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[No.510]
Re: 宝塚少女歌劇(スミレの花咲く頃)
投稿者:マーチャン
投稿日:2008/03/31(Mon) 08:00
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BUPさん
> > しかし、フィリピンでは、未だに、これを自国の民謡と思っている方が大勢
> フィリピンではどうか知りませんが、インドネシアでは、故老の方は・・。
> 当時、セレベス島 マカッサル中学では、故 藤山一郎さん(増永丈夫海軍嘱託ー少佐待遇)が現地の女子中学生に教えて、皆さん、歌ってました。
> 数十年後、昭和50年代にもメロディは残ってました。
> 歌詞も マシロキフジノ・・・ は覚えておりました。
> もうみんな十字架の下です。
そうでしたか。「愛国の花」をインドネシアでも。
フィリッピンでは、ギターに合わせて歌っていました。
日本の若い世代にはこの歌を知らない人が多いのに、海外で歌い継がれているのですね。
[No.509]
Re: 壱粒300米。
投稿者:
投稿日:2008/03/31(Mon) 00:00
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もう どうにも行き詰ったとき
グリコッ! っての ご存知ですか?
いわく お手上げ(^0^)
[No.508]
Re: チータは健在です!
投稿者:変蝠林(1917-)
投稿日:2008/03/30(Sun) 23:08
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> CIMMIA VIP Cita, 76 anni, "scrive" la sua biografia|Foto- Con Tarzan の、Foto- Con Tarzan
90超えて無名の蝙蝠爺としては恥かしき限り・・・・・・
bat en bone 位の命名にすればとは後の祭り・・・・・・
変蝠林(1917-)
[No.507]
Re: チータは健在です!
投稿者:
投稿日:2008/03/30(Sun) 21:54
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つぎの所では、チータ老が、ピアノを奏でるところがチョビットだけですが、見られます。(^_-)-☆それからキャンバスに油彩画を描くところやら、読書をするところも、これは静止画ですが、入っています。昨年の誕生パーティーの場面も…あるし、スター現役時代のモノクロ映画の一部も。(^_-)-☆
http://www.repubblica.it/が出たら、
右側の帯にある10番目のサムネイルの脇にあるREPUBBLICA TVAutobiografia di uno scimpanzéCita di Tarzan "scrive" un libro をクリックして見てください。(^_-)-☆
[No.506]
チータは健在です!
投稿者:
投稿日:2008/03/30(Sun) 14:46
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みなさん、まだ覚えておられるかな?ターザン映画のスター、チンパンジーのチータ君が76歳(1932年4月生まれ)になり、いまも健在、老齢年金こそもらっていませんが、悠々自適の生活だそうで。ターザン役のワイズ・ミュラーの方はもう20年以上も前に死に、それに恋人役のモーリン・オサリバンも既にこの世にいないというのに。(-_-;)
しかも、現存するチンパンジーでの最高齢者としてギネス入りしたとか。こんなことで驚いてはいけない。かれの生活ぶりを知れば腰を抜かさぬ人のほうが少ないだろう。
現在チータ老は、アメリカはキャリフォーニア州のパーム・スプリングスの特別施設にお住まいだそうだが、気が向くと、そこでイーゼルに向かって絵を描いたり、ピアノを弾いたり、海岸のそぞろ歩きなぞを楽しむ日常である。かれの絵はなんと、94ユーロもの値がつき、売り上げ金は、かれの食い扶持になる。
まだまだ、オロロクことがある。チータ君、さいきん、ますますやる気を出し、こんどは自叙伝の執筆だそうだ。題は「Me,Cheeta」で、この秋には印刷が始まるが、その前に、「エスクアイヤ」誌に抜き刷りがお目見えするという。人間も、よほどグアンバらないと、サルに負けそー。(-_-;)
ところで、最初のワイズミュラーによるターザン映画というのは、1932年(昭和7年)だそうですが、大正6年生まれ最長老の 変蝠林(1917-) さんは、当時大体15歳。ターザンやチータの思い出など、ひとつ、いかがでしょうか?ほかの『大正人』さん達も、「ターザン」は、もちろん、ご存じですよね。(^_-)-☆
まず、http://www.corriere.it/がでたら、美しい聖母子像の隣の、自慢そうに?絵筆を振るう、人間顔負けのチータ君の画像の下のSCIMMIA VIP Cita, 76 anni, "scrive" la sua biografia|Foto- Con Tarzan の、Foto- Con Tarzanという赤字のところを、クリックしてみてください。(^_-)-☆
[No.504]
Re: 壱粒300米。
投稿者:あんみつ姫(小池)
投稿日:2008/03/30(Sun) 11:36
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夏子さん、ツリーのみなさん、こんにちは!
グリコかカバヤか、議論沸騰ですね(^-^ )
> >と書いてあり、もともとはハート型、のちに1953年角型となり、また1987年昔懐
> >かしいハート型に戻った、とあります。
私の記憶に残るグリコは四角だったよなぁと思ってましたけど、これで
納得!
