@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

特殊潜航艇「海龍」・第四章 その3

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 特殊潜航艇「海龍」・第四章 その3

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/4/17 10:11
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
(6)艇付きとの「結婚」―――――――――――――――――

 特殊潜航艇「海龍」は2人乗りで、潜望鏡を覗いて号令を下す艇長と、その号令の下に艇を操縦する艇付きとの2人が一つの艇に乗る。
 艇長には海兵や予備学生出身の将校がなり、艇付きには甲飛出身の下士官がなる。甲飛出身で艇長になるのも居る。
 昭和20年5月下旬、我々5期予備学生に対する艇付きが決まり、ご対面となった。
 私の艇付きは甲種飛行予科練習生13期の一飛曹で、昭和18年10月海軍に入り、19年8月基礎教育終了、本来なら航空隊で飛行機に乗るはずが、飛行機が無く、特殊潜航艇に回された。
 私より3才くらい年下の童顔だが、背丈は私より10センチほど高く、がっしりした体格で、駆け足でこちらがへばったら、負ぶってでも走ってくれそうな男であった。
 これからの訓練は、常にこの艇付きと一緒であり、出撃も一緒、死ぬときも一緒という仲である。艇長がヘマをしても、艇付きが操縦ミスをしても、死ぬときは一緒で、お互いに自分の運命を相手に預けている訳である。
 当時、教官は、艇付きの決まることを「結婚」と称していたが、見合いをしたわけでもなく、両者の性格判断をしたわけでもなく、そんなロマンチックな雰囲気のものではなく、でたらめに組み合わせたのだと思うが、生死を全く同じにしているという意味では、普通の結婚より強烈である。
 
 私の艇付き









             




(7)碇泊艇での訓練―――――――――――――――――――

 艇付きと一緒に艇に乗り込んでの操縦訓練が始まる。ただし碇泊艇での訓練で、実際の走行はしない。
 「航走準備」から始まって、「モーター航走」、「潜航」、「浮上」、「エンジン航走」、「航走充電」などの基本動作を、同乗教官の指示、監督の下に行なう。
 実際に走る訳ではないから、こちらは潜望鏡のハンドルを握ってはいるが、外は見てもしょうが無い、号令を下して、後は艇付きの操作を眺めている。
 潜水学校で我々が号令を習ったいた間、艇付きは操作を習っていたのであろう。こちらの号令に従って、スイッチを入れたり、操縦桿を動かしたりしている。
 下手な艇付きだと、操作を間違えて、モーターのヒューズを飛ばしてしまったり、吸排気弁を開けずにエンジンを起動して、危うく窒息しかけたり、訓練の段階からもう命懸けである。
 教官が居なくても、夜間、空いている艇に、艇付きと一緒に乗り込んで、自習をする。ただし実際にはモーターやエンジンは廻さない。





(8)昭和20年6月1日少尉任官―――――――――――――――

 人生で忘れられない日というのが、いくつかある。
 昭和16年12月8日、戦争の始まった日。
 昭和20年8月15日、戦争に負けた日。
 この他に、昭和20年6月1日(ろくがついっぴ)というのが、われわれ5期兵科予備学生が、晴れて海軍少尉に任官した日として忘れられない。
 前々からこの日が少尉任官の日として約束されていたので、襟章に着ける桜のマークを準備して、いつ連絡が来るかと待っていたが、何処からも何も言ってこない。
 待ちくたびれて、夕方になって代表の学生が教官室にお伺いに行った。戻ってきた彼は、「桜を着けて宜しい」と、至って事務的に叫んだだけで、任官の儀式は何もなく、数日後「任官祝賀会」が開かれ酒がでた。
 6月1日は5期予備学生にとって、一人前の将校になったということもあるが、それ以上に、海兵74期の候補生達よりも、自分達の方が上になったという方が大事件であった。
 それまでは、年令では1才下の彼等に、こちらから敬礼をしなければならなかったのだが、6月1日を境に、こちらが上官になり、彼らの方から敬礼をしてくれるのである。
 ただし6月15日になると彼等も少尉任官となり、わずか15日間の優越感であった。

  条件検索へ