聯隊  静岡市城内 駿府城址所在。


    [No.845] Re: 暗記力 投稿者:   投稿日:2008/12/21(Sun) 08:18
    [関連記事URL:http://www1.odn.ne.jp/~aac00450/

    変蝠林(1917-) さま

    > 「帰命頂礼・・・・・
    > ・・・・行く先や知らねどあの身になりたや」

    「身」は間違い、「実」でした。


    [No.844] Re: 暗記力 投稿者:   投稿日:2008/12/21(Sun) 07:54
    [関連記事URL:http://www1.odn.ne.jp/~aac00450/

    変蝠林(1917-) さま

    解読完了!
    「帰命頂礼・・・・・
    ・・・・行く先や知らねどあの身になりたや」
    ありがたい内容、口ずさみ易い調子です。

     あらためて確かめることが出来ました。
    先輩の年代は私たち世代より暗記力がつよい!
    それは、幼児からの習慣があったから


    [No.843] Re: 暗記力 投稿者:   投稿日:2008/12/21(Sun) 04:56
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    #kimyou chourai jizowasann
    #shouwo akirame sioakiramuruha bukkeitidaijinoinnnennnari
    #uitakahyoutann karusoni nagareru ikusakya siranedo anomini naritaya

    其の他、御詠歌・民謡・浪花節・えとせとら・・・・
    みんな御婆ちゃんの口移しで・・・
    母無し子で父は社会事業で出ずっぱり・・・・

    叔母の先が近くの茶町で大きな床屋をやってたので丁稚達と仲良しでした。
    哀れな幼年時代だった筈ですが哀しき思い出ひとつも無し!!

    変福臨(1917-)の幼年時代です。


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