最近は ん?と思った時にパソコン開いてると、何でも検索してみたり
Wikipediaで調べたりする癖がついて・・・(^_^;
グリコの「一粒300米」は本当かどうか、なんてのがありました。
このキャラメルには実際に300米走るだけのエネルギーがあるんだ
そうです。
曰く、
グリコ一粒は15.4kcalで、身長165cm、体重55kgの人が分速160mで走ると、
1分間に使うエネルギーは8.21kcalになるので、一粒で1.88分、約300m
走れることになるんだそうです(^^@)
そして、グリコの名前はグリコーゲンからきたんだそうです。
ネーミングではグリコキャラメルの案もでたけど、キャラメルは一般的に
知られているので、全く新しい栄養菓子を創りたいということで「グリコ」
にしたそうです。
> やっぱり私の記憶違いだったかな。白兎山人さんと同じくカバヤと混同しているのかも・・・ 変蝠林さん、カバヤのホームページ行って見たけど、箱の写真はあってもキャラメル自体の形は分かりませんでした(^^ゞ
私もあのURL見てきましたけど、箱の中までは分からなかった(^o^)ヾ
カバヤは1946年(昭和21年)に創業で、同時にキャラメル販売を開始した
ようですから、大正生まれの方にはグリコの方がお馴染みなのかも。
[No.503]
Re: 宝塚少女歌劇(スミレの花咲く頃)
投稿者:BUP
投稿日:2008/03/30(Sun) 09:34
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ご無沙汰してます。
> しかし、フィリピンでは、未だに、これを自国の民謡と思っている方が大勢
フィリピンではどうか知りませんが、インドネシアでは、故老の方は・・。
当時、セレベス島 マカッサル中学では、故 藤山一郎さん(増永丈夫海軍嘱託ー少佐待遇)が現地の女子中学生に教えて、皆さん、歌ってました。
数十年後、昭和50年代にもメロディは残ってました。
歌詞も マシロキフジノ・・・ は覚えておりました。
もうみんな十字架の下です。
[No.502]
Re: 宝塚少女歌劇(スミレの花咲く頃)
投稿者:マーチャン
投稿日:2008/03/30(Sun) 07:46
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唐辛子 紋次郎さん、みなさん
> むかし、疎開から帰った後、よく家の茶の間かなんかで、その芝居をやってみせて呉れて、こちとらは急拵えの観客席で、のんびり見物した記憶がある。とくに「そら豆の煮えるまで」というのは、芝居の中に、細かい煮方の所作までが入っていたような気がする。そら豆をうまく煮るには、こうしやしゃんせ、といったような。(^_-)-☆
>
> 「コルネビーユの鐘」(Les Cloches de Corneville)というオペレッタも大ヒットしたらしく、浅草オペラの歴史にも出てくるようだ。
>
> これは、フランスのロベール・プランケットの作曲で、3幕4場。初演は1877年4月19日、パリのテアトル・デ・フォリー・ドゥラマティーク。その後、NYに渡り、アメリカンヴァージョンの「ノルマンディーの鐘」「コルネヴィーユの鐘」として上演された模様。
それにしても不思議なのはあの戦争中を、あの華やかな宝塚が、よく生き延びたいうことです。
戦争末期を、あのように慰問に徹して過ごしたのがよかったのでしょうか。
[No.501]
Re: 宝塚少女歌劇(スミレの花咲く頃)
投稿者:
投稿日:2008/03/29(Sat) 21:56
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マーチャン、みなさん、今晩は。
> たしか「コルネビーユの鐘」「そら豆の煮えるまで」「愛国の花」だったと思います。
むかし、疎開から帰った後、よく家の茶の間かなんかで、その芝居をやってみせて呉れて、こちとらは急拵えの観客席で、のんびり見物した記憶がある。とくに「そら豆の煮えるまで」というのは、芝居の中に、細かい煮方の所作までが入っていたような気がする。そら豆をうまく煮るには、こうしやしゃんせ、といったような。(^_-)-☆
「コルネビーユの鐘」(Les Cloches de Corneville)というオペレッタも大ヒットしたらしく、浅草オペラの歴史にも出てくるようだ。
これは、フランスのロベール・プランケットの作曲で、3幕4場。初演は1877年4月19日、パリのテアトル・デ・フォリー・ドゥラマティーク。その後、NYに渡り、アメリカンヴァージョンの「ノルマンディーの鐘」「コルネヴィーユの鐘」として上演された模様。
いまは城を追われ漁師に身を落としているが、正当の権限を持つわかい城主が、いろいろあった末に、美女を后に迎え、目出度くコルネヴィーユ城の鐘が鳴って幕となる。
[No.500]
Re: 宝塚少女歌劇(スミレの花咲く頃)
投稿者:マーチャン
投稿日:2008/03/29(Sat) 20:16
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追伸です。
> たしか「コルネビーユの鐘」「そら豆の煮えるまで」「愛国の花」だったと思います。
この愛国の花は舞踊だったのですが、「愛国の花」をウェブサイトで調べますと
昭和12年(1937年)にラジオの国民歌謡として作られ、昭和13年(1938年)4月20日、渡辺はま子の歌唱で日本コロムビアからレコード化された歌謡曲。福田正夫作詞、古関裕而作曲ーーーとあります。
しかし、フィリピンでは、未だに、これを自国の民謡と思っている方が大勢おられるそうです。
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