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特殊潜航艇「海龍」・第四章 その5

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通常 特殊潜航艇「海龍」・第四章 その5

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/4/19 7:45
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 (13)潜航訓練と事故

 潜航訓練の場合は艇への上乗りによる見張りはなくなり、代わりに監視艇が海龍の後ろから着いて行く。エンジン付の漁船に5人ほどが乗り、いざとなると発音弾を海中に放り込んで、その爆発音で危険を知らせる。
 海龍は後ろに長さ1メートル直径30センチほどの赤い「タコ」をワイヤーで引っ張り、潜航しても「タコ」の動きで、位置と進んでいく方角が分かる。
 潜航訓練を始めるといろんな失敗が出て来る。まずハッチの閉め忘れ。ハッチを閉めてなければ潜航した途端に海水が艇の中に浸入して沈没する。次に水上航走から潜航に移る際の操作ミスがある。
 海龍は水上ではディーゼルエンジンを使って航走し、水中では電池とモーターで走る。エンジン用の吸気筒と排気筒が艇の上部に伸びているが、潜水するには筒の弁を閉めないと海水が入ってくる。こればかり気になって、エンジンを止める前に給排気弁を閉めようとしたのがいる。同乗していた教官が阻止して事無きを得たが、艇内が真空になって即死する。
 信じられないような事故もある。海には暗礁《水面下の岩》を示すブイが設置してあるが、あれは海底にワイヤーで繋がれている。海底部分でワイヤーが3本に分かれているが、その間を海龍が通過し、「タコ」のワイヤーがブイのワイヤーに絡んで、海中で動けなくなるという事故があった。数時間後に救助隊が「タコ」のワイヤーを切って助かった。


 (14)事故と搭乗停止

 事故を起こした搭乗員は搭乗停止の罰則を食う。搭乗停止について当時我々予備学生は、「海兵出身者の訓練を優先するため」と僻んでいた。
 搭乗停止の措置に憤慨してか、ある予備学生が訓練から帰って来て、碇泊位置の横に係留されている軍艦「春日」(日露戦争時代のもの)の横腹に頭から突っ込んだ。
 艇の頭部に火薬を詰めた実用の爆装艇(後述)だったら大爆発だが、訓練艇にはそのような装備はしていないから事無きを得たが物騒な男である。
 この男も訓練停止になったのはいうまでもないが、訓練停止の措置は、今思えば戦局が切迫してきて、戦力になる者から1日でも早く前進基地へ展開してもらわねばならぬという状況であったからだと思う。


 (15)頭部に爆薬を装備

 海龍は魚雷2本を両脇に抱え、命中すれば敵船2隻を沈められる。だが外洋に出て、敵の軍艦を攻撃するという使命も能力もなく、攻撃の目標は本土上陸の輸送船で、それもアメリカ兵が上陸した後の空船を攻撃するように言われていた。
 ある日、海龍頭部の重油タンクの代わりに600キロの火薬を詰める、これで敵船に体当たりして3隻目を沈めるようにというお達しがあり、自爆用の紐が艇付の左肩の辺に取り付けられ、操作の教育があった。
 このとき私は「それは海軍さん、契約にないよ」と思った。武山で基礎教育の終りに、専門分野を選ぶときも、海龍が特攻兵器であるという説明はなかったし、潜水学校でもなかった。
 海軍に取り込んだ兵隊だから、何を命令しても大丈夫と思ったのかも知れないが、「それはないでしょう」というのが実感だった。一緒に居た100名の予備学生と、この問題について感想を言うことも聞くこともなかったが、艇付には「こんな物騒なもの引っ張るな」と言い聞かせる。
 当時新聞やラジオが隊の中には無かったから、戦局についてはほとんど知らなかったが、上層部では沖縄が落ち、戦艦「大和」が沈み、あとは本土決戦のみという状況は分かっていて、特攻しか方法はないという認識であったのであろう。


 (16)ぶつかれー

 東京を空襲して墜落したB29から飛び降りたアメリカ兵が、横須賀沖の海龍の訓練海域に浮いているのを、救助の飛行艇が着水して拾い上げていた。
 その傍を海龍が悠々と訓練航行しているのが、陸上の指揮所から見え、「ぶつかれー」と大声で怒鳴るが、艇の中まで聞こえる訳が無い。
 訓練から帰って「お前は特攻隊員なのに、何故ぶつからなかった」と教官から怒られていたが、訓練科目をこなすのに必死で、飛行艇だなんて目に入らないよ。


 (17)これが連合艦隊なんだよ

 昭和20年6月29日、三浦半島油壷の前進基地へ10隻ほどの海龍が出撃することになって、その見送りに行った。
 なんと海軍軍楽隊が来て、勇壮に軍艦行進曲を演奏する。
 まるで連合艦隊の出撃の様ですねと傍らの教官に言うと、「いまや、これが連合艦隊なんだよ」と言われて愕然となる。
 子供の時に記憶に摺り込まれた連合艦隊が、何処かで戦っているのだと思っていた。長門こそ横須賀に繋がれているが、他の戦艦、巡洋艦、航空母艦はすべて健在であると思っていた。


 (18)4期予備学生の沈没殉職

 油壷へ出撃して行った艇の1隻が、途中波を被って沈没したという知らせが入った。数日後引き上げられたが、艇付とともに殉職していた。艇長が4期の予備学生であるというので、見苦しい死に方ではなかったかと案じていた。
 潜水艦乗りなら誰でも、明治43年(1910年)に第6号潜水艇で殉職した「佐久間艇長」の話を知っている。
 殉職した予備学生も、操作ミスで艇を沈めたことを詫び、艇付の家族への配慮を願い、佐久間艇長の遺書に劣らぬ見事な遺書が残されていた。もし見苦しい死に方であったら予備学生全体に対する悪評となったであろう。
 沈没の原因として、後ろから波を被って浸水したこと、排水ポンプを動かしたが、弁の操作を間違えて吸水状態になり、大量の海水が浸水したことを述べていた。
 海龍の艇内にはパイプがいろいろ通っている。パイプの途中に弁がついていて、水の流れを通したり止めたり出来るようになっている。だが、どの弁は開いているのが正常で、どの弁は閉じているのが正常だということを、なかなか覚えられない。浸水と言う緊急事態に彼が弁の開閉を間違えたとしても、有り得ることである。
 艇の操作に未熟であったといえばそれまでであるが、未熟な者でも駆り出さなければならなかった戦局なのである。

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