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特殊潜航艇「海龍」・第二章 その4

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通常 特殊潜航艇「海龍」・第二章 その4

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/4/10 8:04
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 (9) 整列は後列―――――――――――――――――――――

 基礎教育の課程の中に、38式《明治38年制定》歩兵銃を持っての陸戦教練があった。ほかの屋外教科(体操、カッター、銃剣術)と同じく、肉体強化のための科目で、本式の陸戦訓練ではないのだが、海軍の陸戦教育のレベルが低いのに驚いた。
 兵曹長の教員が指導に当たるのだが、「海軍では去年から、軽機関銃を陸戦に使うことになった」という。
 我々の年代の者は、中学生の頃から、学校教練《学校で行なう軍事訓練》で「軽機の位置、そこ。傘型散開、開け!」という訓練をやって来た。海軍はそれを、やっと去年から始めたという。
 子供の頃、上海事変での海軍陸戦隊の勇猛ぶりを、新聞で見ていただけに、実態はこうなのか、10年は遅れとるで、と驚く。
 教員の兵曹長よりも、こちらの方がはるかに手慣れている。勝手にどんどん教練を進めて行くのを、兵曹長は「皆さんは上手だねえ」と感心して見ているだけ。
 休憩時間になると、兵曹長は小銃を手にもって「こんなもので戦争するようになったら海軍もおしまいだ」という。彼は砲術出身で、もしかしたら、陸奥、長門の40サンチ砲を動かしていたのかもしれない。
 大砲が主力の海軍では、小銃なんて兵器の中に入らない。オモチャに等しい。
 「皆さんはいいね。入ってすぐ兵曹長の上だもんね。私なんか、海軍に10年いて、やっとこれだもんね」
 艦にいれば威張っていられるものを、予備学生の教育隊に配属されたばっかりに、若造にへいこらしなければならんので、この男くさっているのかもしれない。
 「整列は後列、ホーサー《注》はエンド」という。なんだと聞くと海軍での要領だという。つまり整列するときは、後列にならんで、陰に隠れ、目立たないようにする。カッターを引揚げるときは、綱のエンドつまり端っこを持つ。そうすると一緒懸命に引っ張っているように見えて、実は力が入らない、エネルギーを消耗しない、というのである。
 海軍に長くいるには、こういう要領も必要なのかと感心する。面白い男であった。


 (10) ワカッタモノハ ソトヘ デテヨロシイ―――――――

 兵曹長の教員から手旗と発光信号《電灯の点滅で信号を送る》(モールス信号)を習う。手旗は屋外で練習するが、発光信号は室内で、天井からぶら下げた裸電球の点滅を、瞬きせずに見詰めるのだから、目が乾いてくる。
 「今日は試験をする」というので、緊張して裸電球を見詰める。
 何人かの学生がニヤニヤしながら、黙って席を立って、教室(居住区)を離れていく。何じゃあれはと、いぶかっている内に、また10人ほどの学生が、席を離れる。
 「コノシンゴウガ ワカッタモノハ ソトヘ デテ ヨロシイ」
 3順目くらいで、やっと分かる。こちらもニヤニヤしながら、憐れな学生を尻目に外へ出る。
 洒落たことをする兵曹長であった。


 (11) あの飛行機、撃て!―――――――――――――――――

 昭和20年2月16日、アメリカ軍の艦載機《空母に搭載された飛行機》が、我々のいる三浦半島の武山海兵団にも襲ってきた。戦後、記録を見ると、1200機の艦載機が、関東、静岡方面を波状攻撃《何回も繰り返し攻撃する》したとある。
 B29による遠距離爆撃は前年から始まっていたが、艦載機が来たということは、空母が近くにいるということである。
 対空戦闘の場合、誰が何の配置につくかは定められていた。私は対空機銃の銃座のそばにいた。
 スマートな機首、まっすぐな翼のP51《米軍単座戦闘機(マスタング)》が2機編隊で突っ込んでくる。海兵出身の大尉が「あの飛行機、撃てー」と大声を張り上げる。こんな命令は海軍にはない。「撃ち方始め」のはずなのだがと思う。
 敵の2機編隊は、素直には突っ込んで来ない。こちらの照準がついた頃、先頭の機が左へ待避して雁行《がんこう=雁が斜めに飛ぶ様》する。先頭になった機も数秒で、左へ待避する。先頭の機に照準を合わしていると、次々とかわされる。
 高度50メートル位で飛び去る敵機の操縦席に、操縦士の顔が見える。ということは、風防を開けていたということか。畜生なめやがって。
 ボカスカ機銃を撃って、その日は終わる。夕刻、司令部から「この勢いでタマを打つと、2日で無くなるから、節約するように」との指示が来る。
 どこからともなく、今日飛んできたのはアメリカの予備学生だ」という話しが聞こえてくる。こちらも予備学生なのだが、ハテ。
 アメリカの奴が日本本土を攻撃して来た。日本もアメリカ本土を襲っているのなら対等の殴り合いだが、太平洋という土俵のこちら側の俵にまで押し詰められている現状を、どうやってアメリカまで押し戻せというのだ。


 (12) 術科学校へ――――――――――――――――――――

 武山での教育は、兵科将校としての一般教養であり、専門的な教育は術科学校で行われる。昭和20年2月の始め頃、術科学校の希望を出すことになった。どういう兵科があるかについて、教官から説明があり、第1希望、第2希望まで書いて提出する。
 教官の方には海軍省の方から割り当てがあり、それと各人からの希望、教官からみた適性等を考慮しながら決めていったのであろう。数日後に発表があった。
 記録を見ると、第5期予備学生全体としての配属は、次のようになっている。
   特殊潜航艇    18.1 %
   マル4(震洋)   12.9   マル4とは爆装したモーターボート
   魚雷艇       6.1   この組は後に特潜かマル4に回された
--------------------------------
         小計 37.1   ここまでが、水中、水上特攻
   対空       22.4
   電測        9.2
   通信        9.0
   陸戦        6.4
   気象        5.3
   特信(暗号)     5.2
   化兵        3.3
   要務        2.1
--------------------------------
        合計 100.0 %

 マル4というのは、○のなかに四を書いて、マルヨンといっていたが、開発中の秘密兵器を海軍部内ではこう呼んでいた。他にマル6という人間魚雷があることも聞いていたが、募集はなかった。ただし、マル4か魚雷艇に配属になった者が、後にマル6に転属になった者はいる。
 私は体力に自信がなかったから、陸戦はノーサンキュー。特殊潜航艇の操縦装置に、飛行機の操縦装置を転用していると聞いて、飛行予備学生を振られた恨みをここで晴らそうと、特殊潜航艇を志望した。
 戦後になって、教官に聞いた話しでは、特攻にはなるべく一人息子を避ける配慮をしたとのことであったが、私は姉、妹に挟まれた男一人の家庭であった。
 
 海軍術科学校にはつぎのものがあった。
 1-1  横須賀海軍砲術学校
 1-2  館山海軍砲術学校(陸戦)
 2-1  海軍水雷学校
 2-2  海軍機雷学校(昭和16年3月、久里浜。19年3月より海軍対潜学校)
 2-3  臨時魚雷艇訓練所(「震洋」の訓練)
 3    海軍潜水学校
 4-1 横須賀海軍機関学校
 4-2 大楠海軍機関学校
 5-1 横須賀海軍通信学校
 5-2 防府海軍通信学校
 6    海軍航海学校
 7-1 横須賀海軍工作学校
 7-2 沼津海軍工作学校
 8    海軍電測学校
 9    海軍気象学校

注 船舶を岸壁に繋ぐロープを言うが 此処では短艇を引き揚げる作業を含む

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